第四話
第4話
昨晩、熊沢に出会ったせいで、変に発破をかけられてしまい帰ってから仕事が捗ってしまった。
雑誌用の原稿を前倒して進められたのはよかった。でも結果的に二日連続寝不足。流石にキツかった。
なんとか午前の仕事を滞りなく片付け、やっと昼休憩で一息つく。
毎度のことながら、園で給食を食べてから一日が始まっている気がした。
「あれ先生、まーだお昼食べてなかったの」
「きょ、今日は休憩が後半だったんです」
交代で昼食を取るので、いつもより休憩時間が遅かった。食べた食器を持って調理室へやってくると、手前にある事務スペースで熊沢に声をかけられた。
白の開襟シャツに職員用の紺色のジャンパーを羽織っていた。時々忘れそうになるが仕事中、熊沢はこっちの服装の方が正しい。園児たちのウケがいいからなのか、あるいは以前恐いと泣かれたからなのか子供たちの前にくるときだけ黄色のエプロンを着ている。
(まぁ、デカいし、子供から見たら威圧感あるんだろうなぁ)
昨日八つ当たりをした気まずさがあった。けれど熊沢はそのことには触れてこない。
「で、今日の給食は何が美味しかったですか?」
この時間に給食室の近くで遭遇すると毎度同じ質問をされる。もう学習していた。
熊沢は侑斗を見つけると昼のメニューで美味しかったものを聞いてくる。別に侑斗だけ特別に聞いているわけじゃない。残量チェックや献立の反省も熊沢の仕事のうちだ。
(美味しかった。けど、なんだっけ?)
意識して食べてるわけじゃないので、聞かれても思い出せなくて困る。
「色々?」
「えー! またぁ覚えてないの。俺、献立考えて、食材の注文して、調理して、毎日一生懸命頑張ってるのに、ひどいなぁ、先生」
「ぜ、全部、美味しかったです」
そう言った自分の目が泳いでいた。
「そんな適当なこと毎日言ってたら、もし夫婦なら離婚だよ?」
「疲れてたし、お腹空いていたし、だから……覚えてないんです」
美味しかったのは嘘じゃない。
昨日と同じく寝過ごして、何も食べずに仕事に来て、朝の時点ですでに給食が待ち遠しかった。
午前の仕事を終えて、やっと待ちに待った昼休み。
一汁三菜揃ったキラキラとまぶしい「完璧ご飯」を前にして心の底から感謝して夢中で食べた。そもそも不味かったら覚えている。覚えてないなら今日は全部美味しかったで間違いない。我ながら心を込めて作った人を前にしてひどい。熊沢が言う通り、もし夫婦なら離婚はしなくても、喧嘩の理由としては十分だ。
「ちなみに今日、先生が美味しいといって食べたご飯、もみじご飯なんだよなぁ」
「え? もみじ?」
色が付いていた記憶はあった。オレンジ色のご飯。ケチャップライスよりは色が薄かった気がするし、ケチャップの味ではなかった。
「だから、ニンジンご飯。先生が大嫌いな、ニンジンが入ってましたよ、今日はね」
言われた瞬間サァと血の気が引いた。
(美味しかった……って、僕、いま、言ったよな、嘘だろ)
自分が大嫌いなニンジンを喜んで食べていたことに驚愕していた。熊沢はしてやったりと楽しそうにしている。悪魔だ。給食室の腹黒悪魔。
「いやぁ、ホント、好き嫌いのある子に、おいしいって言われるほど、給食の先生として嬉しい事はないよ」
「だ……だましたな」
「人聞きの悪い。給食だよりにちゃんと書いてるよ」
熊沢の言う通り毎月給食だよりにメニューと食材は書かれている。アレルギーを持っている子もいるから先生も、もちろん熊沢も気をつけている。自分の嫌いな野菜なんて見れば分かると思っていた。
味ご飯なのにグリンピースが入っていなくてラッキーと安心して口に入れていた。迂闊な自分を思い出して絶望した。
「昨日も言ったけど、ほんと先生ほど食育しがいのある大人もいないよ」
「……にん、じん」
騙されて悔しいが子供みたいに泣いて文句をいうわけにもいかず、諦めるしかなかった。言ったところでもう食べてしまった。
「そうそう。で、頑張ってニンジン食べた先生に、今日はご褒美があるんだよね」
熊沢はそういって、机の上に置いてある綺麗にラッピングされた小袋を指差した。
「ご褒美?」
「そ、ご褒美。園児のおやつの試作品、家で作ったんだけど余ったから。特別に先生にあげようと思って持ってきた」
「いりませんよ、子供じゃあるまいし、ニンジン食べたご褒美とか」
「まぁまぁそう言わずに、先生って早番でいつも、おやつの時間には帰ってるだろ」
侑斗はパズル作家としての仕事もしているからシフトは大体いつも朝だった。だから子供たちのおやつの時間まで残っていることはほとんどない。
「たまには俺が作ったおやつ食べてよ、絶対感動するから」
絶対とはすごい自信だと思った。
「感動とか」
前面が透明になっている可愛い花柄の袋には、ウサギの顔をかたどったクッキーが入っている。ご丁寧に赤いリボンまでかけていた。熊沢は、その袋を小さな紙バッグに入れて侑斗に差し出す。
「はい、どうぞ」
昨晩、プリンを手渡されたのを思い出す。
「いらないです」
「いいから、いいから、ほら遠慮せずに」
数回の押し問答の末、最後には渋々持っていたお盆を片手に持ち替えて、熊沢から袋を受け取った。
感動するほど、と言われると少し興味はある。確かに園のおやつを楽しみにしている子供がたくさんいるのも事実だ。
「先生ってさ、この後も、家で仕事あるんだろ?」
「か、簡単な仕事ですけど、ね」
絶賛スランプだが強がってしまった。でも強がったところで、上手くいっていないのは熊沢に知られている。
「じゃ、それ食べて、お仕事しっかり頑張ってな。先生が健康になりますようにって、魔法かけておいたから」
「魔法って」
呆れ声で返した。
熊沢は、いつも子供っぽいことを大真面目に言う。子供相手の仕事のせいもあるが侑斗にまで同じ態度だ。
「魔法だよ?」
「なんか、魔法より呪いかけてそうですよね」
「ひどいなぁ、ちゃんと効果は保証するって、今日も先生ニンジン食べられたでしょ」
侑斗は不満げに眉を寄せる。
「先生、明日から俺のお菓子のファンになるし、朝シフトで帰りたくなくなるんじゃないかなー?」
「熊沢さんって僕のこと、ここにいる園児たちと同じに見てますよね」
「え、よく分かったな、そうだよ」
眉をキリッとして、キメ顔で返された。
「わかります!」
「あ、あとさ。中に、手紙入ってるから、食べたら読んでね。先に読むと魔法が切れちゃうから、絶対食べてからな」
「あー、はいはい」
段々と熊沢の相手をするのが面倒くさくなり、侑斗は適当に返した。
「何書いているのか知りませんが分かりましたよ。あと、お昼ご飯ごちそうさまでした」
侑斗は熊沢にそう言いながら、奥の返却口へお盆と食器を片付けていく。
「お口にあいましたでしょうか?」
勝利の余韻に浸るような腹の立つ笑顔。
侑斗は結局のところいつだって熊沢に完敗している。熊沢は食のプロ。素人の自分なんて端から勝てるわけがない。
「……は、い」
機嫌の悪い犬が唸るように低い声で返事した。こういうところが、ここの園児たちと同レベルの子供にみられる原因なんだろう。
この園で熊沢と知り合ってから、この小っ恥ずかしいやり取りは一体、何度目だろうか。
侑斗は肩を落としながら、職員室へ戻って行った。
文字通り、負け犬だ。
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