4.七年の歩み

「やはり……だめだ」


 沈黙を切り裂く、グランの小さな呟き。


「私は本気よ!」

「ああ。確かにドワーフにとって髭は大事だぜ。だが、俺はガキの未来の方が、ずっと大事だと思っている。……なあ、考え直さねぇか?」


 ロクシオの肩に優しく手を乗せ、グランは懇願するように声を落とした。


「押しつけられた使命なんて、放っておけばいいじゃねぇか。お前達の才能はずば抜けてる。五年もギルドに通えば、南大陸なら無双だ。そうなれば、ある程度の自由だって――」

「ある程度? 制限付きの自由なんて、何の意味もないわ!」

「北大陸の生物は悪魔だ! 一体一体が化け物なンだよ!」


 しかしグランもまた、一歩も譲らない。


「……なによ。期待外れね。ただの腰抜けドワーフじゃない」

「ンだとぉ! 下手に出てりゃ、つけあがりやがって!」


 渦中の二人の視線が、ばちばちと交錯する。

 その間に、小さな勇者アルクが割って入った。


「グラン先生。僕達は、大人に言われたから行動しているんじゃありません」

「あぁン? 好き好んで死にに行くってンのかよ!?」

「――いいえ」


 アルクは真っ直ぐにグランの瞳を見つめ、続ける。


「『外れ者』が魔王を倒して英雄になれば、身分、種族、階級……そんな、凝り固まった世の中を変えられる。僕は本気で信じているんです! そのために、覚悟を決めて城を出ました」


 そう言ってアルクは、懐から巻物を取り出して広げた。

 紙面は細かい文字で埋め尽くされており、中央には小国の国家予算を超えるほどの金額が記されていた。


 そしてそれは、グランが片時も忘れなかった数字でもあり――


「おいおい、そいつぁ俺の……――」

「はい。魔犬との戦いで壊滅したドワーフ王国の生存者が、王都に移住した際の費用、一切合切の借用書です」


 アルクは静かに、しかし力強い声で続けた。


「グラン先生が、利息を払い続けている借金。……何度読んでも酷い。奴隷契約とも呼べる内容ですね」

「ガキが! おちょくってやがンのかぁ!? 分かってンならとっとと失せろ! そいつのせいで俺は忙しいンだ!!」

「……貸付人のドドル公爵。彼は、あちこちで違法な金貸しを行っていました。全ては白日の下となり、つい先日、父によって断罪されましたが」

「はぁ!?」


 突拍子もない話だ。グランの声は裏返った。


「公爵っていやぁ、上級も上級だろ! ヤツの汚ぇやり口は、債務者全員が理解していたさ! だが、何も出来なかったンだ……。国家ぐるみで隠蔽してるって噂もあったほどだぜ!」

「お恥ずかしいことに、その噂は事実でした」


 申し訳なさそうに、小さな肩を落とすアルク。

 七歳のアルクに、責任など在るはずもないというのに。


「一応は王子である僕が、兄上や大臣、有力貴族の力を借りて裏を取りましたから。公爵家への特例査察では、言い逃れできないほどの証拠が次々と出てきましたよ」

「……ってことァ」

「はい。この借用書は無効です」


 アルクは手にしていた証文を細かく破り、それを夜風に乗せた。


「仕方がないこととは言え、兄上達に、とても大きな借りを作ってしまいました。王宮にはもう、僕の居場所はありません」

「信じられねぇ。見ず知らずのドワーフなんかのために、ヒューマンの王族がそこまでするだとぉ?」

「グラン先生達の功績に、僕なりに応えたかった。それだけですよ」


 そう言って、アルクはにっこりと微笑んだ。


「ねえ、ねえ、せんせ。ここ、けが?」


 二人が話をしている間、グランの周りを回って何かを確かめていた秋桜色の聖女マリアリアが、グランの腰に両手を添えた。


「あ、ああ? 嵐の中心で災害をまき散らしてやがった暴竜との戦いでな。奴のブレスを正面から受けたときにやっちまったのさ」


 過ぎ去った時を見つめようと、グランは目を細める。


「人生いち強烈だったぜ。何かと不便だがまァ、名誉の負傷ってやつだな」


 マリアリアがコクリと頷くと、添えた小さな手が、音もなく光を帯びた。


 たちまち、グランを長年苦しめ続けた違和感が消え去る。

 寝返りを打つ度に激痛を走らせ、何度も眠りを妨げてきた忌まわしい怪我が、完全に。


「動く……? それに、痛みがない、だとぉ!?」


 グランは呆気にとられたような表情で、腰を何度も捻ってみせた。


「教会にだって行ったんだぜ! 完治するには、聖職者の寿命を十年削る程の神聖力が要るって話だっンだ! ドラゴン十匹倒しても払いきれない『寄付』を求められて諦め……――ま、まさかお前、寿命を削ったんじゃあ!?」

「えへ、へ。わたし、だいじょぶ、だよ?」


 まるで疲労した様子もない。

 マリアリアは両手の人差し指を頬に添え、可愛らしく膝を折って見せた。


「マリーの神聖力は、どれだけ使っても人間としての寿命が先に来る、と言われるほどに多いんです。安心して下さい、グラン先生」

「お前ら、本当に七歳かァ? 能力といい、戦闘センスといい、大人びた物言いといい……規格外じゃねぇか」


 理解が追いつかなくなると、何故だかおかしく思えてくるものだ。

 グランの頬は自然と綻んでいた。

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