第一話 好奇心は魔術師を殺す

「おおー!これが噂の第一庭園!!パンフレットで見た写真より広い!!」

そう言ってはしゃいでいるのは、長い金髪を揺らし、無邪気な笑顔を振りまく少女だった。

第一庭園ファストガーデンの中心部。

円形の水盤を囲む形で舗装された広い園路。左隔校舎レフトハウス中央校舎セントラルを結ぶ経路の中央で。編入生、アイラ・フォーサイスは目を輝かせていた。白銀の光沢を放つ大理石の地面に、負けず劣らない可憐な少女は、興奮を抑えきれず水盤の周りを走っている。

その様子を見た実習中の生徒達は、彼女の優美な姿から、湖で舞う妖精を連想する。それと同時、何処か幼く感じたのは、彼女の顔に浮かぶ向日葵を彷彿とさせるとても快活な笑顔のせいだ。

アイラは一度立ち止まり、あらためて庭園全体を見回した。彼女の瞳は青く輝き、この空間全てに興味を抱いている。ついには水盤の端に座り、この庭園の考察を始めた。

「何処と無くヴェルサイユ宮殿の庭園に似てるような……多少は影響を受けてるのかな……そこの所どうなんでしょうか!リョータローさん!」

すると、リョータローと呼ばれた男が、後ろから千鳥足でアイラを追いかけてきた。細身で筋肉質な長身の男性だが、その足取りからは威厳は感じられず、さながら産まれたての子鹿である。

「そんな事……たかが一教員の俺が知るわけないだろう。ここの庭師に聞け……」

「すみませんそこの人!この庭園は何かに影響を───」

「そいつは生徒だ!実習の邪魔をするなああああ!!」

男は走って駆け寄り、アイラの首根っこを掴む。

「うぐっ」と苦しそうな声を上げたアイラだが、それに対応出来る程、男の気力に余裕は無かった。息も絶え絶えな彼であったが、その手は力強くアイラを捕え、暴れる少女を離さない。

「ちょっ、放して下さい!苦しいです!!」

「駄目だ!もうこれ以上寄り道は出来ん!このままお前を連れて行く!!」

「うわーー!!helpー!!」

ジタバタともがき暴れるアイラだが、男は我関せずと無視している。男の三白眼も相まって、傍から見れば誘拐現場だが、それを眺めている生徒が止めに入らないのは、彼が教員として生徒に信頼されている証拠だった。

そんな日本魔術学園の教職員────神田凌太郎は、かれこれ二時間、この自由奔放な編入生────アイラ・フォーサイスの子守りとも言える引率をしていた。

アイラが少し大人しくなったのを確認すると、彼女の薄い体を軽々と掴みあげ、小走りで目的地へと走り出す。

(このお転婆娘が、手間取らせやがって)

生徒の手前声には出さなかったが、神田は内心愚痴を零した。

本来、一年の編入生であるアイラの引率は、二年の担任をしている神田の仕事では無い。だが、彼女が少々特殊な事情の編入であった為。彼が引き受けることとなった。その事情もあって、対応出来る特殊な生徒に引き渡す必要があったのだが、待機してもらっている教室へ連れて行くだけでもこのザマである。今は諦め猫のようにぶら下がっているが、アイラは異常な程の好奇心を持ち合わせているのか、行く道すがら殆ど全ての施設に突撃して行った。そのつど多方面に謝罪する神田。やっとの事で左隔校舎を出たと思ったら、今度は第一庭園ではしゃぎだした。

正に一難去ってまた一難。

その末ようやく掴んだチャンスだ。

中央校舎は普通の学校と殆ど変わらない内装であるから、興味がそそられる施設は少ない筈である。しかしこの少女のことだ。目を離した隙に何処かへふらっといなくなりかねない。それを危惧して、神田は一層力を強めた。

「リョータローさん………」

「なんだ」

中央校舎へ入ろうとして、悲しげなアイラに名前を呼ばれた。ずっと元気な彼女であったから、その儚げな声に、神田は思わず返してしまう。

「アイラ、反省しました」

「あ?嘘だろ」

「本当です!!アイラは自分の好奇心に支配されて、リョータローさんを一切省みていませんでした。ごめんなさい」

「今頃何言って…」

「アイラが色んな教室に入り込む度に、リョータローさんは謝罪して……今思い返してみると、本当に迷惑をおかけしました…」

「お前…」

「そんなアイラです!きっとリョータローさんは、もうアイラを信じてくれないかもしれません……。でも……もし……もしもう一度アイラを信用してくれるなら!この手を離し、自分の足で、校舎を歩かせて頂けないでしょうか?」

儚げな青色の瞳を潤わせて、真剣な表情で真っ直ぐ神田を見据えるアイラ。その様子を見て、思わず神田は立ち止まる。

神田は目を瞑り、少し考える。

この少女は好奇心旺盛で、ここに来るまで自分に多大な迷惑をかけてきた。だがそれは、彼女の精神がまだ幼く、子供だからではないだろうか。子供は素直だ。何色にも染まる。ここで自分が彼女を信じなければ、少女は誰にも期待しない、寂しい人間になりかねない。それは教師として許されることなのだろうか。

神田凌太郎は、どこまでいっても教師だった。多少口が悪くとも、生徒を大切にする。情に厚い人物だ。この反省したのかもしれない生徒を見て、無視してこのまま進めるほど、冷淡な人間ではなかった。

もう一度確認して彼女がちゃんと謝ったなら、許して共に歩こうと。神田がそう思い力を少し弱めた時、

「あまい!!」神田の股間目掛けて、アイラの蹴りが炸裂した。

メキュッと生々しい音がする。

「キュッ」と神田から声が漏れる。

急所を抑えて崩れ落ちる神田。それを見下げたアイラが、笑顔で一言。

「ハッハー!引っ掛かりましたね!」

アイラは確かに子供であったが。クソみたいな子供、クソガキだった。

「てめぇ……なんて事を……」

蹲り、息も絶え絶えな神田。その姿勢から表情は見えないが、アイラの蹴りが相当効いたらしく、小刻みに震え、微かに出せるのは涙声である。

「丁寧に…『強化魔術』まで仕込みやがって……」

「生ぬるい攻撃じゃあ止められちゃいますからね!思い切って使わせてもらいました!!」

その事実が嘘でない事を証明するかのように。魔術が解除されたアイラの右足から、青い光が離散した。

「しばらくそこで寝ててください。アイラはその間、もう少し第一庭園を見学させてもらいます!」

「待てや……ゴラァ…」

最後の力を振り絞りどうにか言葉を紡ぐ神田。

「こんなことして……ただじゃ済まないぞ……」

「そんなB級映画の悪役みたいなセリフ、教師が言います?」

「いや……まじ……で………」

その言葉を最後に、神田は蹲ったまま動かなくなった。アイラは少しやり過ぎたかと思い、神田の頭をつついてみる。何の反応も無かったが、暖かくはあったから大丈夫だろう。そう判断した彼女は庭園に戻ろうと振り返る。その時であった。

ジリリリリリリリリリリッッ!!!

「え?」

金属を強く叩き続けたような警報音が、学園全体に響き始めた。




2




ジリリリリリリリリリリッッ!!!

「ひゃっ!び、びっくりした……」

半分船を漕ぎ始めていた意識の中、突如鳴り始めた警報によって、無理やり現実に呼び戻される。

その警報が教室に鳴り響いたのは、古都の講義に熱が入り、そろそろ実演に移ろうかというところだった。

「今、この音で起きてましたよね?寝てたんですか?」

古都がずいっと此方を覗く。

「え?…いやいやちゃんと聞いてたよ」

「本当ですか?ヨダレ垂れてますよ?」

「うっそ」

急いで手で口元を確認するが、液体の感触は感じられない。

「嘘です」

「てめぇ…………ってそんな事より警報!ボヤ騒ぎか?」

古都と軽口を交わすがそんな場合ではない。

静かだった教室に甲高く鳴り響いている警報。物理的ではなく魔術的に生じているその音は、概念として直接人に伝わる、『架空音波』だ。よって厳密には教室に鳴り響いてはいない。だがそう感じる位には、急で鬱陶しい雑音だった。微かに感じる緊迫した魔力も、煩わしさを一層際立たせている。

そんな非日常的な状況であったが、意外にも二人は冷静だった。

実の所、学園でのボヤ騒ぎなんて珍しくもない。炎が関係する魔術は、『元素魔術』の研究室なら常日頃使っている。加えて、うちの学園に所属している元素術師やつらはどうも発火魔術へのハードルが低い。火災検知器の作動など、もはや今では毎週恒例のランダム発生イベントである。

「これは……火災警報ではありませんね」

すると、古都が不審そうに呟いた。その様子から、今回はボヤ騒ぎではないようだ。それを受け、気持ちだけでも耳を済ます。しかし黎にはいつもと変わらない警報に感じた。

「さすが元素術師常習犯。てか、何で分かるの?」

「魔力パターンが違います。火災のはこう……もっと、ジーリリリリリリリリリリーッて感じです」

古都が声に出して再現してくれたが、黎に違いなど分からない。

もう一度感知してみようと集中するが、その微かな魔力を識別するのも、黎からすれば一苦労である。普段は変な古都であるが、魔術師として彼女は黎より優秀だ。魔力感知に関してなら、学園でもトップクラスである。それはそうと、語彙力はもう少しどうにかならないのだろうか。

「……じゃあ何だ、地震とか?」

「それも違うと思います。地震なら警報直後に放送が流れる筈ですが、今回は妙に長いですね…」

尚も鳴り響いている警報音。いい加減分かったから、そろそろ放送で詳細を教えて欲しい。それともまだ状況確認が出来ていないのだろうか。

「あ!」

そんな事を考えていたら、ふと一つの予感が頭をよぎった。聞いた事のない警報。一向に現れない担任。担任の役職。微かな可能性ではあるものの、その条件は揃っていた。

「ワン……チャン…………あるか?」

「何がですか?」

「いや……微妙な所なんだけど……状況証拠的に、もしかしたらってのが一つ浮かんで……」

まさかそんな筈はないだろうと思うが、予想されたのは一つの事実だ。

それは────担任神田凌太郎の気絶もしくは死亡である。

魔術学園の魔術師は、何も生徒だけでは無い。教職員として勤務している人間も、その大多数が魔術師によって構成されている。また、それらの教員は教鞭をとるだけでなく、学園を存続させるにあたって重要な多くの役割を担っている。黎と古都の担任である神田凌太郎も正真正銘の魔術師であり、彼が担う役職は学園の用心棒ともいえる『舎守術師ハウスガード』だ。

最新鋭の魔術技巧や魔術理論が集結している学園は、時にテロリストや窃盗団の標的となる。そんな犯罪者から学園の技術を守る為にいるのが舎守術師であり、彼等は学園の中でも戦闘に長けた魔術師の集まりだ。それは生徒でも例外ではなく、強ければ誰でも任命される。よって舎守術師は、学園でも屈指の実力者だ。彼等の敗北=学園の危機なわけであり、その為睡眠以外での意識の損失は、警報が鳴るようになっていた筈である。

とは言え、黎が在籍していたこの一年そんな警報聞いたことがない。それだけ平和と言うことだが、その分この線は淡白である。

「やっぱ無いか……でも…………ゼロとも言いきれないし………」

「ちょっと、何ですか自分一人で考え込んで、共有してください!」

「いや……それが……………もしかしたら、先生誰かにやられたかなって」

「ああ…!───でも………うーん………まあ、有り得ない話では無いですけど………」

古都は顎に手を当て、その可能性を考え始めた。黎も腕を組み改めて考えてみるものの、本心では有り得ないと思っている。

「先生は一応舎守術師の主任でしょう?それに私は彼の実力を知っていますが、そこら辺の魔術師に負けるのは考えられないかと、ましてやこそ泥やテロリストになんて……」

「だろ?」

現実的に考えて、この可能性はかなり微妙である。真面目に考えて実際ありえそうなことといえば、

「放送周りの魔術が誤作動起こしたんだろ。元素魔術の研究室どっかの誰かさん達が毎週ボヤ騒ぎ起こすから。そこんとこどう思う?」

「いやぁー、面目ないです」

遠回しに古都へと嫌味を言うが、彼女は大して反省してなさそうに後頭部をかいた。

元素魔術の研究室は、百鬼古都が主導研究生である。これは後々面倒なことになるだろうと、未来で責任追求されるであろう友人に合掌を送った。

ザ━━━━━━━━━━━━━……!

そんな時だった。鳴り響いていた警報音が、突如不快なノイズに変わった。その初めてのパターンに古都の方へと目配せするが、彼女は首を横に振った。これには彼女も聞き覚えがないようだ。

やむを得ず、ノイズへ魔力感知を試行してみるが、

─────次の瞬間、機械的な音声が脳裏に響いた。

『警告───中央校舎セントラルハウスにて校守教員ハウスガード、神田凌太郎の再起不能ロストを確認。犯行者は未だ抵抗中。──────────自動駆動魔装オートマタでの事態収束に失敗。第二予測学園崩壊事象発生と判断。学園内の執行証持ち魔術師は、直ちに第一庭園ファストガーデンに集結してください』

「……あらまあ」

直接脳内に伝えられた情報。その内容はあまりにも予想外であり、同時に予感通りでもあった。古都はそれに驚き過ぎたのか、目を白黒させながら、この状況にはなんとも不釣合いなセリフを漏らした。

いや、「あらまあ」では無い。

ノイズが発生した瞬間緊迫した空気が流れたというのに、これではなんというか台無しである。

尚も繰り返されている音声を聞き流し、放心状態の古都を起こす。肩を掴んで揺らしてやると、「はっ!」と言いながら復活した。

「せ、先生が死にました!」

「おまっ………縁起でもねぇ…………」

なんて事を言うんだと、古都の頭をはたく。

再起不能とは言われていたが、まだ死んだとは確定していない。

だが、一つだけ確定したことがあった。

「このまま待っても、待ち人は来ずか……」

散々待った挙句のこの扱い。何か事情はありそうではあるが、せめて連絡をよこして欲しかった。待機時間は無駄になり、研究時間は消え去った。こんな事になるのなら、さっさと探しに行けばよかった。

若干落ち込み後悔していると、冷静になった古都に肩をつつかれる。

「どうします?執行証持ちは向かえとの事でしたが。私達は舎守術師ではありませんし、このまま避難してもお咎めないと思いますよ」

「はは、冗談だろ」

黎は軽く笑って、古都の提案を退けた。

言うまでもなく担任のことは心配である。だがそれ以上に、長い時間を浪費させられた挙句泣き寝入りなど黎は性格上許容できない。詰まる所彼は諦めが悪かった。

「こっちから迎えに行くのが、良い生徒ってやつだろ?」

最悪死体でも、と黎は付け足す。

「変にプライドが高い人は、こういう時にムキになるんですよね……」

呆れた様に古都が洩らすも、その言葉は黎に届かない。

彼は大股で窓に近づき僅かに開いていた隙間を無造作に開いた。

暖かくも激しい風が教室に流れ二人の髪が涼しげに靡く。恵風に乗せられるようにして大きな魔力の流れを感じた。それに呼応させ自らの魔力を解放する。全身を包み込むような熱気が生じ自身の存在を自覚する。

「────『流魔巡航』」

ゆっくりと噛み締めるように言葉を紡ぐ。藤色の瞳に微かに黄金の輝きが宿る。瞳を閉じて魔術理論を思考で構築。現実との乖離を補間する。


────魔術の行使、それは世界への存在証明。神秘を受け入れ、人理を否定する。異端の典礼。


「『魔術立証リベレイト』────」

詠唱と同時。

二つの影が、恵風と共に吹き放たれた。

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