第五話

第5話

侑斗は築三十年の木造二階建てのアパートに住んでいる。刑事ドラマでよく聞き込みされているような外観以外は、特に目立った特徴もないオンボロ物件だ。

 もちろんオートロックなんてものはないし、表の道路とブロック塀を隔てただけの一階の部屋は、セキュリティのセの時もない。きっとドアを蹴りとばされれば、鍵もろとも軽く吹っ飛ぶだろう。


 賃料は安いが設備が古く借り手もつかないらしく、二階も隣もここ数年入居した形跡がなかった。そこそこ都会なのに建物の近辺だけが妙に静か過ぎる。静かなところだけが、数少ない良いところだ。

 夜中に原稿で行き詰まって奇声をあげても、あるいは朝寝過ごして目覚ましのアラームが数分間鳴り続けても近隣住民から怒鳴られる心配がない。


 侑斗はいつも通り保育園での勤務から帰宅して、早めの夕飯を食べ終わると、テレビのクイズ番組から依頼された仕事にとりかかった。

 食卓兼仕事机にしているこたつの前で、A4のレポート用紙を前にしてウンウンと唸りながら格闘して早数時間。昨日ちょっとだけスランプを脱したと思ったが、勘違いだったようだ。

 時計を見ようと顔を上げると、すでに夜の十二時を過ぎていた。流石に二日連続で夜ふかしはダメだと仕事を切り上げる。


 長時間同じ体勢でいたために、身体中がビキビキと音を立てて痛んだ。いい加減、仕事用の机と座り心地の良い椅子が置ける部屋に引っ越すべきだと思う。けれどボロくても静かな空間だけは気に入っている。

 逆に言えばそれ以外にいいところはない。

 夕食を食べてから時間も経ち小腹が空いていたが、台所に行って食べ物を物色してもカップラーメン一つ見当たらない、ふと流し台の上に視線を向けると、昼間、熊沢にもらったお土産が目に入った。


「……クッキー、か」


 別に熊沢のご褒美を楽しみにしていたわけじゃなかったし、できることならもっと腹にたまるものが食べたい気分だった。

 ラーメンとか、ラーメンとか。

 頭も口の中も塩味になっていたが、ないものは仕方はない。

 コンビニへ行く気力もなかったので、結局クッキーとお茶を入れたコップを持って部屋に戻ってきた。

 甘いお菓子なので、好き嫌いが多い自分でも安心して食べることが出来た。

 仕事で疲れた頭のまま、何も考えずぽいぽい口の中に放り込んでいた。


「何、これ、うま」


 一人なのに、つい美味しいと口に出して言ってしまった。

 甘いだけじゃなくて、ちゃんとバターの風味も塩味あってクセになる味だった。気付けば五枚入っていたクッキーはあっという間に袋の中から消えている。

 食べ終わって、もう少し食べたかったなと思いながら、視線を紙袋へ向けると中に四つ折りにされた白い紙が入っているのが見えた。


(確か……食べ終わったら読めとか言ってたな)


 お腹が空いていて、手紙のことなんか頭から抜けていた。別に熊沢に言われた通り食べた後に読む必要もなかったのに、結果的に言われた通りになってしまった。

 無視して捨ててしまうのも気が引けた。しぶしぶ袋の中から指で手繰り寄せ机の上で紙を広げる。


 ――ぜんぶたべて、えらかったね。きゃろっとくっきーはおいしかった?


「ぐっ……また……ニンジン」


 脱力して、メガネが鼻からずり落ちる。

 ご丁寧にウサギとニンジンの可愛らしいイラストまで手描きされていた。自分と違って絵心まであって、そんなところが、さらに腹立たしい。

 同じ日に一度ならず二度までも、大嫌いなニンジンを口にして、美味しいと言わされてしまった。

 熊沢は魔法をかけたと言っていたが、本当に何かおかしな薬でも入ってるのかと疑いたくなる。昼間も思ったが苦手なニンジンの臭いも味もしなかった。


「……熊沢さんて、すごいな」


 侑斗自身そろそろ、この不毛な戦いに降参だった。

 毎度だまし討ちでも、侑斗に嫌いなものを食べさせて「おいしい」と言わせるのだから、もうここまでされたら素直に感心する。

 それが熊沢のプロの仕事なんだろう。


 ――給食の先生だもんな。


 腹は立つけど。すごいと思う。

 自分だって熊沢のような魔法使いになりたい。読者をあっと驚かせて楽しませたい。

 侑斗は机の上にあるさっきまで自分が作っていたパズルの紙束をパラパラとめくって息を吐く。別に毎度、締切には間に合っているし、深刻なスランプにおちいっているわけじゃない。保育園の仕事も好きだし、パズルも好きだ。


 けれど絶対これで自分は大丈夫だって思える確かな自信がなかった。いつもグラグラ綱渡り。

 その上、侑斗は自分が名乗っている名前のような作家イメージとかけ離れている。それがコンプレックス。

 威厳があって、難しいパズルをさらさらっと作って、いつだって面白いアイディアが泉のように湧いてくる。そんなかっこいい作家像。

 本当の自分はいつだって、この狭いアパートのこたつ机にかじりついて、うんうん唸りながら、やっとのことでパズルを生み出している。

 こんな情けない姿は誰にも見せたくなった。


「この見栄っ張りめ」


 自嘲的な独り言を吐き捨てて、机の上に突っ伏した。

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