英雄譚の裏レシピ

kaede7

【999】

1.この平和な世界から

「『勇者は負けた』って噂、お前は信じる派か?」


 呆然と立ち尽くすフードの男が、ようやく言葉をしぼり出した。


 彼の目の前には、艶やかな木肌を残した小屋がぽつり。

 大規模魔法で焦土化した森の中心に、術者を嘲笑うかのように平然と佇んでいる。


「はぁ? 突然どうしちまったんですかい、ロランの兄貴?」


 ロランと呼ばれたフード男のすぐ隣。

 従者と思しき小柄な男は、深くため息を吐いて続けた。


「勇者エルクの聖剣が、魔王ベルリアの核を貫いた……そんなの、ガキでも知ってる常識ですぜ」

「――どうやら、そいつは違うらしいぞ。キッド」

「違う?」

「勇者、賢者、聖女……三英雄の自伝には、こう記されているんだ。『我々は、魔王に敗れた』ってな」

「へぇ。さすがは兄貴、博識だ……――って、えぇええ!! 英雄の自伝ですってぇえ!? あ、兄貴! そいつぁ大昔、残らず焚書にされたはずですぜ!」


 期待通りの反応である。

 ロランはくすりと笑い、自らの額を人差し指でとんとんと叩いた。


「俺が大賢者の知識。そこに、原本の在処が残されていたのさ」

「……なッ!?」


 原本――その言葉が、キッドの顔を瞬時に青白く染める。


「禁書に触れただなんて! 政府にバレれば極刑ですぜ、兄貴!」

「だな。俺だって命は惜しい。確信を得るまでは、胸に秘めておくつもりだった。が――」


 言葉を切るとロランは、小屋の扉に立てかけられた無垢の長板を顎先で示した。


「へいへい、わかりやしたよ。ったく。ウチの兄貴は人使いが荒いぜ」


 ぶつぶつと文句を言いながらも、素直なキッドは板の前に屈む。


「こいつぁ、看板……? なになに、『グラ……ンの料……理宿』? 兄貴ぃ? 誰なんですかい、このグランってのは?」

「例の自伝に、何度も何度も出てくるドワーフ男の名だよ。グラン・クルスこそ、英雄達の師。歴史の闇に葬られた、四人目の英雄さ」

「嘘でしょう!? 勇者達に師匠がいたなんて! そんな話、聞いたことありませんぜ!」

「……王族以外、みんなそうだろ?」


 ロランは、呆れたように肩をすくめた。


「ヤツら、勇者の血脈だって事を誇示するために、三英雄の遺品を見せびらかしてやがる。……なのに、自伝だけはなぜ、焚書にまでして隠したんだろうな?」


 言葉を紡ぐにつれ、嫌らしくつり上がっていくロランの口元。

 キッドは知っている。それが、企みが成功したときにロランが浮かべる笑みであることを。


「――まさか、兄貴! それを探るために『更地屋』に!?」

「お、珍しく察しがいいじゃないか。……頭の固いギルドの連中め。おかげで、Sランクになるまで十年もかかっちまった」


 『更地屋』――難解な防御魔法で守られた旧遺物を破壊し、開発可能な土地に戻す職業。解呪のスペシャリストである。

 中でもSランクは知識、技術と人格、何より王への忠誠心――その全てが認められた最上級で、政府が秘匿する禁足地の整理を任されている。


「貴重な魔王時代の遺構が残る、この北大陸までリゾート開発するんだと」

「はっ! 強欲な連中ですぜ」

「……なあ、キッド? 最近、俺が王都で何て呼ばれてるか知ってるか?」

「『歴史の処刑人』――」


 申し訳なさそうに顔を伏せ、それでもキッドは即座に答えた。


「俺も、似たようなモノかもな。真実を追うために、真実を消す……。これ以上の皮肉があるかよ」


 その時。開けた大地を風が駆け抜け、ロランのフードをめくった。

 茜色の光で煌めく、哀しげな青の瞳。


「それも、やっと終わる」


 そして、尖った左耳と、丸い右耳――


「この中に、答えがあるはずだ」


 右腕を真っ直ぐ伸ばし、ロランは解呪魔法の詠唱を始めた。


 小屋を守る魔法陣が呼応するように実体を現し、ひとつ、また一つと破壊されていく。明けの薄氷にひびが入る。そんな小気味良い音を立てながら。


「これで……ラスト。さすがは始まりの大賢者ロクシオ。千年前にこれだけの防護魔法を編み出したとは恐れ入る」


 ロランの額から落ちた汗が、漆黒の大地を濡らした瞬間。


「兄貴! 妙ですぜ!!」


 最後の魔法陣が、眩い光を放った。

 それは、まるで意志を持つかのようにロランへと迫る――


「記憶の再生? これは、『条件起動型の時魔法』!? ――罠かッ!!」


 光の先端に触れたロランは、その魔法の特性を瞬時に理解した。

 大賢者ロクシオが得意とした時魔法。

 彼女が残した魔法講義の映像は、千年経った今でも、繰り返し再生されている。


「帰ってこられるか分からない! キッド、逃げ――」


 慌てて振り返るロランの背に伝わる、仄かな温もり。


 その正体はキッド。彼は不敵な笑みを浮かべ、ロランの腰にしがみついていた。


「兄貴ぃ! あっし達は一蓮托生ですぜ!」


 裏声で、それでも力強くキッドは叫ぶ。


「……だったか?」


 魔法陣から溢れる優しい魔力と、どこか懐かしい香草の香り。

 どうにも心地よく、ロランはただ、身を委ねることにした――

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