3.幼き勇者達
こん。こんこんこん――
真っ白な満月が、天頂から世界をささやかに照らす頃。
王都郊外の古い家の、薄い扉が突如、リズミカルに音を立てた。
「ンだぁ? こんな夜中によぉ……」
家の主グランは、酔った頭を掻き、気だるげに扉を開く。
「わりぃが、俺は直接の依頼を受けてねぇんだ! ギルド長のバビルスってのが、俺の専属受付で――」
王都に近いとはいえ、この辺りの治安は良いとは言えない。
一見するとただの酔漢だが、グランは懐に短刀を仕込んでいた。
どれだけ酒を飲んでいても、敵襲となれば酔いを醒ます。
それは、酒と危険をこよなく愛する冒険者にとって必須のスキルである。
「あぁン!? 誰もいねぇ……だと? 確かに、音が聞こえたンだが……」
頬をぬるりと撫でる夜風と、ススキの擦れ合う音が不気味で、寒くもないのに身震いが走る。
十歳で王都に出て、一線級の冒険者を二十年以上も張り続けるグランともなれば、アンデッドの討伐は数え切れない。
祟りの一つや二つあっても不思議ではないし、実際、仲間からそういった類いの話を聞くことも多い。
そして、グランはそれが大の苦手なのだ。
「……グラン、先生!」
静寂を破り、どこからか子どもの声が聞こえた。背筋が凍る。
経験で動揺を押さえ込み、まずは懐の短刀の位置を確認。
顔面蒼白のグランはそれから、仄白い世界をゆっくりと見回した。
「せん、せ?」
別の声。今度は女の子の声だ。
聞き覚えがある声だが、どうしても思い出せない。それがまた、余計に恐怖心を煽る。
心なしか風が強くなり、ススキが大きく揺れ始めた。
いつもなら風情を感じるというのに、今宵は黄泉からの手招きとしか思えない。
(……幻聴? 酒と疲労のせいだ。ああ、そうさ。そうに違いねぇ。バビルスの野郎、覚えてやがれ!)
こんな時は眠るに限る。扉を閉めようと震える指先に力を籠め――……
ピクリとも動かない。
「金縛り……? この感じ、魔法かッ!? だが、どこから――」
「下よ! このウスノロ!!」
三つ目の声と共に、グランの身体を電撃が走り抜けた。
「い、いってぇええ!!!!」
震源地は向こう脛。最強の代名詞たる豪傑ですら涙を流したという箇所だ。
グランとて例外ではない。あまりの痛みに思わず腰をかがめた。
「がっかりね。この程度の隠微魔法を見抜けないだなんて」
またしても、声。
痛む脛をさすりながら顔を上げると、目の前には輝く六つの大きな瞳。
空色、墨色、翡翠色。鉱山に眠るどんな宝石よりも澄んだそれらは、満月の光を受けていた。
「いたい、の。とんでけ!」
翡翠の瞳を持つ、秋桜色の髪の少女が、グランの脛に手を添えた。
瞬間、温かさと共に痛みがすうっと引いていく。
「……痛みが、消えた?」
少女が誇らしげにすんと鼻を鳴らし、ウェーブのかかった髪を掻き上げると、清涼感のあるコロンの香りが漂った。
その隣で肩を震わせ笑うのは、大きなとんがり帽子を被った黒髪黒目の魔法使い。
どうやら、彼女が履いている先の尖った革のブーツが真犯人らしい。
「が、ガキ共……だとぉ! 昼間のかッ!!」
「そうよ?」
「ま、まさか俺、お前らのこと、殺しちまったっ……てのか……?」
頭を過るのは、ありふれた怪談――霊の復讐。
堪らずグランは頽れた。
「すまねぇ! すまねぇ、どうか許してくれ! 俺だってあそこまでやるつもりは無かったんだ! お前達が、その……ちいっとばかし出来たもんだからよぉ。つい熱くなっちまったんだ!」
両膝をつき、頭の上で両手を合わせてぺこぺこと頭を下げる。
「な、なによ、コレ……」
「せんせ、どうして、謝る、の?」
「いや、これは多分――」
グランの勘違いを理解した三人は顔を見合わせ、同時に口端を緩めた。
「顔を上げて下さい、グラン先生。僕達、まだ死んでなんかいませんよ? ほら」
銀髪の少年がグランの手を優しく取り、自らの頬にそれを運ぶ。
「生きて……やがンのか?」
「そうですよ。だって、温かいでしょう?」
確かな温もりが伝わってきて、ようやくグランは納得する。
ギルドの修練場で戦った子ども達が、確かに生きて目の前にいるのだと。
「ああ、間違いねぇ、これは生者のもンだ……――ちょ、ちょっと待ちやがれ! おぉい、ガキ共! お前ら、この俺があれだけぶちのめしたってのに、もう目覚めやがったってぇのか!?」
百戦錬磨のグランとて、全力に近い力を出さざるを得なかった勝負。
一級の戦士でも一週間は寝込む程のダメージを、確かに与えたのだ。
「……そうね。あなたがギルド長と話し終える頃には、とっくに意識は戻ってたわ」
「バカな! 信じられねぇ……。どんな手品だぁ? 当たり所が良かった、のか? ああ、それなら意識は回復するかもしれねぇ! ……だが、怪我はどうなったんだぁ! あばらの一本や二本どころの騒ぎじゃねぇだろぉ!」
治癒の魔法は存在する。だが、それには大量の霊薬と大勢の魔術師の力が必要だ。
他に考えられるのは、神聖力での治癒。だがそれは、奇跡と呼ばれる力であり、有限。それゆえ、神殿への多額の「寄付」が必要となる秘術である。
「わたし、ね。治癒のちから、いっぱい、だよ!」
秋桜髪の少女は、自慢げにふんすと息を吐いた。
実際、先ほど少女がおまじないをかけたグランの脛の痛みはすっかり消えている。
「グラン先生とギルド長のお話、全部聞かせていただきました。……その上でお願いします! 僕達三人を先生の弟子にして下さい!」
姿勢を正した少年が、直角に腰を折った。
「ば、馬鹿なッ! 分かって言ってんのかぁ? お前達が一体、どれほどの重責を……無責任な大人に押しつけられてんのかをよぉ!」
鬱憤を、声を荒げて吐き出す。
「――……逆」
「はぁ?」
「逆なのよ、グラン師。私たちには他でもない、魔王討伐という唯一無二の価値があるのよ」
とんがり帽子の魔法使いが、グランににじり寄る。
「他には無価値……ってこと」
「おいおいおい! ガキのくせにそいつぁ……達観しすぎだろぉよ」
「残念だけど、事実よ。そうね――」
少女は、静かに言葉を紡ぐ。
「そこのアルクは第四王子で王位継承権は無く、国で目立てば暗殺者を仕向けられる立場」
銀髪の少年が、一瞬だけ表情を曇らせた。
「ちっこいマリアリアは、海ほど神聖力はあっても弁が立たず嘘も吐けずで、お人好しすぎるお飾り聖女」
褒められてもいないのに、秋桜色の髪の少女は誇らしげに胸を張る。
「それから私、ロクシオは公爵の娘だけど――」
ロクシオと名乗った少女は、大きなとんがり帽子を脱ぎ、右手で艶のある黒髪を耳にかけた。
月明かりに浮かび上がる、尖った耳。エルフの象徴だ。
「一度は父親に捨てられた婚外子。おまけに、どこに行っても気味悪がられる黒髪黒眼のハーフエルフ。……ね。悲惨でしょう?」
唯一、神の加護を受けない種――ハーフエルフは、不吉の象徴と囁かれている。
「なるほど……。全員、訳ありってか」
「そうよ。だけど、才能だけはある。魔王を倒すことが、私たちが堂々と生きていくための、たった一つの道――」
七歳の魔法使いロクシオは、グランの胸元にぐいっと顔を近づけ、さらに語気を強める。
「私たちは引き下がれないの!」
「だが――」
その剣幕には、歴戦の勇士グランも思わず後ずさり。
「もしも貴方が断るって言うのなら……そうね」
ロクシオは顎に人差し指を添え、たおやかに首を傾げた。
「ドワーフの誇りなんですってね? その汚らしい髭。私の炎熱魔法で全部燃やしてあげるわ。それも、二度と生えてこないよう、根こそぎね」
「――んなッ!?」
たじろぐグランは顔を伏せ、自慢の長い顎髭を繰り返し撫でていた。
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