そしてまた、魔術師達は及第を得る

天童晴羅

プロローグ

平日の正午前だというのに、教室の席には殆ど生徒がいなかった。両隣の教室からも人の気配は無く、授業の声は聞こえない。

高校の教室というより、大学の講義室を彷彿とさせる空間だ。白を基調とした色合いの間取りが、この教室の清潔感を際立たせている。

二人の生徒の談笑だけが、この空間を独占していた。

───椎名黎しいなれいは、担任に呼び出され、この静かな教室で待機している。学園指定のブレザー制服を身に付けた男子生徒だ。整った顔立ちと綺麗な藤色の瞳を持っているものの、生まれつきの高薄な顔のせいで、ダウナーな印象を持たれがちな少年だった。

時期は五月中旬。

新学期特有の浮ついた雰囲気も徐々に無くなり、何となく地に足が付き始めていた。

黎が担任に呼ばれたのは、ホームルームが終わり、「そろそろやる気出しますか」と、研究室へ向かおうとした時だ。

意気揚々と教室を出ようとして、黎の肩を、力強い担任の手が掴んだ。『すまんが黎、ちょっと二〇四講義室に待機しててくれ』こちらのやる気を感じ取っていたのか、そう言った彼の表情は少し気まずそうだったのを覚えている。

そんな調子だから断ることも出来ずこの教室で件の担任を待っているのだが──────

「あまりにも、遅すぎないか?」

そう言ってげっそりと机に項垂れる。頬が冷りと気持ち良かったが、生憎気分は冷静では無い。

時刻は十一時を回って久しくそろそろ小腹が空く頃だ。ホームルームが九時前に終わったわけだから、かれこれ二時間以上待ちぼうけを食らっていた。

「まあまあ、いいじゃないですか。先生も何かとお忙しいのでしょう。ここは生徒である私たちが、広い心で待とうではありませんか」

黎の不満を呑気な言葉で諭したのは対面に座っている友人、百鬼古都なきりことだ。

黎と同じ制服を身に付けて短すぎないスカート。艶のある長い黒髪。それをサイドテールで飾っていて可憐だが、凛とした顔立ちと硝子細工のような朱い瞳が相まって可愛らしいというより美しい少女だ。

「二時間待ったのは、だーいぶ広い心だと思うけど……」

「では、その広い心を保ち、もう二時間程待ってみましょう」

「普通に嫌だが」

怪訝な顔で拒否する黎。聞いているのかいないのか、古都は優雅に粗茶をすすった。全くもって呑気すぎる。

この少女、見てくれと所作は美しいのだが発言が時々迷子になる。こんなのでも同級生の間じゃ人気なのだから分からない。やはり顔なのだろうか。

「はあ……」

黎は溜息を吐いて古都が少し前に淹れてくれたコーヒーを口にした。

最初は温かかったこの飲み物も、長いこと担任を待っている間にすっかり冷めきってしまった。

「ていうか、何で古都も一緒に待ってんの?いやさ、話し相手になってくれてるのは嬉しいんだけども」

彼女の顔を見ていたらふと浮かんできた疑問を口にする。

この美少女、教室に到着したときには既に座って茶をしばいていた。

「お前、別に先生に呼ばれてなかったろ、何?暇なの?」

「何ですか急に、失礼ですね……」

湯呑みをを置き、怪訝な顔をする古都。

「まあ、暇じゃないと言えば嘘になりますが」

「ほらやっぱり」

「それだけじゃないです!大した理由でもないですが……」

彼女はやけに勿体ぶる。次の言葉を促すように朱い瞳をジト目で見つめた。何を言い淀んでいるのかその目は泳ぎ、赤いビー玉が転がっているみたいだ。これは明らかに今理由を考えている。

暫くして言いたいことが定まったのか、古都は不敵な笑みを浮かべ、

「きょ、今日の黎君は、いつもよりその……瞳に気力を感じました」

「え?ああ…やる気はあったかな」

「そうでしょう」と、そこそこある胸を張る古都。この友人、案外視野は広いタイプだ。

「そんな時に限って、運悪く先生に呼び出されてしまった可哀想な黎君。なれば、その気力が続くよう、全力サポートするのが友人の務め。一足先に待機場所に赴き、仕事前のコーヒーを用意したわけです」

と、ドヤ顔で締めくくった。

「優しー、友達想いー」ふざけて茶化す。

「ふふ。悪い気はしませんね」 

「美人ー、好きー」

「ふふふ。そんなに言っても何も出ませんよ」

「天才ー、秀才ー」

「ふふふふ。ま、全部嘘ですけど」

だろうね。

少し恥ずかしそうに古都は続ける。

「今日は予定が空いていまして……どう時間を浪費しようか困っていたのですが。運良く暇潰しになりそうな人がいらっしゃったものですから、先回りして、絡みに来ちゃいました」

早くも茶番に飽きたらしく、早々にネタばらしされる。いちいちツッコムのも面倒なので軽い溜息で返してやった。

しかしまあ、そんなくだらない茶番に付き合うくらいには、この空虚な時間に辟易していた。こんな中身のない雑談に、もう二時間も浪費している。黎とて、古都との会話が嫌なわけじゃない。それでも自分の立場を考えると多少の時間の浪費でさえ、許容できないものがあった。

「なんだかなあ……」

溜息を吐くように零し、もう一度机に突っ伏す。

横目で扉を視界に入れても担任が現れそうな気配は無い。無論、何度もこちらから探しに行こうともした。だがその度に、『すれ違いになってしまいます!』とか、『まずはコーヒーを飲んでから!』などと強く言われ、思わず留まってしまったのだ。彼女がただ雑談に興じていたいだけというのは分かっていたのだが。顔が良い女性が怒るとどうも気迫がありたじろいでしまう。我ながら情けない。

色々と考えている内に自分にも嫌気がさしてきた。もうこのまま不貞寝しようかと瞼を閉じるが。恵風の暖かい空気にうなじを撫でられ、くすぐったくて寝れない。

睨むように外に目をやる。

この学園の校舎は「川」の字型になっており、黎達が待機しているのは最も小規模な建物、中央校舎セントラルハウスの一室だ。

この教室の窓から見えるのは左隔校舎レフトハウスと中央校舎の間に存在する第一庭園ファストガーデンである。

庭園を覗いて見れば何人かの生徒が各々やるべき実習をしていた。体育等の一般授業では無い。各研究室が行う理論定礎だ。

「クソ…俺だってやること残ってんのに……」

「ああ、なるほど。どうりで焦っているわけです」一人言のつもりが、古都に返される。

「そういうお前はどうなの」

古都の様子から返答は明白だが、悪態ついでに聞いてやる。すると彼女は、よく聞いてくれたと言わんばかりに、

「この通りです───」

軽く、腕を一閃


バリッ、と

教室全体に───────朱い稲妻を発生させた。


雷光が空間を駆け、大気が揺れた錯覚を受ける。

蛍光灯が点滅し。一瞬遅れて、微かな痺れが全身を巡った。

同時、百鬼古都が発す熱波の様な魔力が、教室を支配した。

即ち───魔術の行使だ。


「──────────っ!?」

あまりにも急な魔術の被弾と、何とも言えない痺れる痛みに、声にもならない悲鳴が漏れる。

「お前なあ!?」思わず立ち上がり抗議するが、当の古都はというと、「すごいでしょう」と、こっちの気などお構い無しだ。

自らの魔術の研究成果を他の魔術師に見せるのが魔術師の生き甲斐といえど、礼節というものがあるだろう。

そもそも、ホームルーム教室や講義専用の教室が集まる中央校舎では、殺傷魔術は原則使用禁止だ。

「お前みたいな生徒魔術師がいるから、定期的に校舎の術理定礎が必要になんだよ!」

「まあまあまあまあ」

流石に注意が必要だと思い、語気を強めて言ってやるが、何とも適当に流される。

そんな説教などどうでもいいから、早く魔術について語らせてくれ、とでも言いたげだった。

素直に聞いてやるのは不服だが、このままにしていても機嫌を損ねそうである。それでも内心ムカつくから、出来るだけ興味が無いのを装い、当たり障りの無い言葉で聞いてやる。

「……はあ……で、どんな魔術理論だ?」

「よく聞いてくれました」

「もはや言わせてんだろ……」

古都は立ち上がり、ホワイトボードの前に向かう。その足取りは、ほぼスキップだ。

「今期の我が研究室の課題はご存知ですか?」

「…確か……魔術発電を見越した、魔力の電子変換だっけか?」

「はい。知ってるのなら話は早いです。まずは元となった原典魔術ですが─────」

ボードマーカーを手に取り、講義もどきを始める古都。生き生きとしたその様子に、もう何度目かも分からない溜息を吐く。

ちらりと扉を見てみても待ち人が来る様子はない。

諦めて目をやった空は、嫌気がさすほど快晴だ。開かれた窓からは、暖かな風が誘い込まれている。

穏やかな恵風だけが、自分を慰めている気がした。

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