第四話 日本魔術学園・裏腹

魔術学園の存在理念。

調和の取れた魔術世界の形成を成すべく、学園が行うべき政策は大きく分けて三つある。

一つ、次世代を担う現代魔術師の育成。

二つ、科学を発展させる為のさらなる魔術の研究。

三つ、魔法使いとの共存から生じた社会問題の対処。

その中の三つ目、魔法使いとの共存から生じた社会問題への対処。これを成すため学園は、日本政府と協力し魔術庁を組織している。魔術庁の職員は基本的に殆どが政府の人間であるが、実際の事件やテロが起こった場合には、魔術庁が学園の魔術師に依頼する形で調査官を派遣する。

魔術庁が派遣するのは学園から選ばれた特選魔術師。その特殊な魔術師は、彼らに発行される証明書『執行証』に即し、『執行魔術官』と呼ばれている。

調査官と言えば聞こえはいいが、要は魔術の問題ならとりあえず派遣される何でも屋だ。研究室を率い日々魔術の探究をする黎達からすれば、厄介事を無理やり引き受けさせられる面倒な制度であり、執行証は受け取らないに限る。しかし舎守術師の任命基準とはまた違い、ある程度の練度があると認定されたら無理やり受け取らされるのがこの執行証である。

学園の修練課程に属さない生徒なら、殆どがこれを所持している。

特選に選ばれた魔術師と云うのはあくまで表記上のものであり、一般市民を安心される、それっぽい常套句に過ぎないのである。




「こんな予定じゃなかったのになあ……」

あれから数分後、黎は廊下を歩いていた。

ガラス張りの壁から入る光を横目に、強歩で校舎を移動している。

その少し後ろから、アイラがとぼとぼと後を追っていた。

神田の話も全て終わり。

早々に研究室に逃げ帰ろうとした黎の頭を、神田の腕がガッチリ掴んだ。

『後一つ。黎、アイラに右隔校舎を案内してやれ』

この担任は自分の生徒を道具かなんかと思っているのか。それとも研究を邪魔したいのか。どちらでもいいが、少なくともまだ研究室に戻れそうになかった。

アイラが若干申し訳なさそうにしていたが、黎からすればこの少女が一言でも「大丈夫です」と言ってくれれば安泰なのだ。だがしかし、そんな様子もなさそうである。ここまでくると神田に魔術を一発だけでもぶちかましてやりたいところだが、そうすればまた生徒指導だ。込み上げてくる怒りを下げようと、早足で教室を後にした。

と、そんな調子で教室を出たので、アイラとは全く話していない。

だがまあ、正直話をする気になれなかった。元はと言えばこの少女のせいで担任が遅れたようであるし、そもそも一度戦った相手。気まずい気まずくない云々の前に、仲良くする気が湧いてこない。

しかしこれから長い付き合いになりそうなのもまた事実。仲良くなるとは行かなくとも、せめてまともに話せる関係位にはなるべきなのだが、如何せん気分が乗らなかった。

「あ、あの………」

いい加減この空気感に耐えられなくなったのか、アイラが遂に声を掛けてきた。

「何?」

歩みは止めず、前を向いたまま返してやる。

「うっ……………その、怒ってます……?」

冷たい態度を察知してのか、アイラが恐る恐ると訊いてきた。

一度立ち止まり、黎はどう返答しようか考える。

少女の言う通り。確かに自分は怒っている。腹に崩壊を受けたのも、神田を散々連れ回したのも、誤解を生むような行動をしたのも、彼女の行動にはあらかた腹が立っていた。そう、自分はかなり怒っている。そして同時に、確かに怒っているのだが、この怒りは単に彼女だけへのものというわけでもない。腹に崩壊を受けたのは自分が放った衝撃波とである程度折り合いはつけているし、誤解を生むような行動をしたのもまあ知らなかったのだからしょうが無い。自分が今抱えている怒りというのは、面倒事を押し付けられ、研究時間が無くなるかもしれないということが大きいのだ。無論その原因の一旦は、少女が担っているのだが、神田に責任が無いことも無いし、それ以上に魔術庁への怒りが大きい。それを分かっているにも関わらず、少女に全ての怒りをぶつけるのは少しばかり気が引ける。というか理不尽な気がするのだ。

理不尽な扱いを受け怒っているのに、理不尽に怒りをぶつけるのは、どうしてもプライドが許さなかった。

そして何より、神田の話のせいで、黎はアイラに同情し、若干遺憾ながらも、その待遇にも怒りを覚えている。

フォーサイス家の選択は、アイラを想ってのことなのだろう。彼女を魔術師として成長させる為、多少のリスクを背負ってでも、最適な環境に送り込む。当主や家の者が損をしてでも、後継者の育成に力を込める。魔術師として、これ程素晴らしい選択もない。フォーサイスという魔術師達が、大家として君臨する所以が見て取れる。だが今回の選択は、正直言って間違いだろう。彼らフォーサイスは、日本魔術学園を甘く見ている。事実として、アイラは上手く利用されていた。何故ならアイラが持たされていた執行証は、執行官の中でも特に面倒な依頼を受けることとなる、『特殊執行証』となっていた。学園と庁のお偉いさんらは、大家相手に上手く騙したと見て取れる。

何はともあれ言えることは、黎が抱いている怒りというのは、彼が勝手に抱いてしまった同情心まで含めるのだ。

そんな気持ちと変なプライドがあるが故に、アイラに怒りはそうやすやすとぶつけられない。

勝手に不機嫌になったおり、勝手に黙っているだけなのだから。

しかしまあ、そんな子供っぽいことを続けていても、状況が進まないのは確かなことだ。

「なあお前」

「は、はい!!」

しょうが無いから口を開けば、アイラは驚き姿勢を正した。そんな調子でも困るので、とりあえず安心させることにする。

「………そんなにビビらないでいい。別に怒ってないからさ」

「え、………そ、そうなんですか?」

「全くと言ったら嘘になるけど、とりあえず今は置いとくから………で、そんな事より、ひとついいか?」

「な、何でも聞いてください!!」

その質問で今の空気がどうにかなるならと、アイラは何がなんでも答える覚悟だ。

そんな彼女の気迫に押されてか、黎も気兼ねなく尋ねられた。

「お前、いやアイラ。君が編入するにあたって、この学園は他にどんな条件を付けてきた?」

「へ?」

その思ってもなかった質問に、アイラは間抜けな声を洩らす。しかしすぐに切り替えて、質問に答えようと口を開いた。

「え、えっと、条件ですか……うーん………」

だがまたすぐに詰まってしまう。そして暫くして彼女が放った回答は、

「実はアイラ、そこまで詳しく知らないんです」

耳を疑う話だった。

「は?嘘だろ、お前本人じゃん」

「そ、そうなんですけど、えっと………はい。すみません………そこら辺の話は、お祖母様……えっと、現当主が決めたことなので……………」

「まじかよ……」

思っているより状況は、かなり酷いものかもしれない。黎は内心で頭を抱えつつ、他の質問をすることにした。

「じゃあ、そうだな……特殊魔術執行官という立場。どういう意味か分かってる?」

「あ、それなら分かります!」

今度は自信ありげな表情を浮かべ、

「普通の魔術執行官と比べて、仕事をする時に使える魔術や便利な道具が増えるんですよね!それに報酬も多いとか」

そして少しだけ嬉しそうに、

「いやー、少し特別な立場と言えど、流石に申しわけないような……それにサポートしてくれるレイさんのような頼もしい魔術師もつけてもらっちゃって!こんなに高待遇でいいんでしょうか?」

「違う」

「へ?」

アイラが放つ呑気な言葉を、黎はあっさり否定した。

少女はまた、間の抜けた声を出してしまう。

彼女が語った待遇の話は、確かに全てが事実である。聞こえの良い言い方に変えられているとか、そういった事は決してない。ただ一番重要な情報が、綺麗に抜けているだけだった。

「だから違うって言ったんだよ。特殊執行魔術官は、そんなお気楽なVIP的立ち位置じゃあ断じてないから」

アイラの抱く幻想を、容赦なく言葉で否定する。

「やっぱり分かってなかったか………いいか、落ち着いて聞くんだぞ」

「え?…………え?」

黎の返答についていけていないらしく、アイラはかなり戸惑っている。それでも、淡々と真実を告げていく。

「特殊執行魔術官の特殊ってのは、何も特別扱いって意味じゃない。いや、ある意味そうなのかもしれないけど。少なくとも得をするってことじゃないのは保証しよう。ここでの意味の特殊ってのは、普通より貧乏くじを引かされるってことを指している」

「そ、それは、どういう」

アイラは不安そうな表情を浮かべた。

だがそれでも、伝えなければならないだろう。

「そのままの意味だよ。普通の生徒が執行官として請け負う依頼は、危なくてもせいぜいほんの少し魔術を使える犯罪者を捕らえるってのが関の山。でも特殊執行魔術官は、そんな軽い依頼はやって来ない」

真剣な目でアイラを見据える。

「お前がこれから請け負う依頼は、もっと血なまぐさい、指名手配されてる魔術師の始末とか、秘匿派魔術師との殺し合いだ」

脚色のない憂鬱な現実。

それを上手く隠し切り、優秀な魔術師を捕まえて、うちのお偉いさん共はさぞかし気分がいいだろう。

全くもって、腹立たしい。

しかしそれも所詮は同情。同情するなら金をくれとは、よく出来た言葉だと痛感する。この事実を伝えられたアイラからすれば、黎はただの偽善者に過ぎない。ただ事実を伝えたところで、この少女の現状を変えることなど、一生徒である黎にはできないのだから。

「そ、それは……」

案の定アイラは顔を伏せ、そのまま黙って放心してしまった。

当然だ。さっきはあっさり事実を伝えたが、アイラには酷な話だろう。箱入り娘のお嬢様が、今や学園の始末屋だ。なんと見事な転落劇。あまりに気の毒な境遇に黎は目眩さえ覚えていた。

だがそれでも、全てを悲観すべきとは言いきれない。少なくとも微塵の希望はあると言える。そのため神田は魔術庁に無理を言ってでも、黎にこのお嬢様を任せたんだろう。黎は何となくそんな担任が目に見えていた。

あのお節介な担任は、彼女の悲惨な境遇を聞いて、どうにかしようと思ったのだ。そのせいで巻き込まれた黎からすれば、本当にいい迷惑である。それでもまあ、彼の思惑にまんまとかかって同情してしまったのだからしょうが無い。彼女とは一度激しく戦った中であり、仲良くする気にもなれないが、上の連中に好き勝手されるのも気に食わないし、やはり同情心も確かにある。無理矢理乗らされた船であるが、一度乗ることになったのだから、せめて最善は尽くすとする。彼女の現状を変えることなど出来ないが、多少マシには出来るのだから。

そして後腐れなく研究室へ戻るのだと、黎はもう一度口を開く。

「まあ、心境は察するが、話はこれで終わりじゃあない。今から俺が上手い身の振り方を教えてやるから、それに従えばせめて人殺しにならないくらいには──」

「ものっっすごく盛り上がって来ましたね!!!!」

「は?」

黎が全てを言い終わる前に、アイラのよく通る快活な声が、静かな廊下に五月蝿く響いた。

「表の魔術師じゃあ出来ない依頼をアイラが裏でやってのける………それはつまり!ニンジャということじゃあないですか!!」

「え?、は?」

「そうですか……お祖母様はやっとアイラの願いを………!うおおおおおおおお!!アイラ、ニンジャになります!!」

「ちょ、ちょっと待って──」

「こうしてはいられません!今すぐトレーニングルームでニンジャっぽい魔術の開発を───」

「ちょっと待てえええええい!!!」

何処かへ走り去ろうとするアイラの後ろ襟を、黎が混乱しながらもどうにか掴む。その手は未だ震えているが、何とか少女を捕らえている。

「待て待て待て待て待ってくれ」

「ど、どうしたんですかレイさん!?離してください!」

「離すか!!」

ジタバタともがくアイラをどうにか留め、黎は少女に問わんと迫る。

「なんとも思わないのか!!これから人を殺すかもしれないんだぞ!?」

アイラに顔を近づけ、

「お前程の大家出身の魔術師が、それがどういう事か分からない訳ないだろ!?」

肩を掴み怒鳴りつけた。

黎は半ば脅す覚悟で大声をあげた。

空爆の後の静寂のように、憤慨する教師のいる教室のように、不気味な静寂が廊下に漂う。黎自身が怒鳴って作った空気の筈が、彼はそれを強く感じた。だがその違和感の原因は、目の前の少女の目を見れば直ぐに分かった。

アイラはケロッとしており、怖がるどころかこちらを訝しんでさえいた。

「あ、そういうのは大丈夫です」

アイラは両肩を掴む腕を、鬱陶しそうに払い除けた。

「ていうか痛いです」

「えっ、あ、す、すまんっ」

思わず黎は謝ってしまう。

「………っていや!大丈夫ってなんだよ!」

大声を出して、アイラに訊く。

「大丈夫は大丈夫です。母国語で言うならモーマンタイです」

「お前の母国語は英語だろうが!って違う!!」

黎はもう一度、アイラの肩を掴む。

「お前は何も分かってない!現代で人を殺すってのは例え魔術師であっても」

「だから大丈夫ですって、アイラ人殺すつもりないので」

「は?」

この少女はなんと言ったのか?黎は一瞬硬直する。

この期に及んで、まだアイラ・フォーサイスという少女は、やはり何も理解していない。

「莫迦かお前は、殺す殺さないの問題じゃないだよ、殺すか殺されるかの問題なんだ」

「それは、アイラが弱かったらの問題ですよね?」

黎の発言を否定する前触れのように、わざと被せてアイラは言った。

「さっきの戦いで勘違いしているみたいですが、アイラ、黎さんより余裕で強いですよ?」

そして彼女は、心の底から愉快そうに、椎名黎を嗤ってみせた。

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そしてまた、魔術師達は及第を得る 天童晴羅 @04120815

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