8.大好物の前では

 三人の新弟子が課題に取りかかってから、小一時間が過ぎた頃。


「せんせ、せんせ。この子、どう?」


 色鮮やかな鳥を逆さにぶら下げたマリアリアが、牛刀の手入れをしているグランの許に、ひょこっと姿を現した。


「一番手はマリアリアか。こいつは『鳳凰鳥ホーホードリ』ってンだ。さすがは俺様だぜ。仕留め方も、下処理もパーフェクトで――」

「もー。えらんだの、わたし、だよ」


 マリアリアは、頬を小さく膨らませた。


「はっは! すまねぇ、すまねぇ。いい選択だぜ、マリアリア。それも、完璧な温度でぴったり二週間熟成済みの逸品。聖女様はいい眼をしてやがる!」

「えへ、へ」

「素材としては文句なしだが、他の要素はどうだ?」

「えと、えっと、ね……」


 鳳凰鳥は、赤から橙へのグラデーションの羽毛を持つ、美しい陸鳥だ。


 炎の中で生まれると形容されるほどに美しい輝きを常に放っており、戦闘の際には高温のブレスを吐く。

 獰猛な性格とは裏腹に草食であり、食へのこだわりも非常に強く、甘みのある果実しか食べない。筋肉質で引き締まった肉の中には、甘みと深いコクが潜んでいる。


 人里にも現れ、収穫直前のリンゴやブドウ、ベリーをついばむ害鳥でもある鳳凰鳥。美味への執念深さは、追い払おうとした農家の自宅を焼き払うほど。

 神出鬼没で賢く、並の戦士など歯牙にもかけない強さを持ち、狩猟は困難を極める。それゆえ、南大陸でも一・二を争う高級野鳥なのだ。


「あの、ね。ロクちゃん、火の魔力、たくさん、つかった、の。アル君、ね、はじめて、両手に剣、もってた、よ。だから、ね……だか、ら――」


 次第に語気が弱まっていく。

 長く話すのは苦手なのだろう。マリアリアは顔を伏せ、もごもごと口ごもりはじめた。


「おうよ! 『鳳凰鳥』は、火の魔素をたっぷり蓄えてやがる。今のロクシオには必要だろうな。そういやアルクは、俺との手合わせで剣を二本使ってやがったか。……筋肉の修復にもコイツはもってこいだなぁ!」

「あと、ね。あと……。せんせ、この子、大好き。……でしょ?」

「はっはっはぁ! 今夜はてめぇ達の歓迎会! 俺の事なんざ、放っておきゃあいいってのによぉ!」

「みんな、いっしょ、だよ」

「おぉ! ありがとな、マリアリアぁ!」


 ギルドに駆除の依頼があれば、いの一番に手を挙げる程に、グランは『鳳凰鳥』が大好物だ。

 見抜かれたことがこそばゆく、気がつけばグランは、マリアリアの秋桜色の髪をわしゃわしゃとかき交ぜていた。


「せん、せ?」


 マリアリアの頬は桃色に染まり、翡翠色の目と口とが大きく開かれた。

 瞼からまん丸な眼球が、ぽろりと零れ落ちてきそうだ。


「おっとと! すまねぇすまねぇ。下の妹がちっちぇえ頃、こうしてやると喜んでなぁ。ああ、染みついた習慣ってのは恐ろしいぜ! 聖女様にこんなことしちまうとは、とんだ罰当たりだなぁ!」


 誤魔化すように大口を開け、グランはげらげらと豪快に笑った。


「うう、ん。だいじょぶ、だよ。……もっと」

「そうか? 修練場での勝負とは大違いだぜ。……こうしてると、ただのガキだな」


 よほど気に入ったのか、撫でる度マリアリアは恍惚とした笑みを浮かべる。


 手を止めると頬を膨らませてしまうので、苦笑しながらもグランはそのまま続けていた。


「――すまねぇな、マリアリア。湯がいい具合になってきやがった。次の工程に移らねぇと」

「わかった、よ。またほめて、ね。せんせ」

「おうよ! 何百回でも、何千回でもだ!」


 微笑み、ぽんとマリアリアの頭を優しく叩くと、グランは六十五の適温になった寸胴の前に立った。


 湯に鳳凰鳥を丸ごとドボンとつけ、ぐるぐるとかき混ぜる――


 一分ほど経ったら再び調理台の上へ。グランは両手で手際よく、鳳凰鳥の美しい羽を毟り取った。


「せんせ、すごい。じょうず」

「まぁな。ドワーフは料理好きが多いし、俺は世界中の美味いメシが食いたくて冒険者始めたってのもあるからよ。……だが、一人で食うメシは、あまり美味くねぇんだ。せめて腕ぐらい磨かねぇとやってらンねぇ、だろぉ?」

「ひとり、さみしい、よ」

「慣れりゃあ案外いいもんさ」


 グランは小さく肩をすくめる。


「ああ、マリアリア。ハーブをこっちにくれ」

「うん!」


 他愛のない話をしながらもグランは、裸になった鳳凰鳥の水気を取り、アルクが皮むきを終えたニンニクと塩をそれに塗り込んだ。


「どんどん行くぜぇ!」


 次に、アルクに渡した物とは違う、しっかりと手入れされた果物ナイフをくるくると回して持った。

 刃の先端で躊躇う事無く鳳凰鳥の腹を割き、その中にマリアリアが選んだ三種のハーブとたっぷりのニンニク、ざっくり切ったタマネギ、四粒の新鮮な小赤果ミニトマトをヘタのまま詰め込む。


 最後に、腹の裂け目を撚り糸で縫い戻し、パンと叩けば完了だ。


「マリアの身体に触れるなんて……。不敬の極みだわ」

「うぉっとぉ!!」


 声にびくっと反応したグランが顔を上げると、玄関扉のすぐ横に、腕を組んで憮然とするロクシオの姿があった。


「なんだぁ、ロクシオかぁ!? ……てめぇ、いつからそこにいやがった?」

「グラン師が『いい選択だぜ』とか、偉そうに言ってた頃かしらね?」

「オイオイオイ、最初からじゃねぇか!? ちっ! お前も入ってこりゃあよかったのによぉ!」

「あんまり二人が仲良さそうにしているものだから、声をかけるタイミングがなかったのよ。それにしても、この程度の隠微魔法で欺けるなんて。……貴方、本当に『傑剣』のグランなの?」

「俺はよぉ、仲間と信じたヤツらにゃあ、背中から刺されても文句は言わねぇって決めてるのさ。そこでは心も体も、装備は全部外してるンだ」


 悪態を吐いても、グランはあっけらかんと笑うだけ。

 気恥ずかしく思えたのか、ロクシオはそんなグランの瞳から、すっと目線を逸らした。


「……炭、準備完了よ」

「早ぇな! で、首尾はどうだ?」

「注意はしたけれど、グラン師が焼いた大事な炭、二袋も灰にしちゃったわ。弁償するから至大図書館のおじいさまに請求書を回しておいて。好きな額を書くといいわ」


 しゅんと肩を落とすロクシオ。


「金なンざいらねぇ。弟子のケツを拭くのは師の役目って、大昔から決まってンのさ!」


 グランは笑いながらロクシオに歩み寄り、剣ダコでゴツゴツの手を、黒く輝く天使の輪の上にそっと添えた。


「止めて、よ……。ニンニクの匂いが髪に付くじゃない」

「嫌いか? いい匂いだと思うンだが。まあ、ここには小さいが風呂もある。湯で流せば綺麗さっぱりだぜ! ああ、練習がてらに薪にも火をつけておいてくれや」

「嘘っ!? この家、個室のお風呂があるの!?」


 風呂――その言葉に、曇りがちだったロクシオの黒の瞳が、快晴の夜空のようにキラリと輝いた。

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