第十話

第10話

美味しいご飯を用意されて、お腹が満たされて体はぽかぽかしていた。ずっと気がかりだった話も無事に終わり、安心して和んでいたら洗い物を終えた熊沢が部屋に戻ってきた。帰るなら玄関まで見送ろうと、こたつから出て立ち上がると右足が痺れていて、そのまま後ろのベッドに倒れ込んでしまった。


「わっ」

「おー、大丈夫?」


 狭い部屋でよかったと思いながら起き上がろうとしたら、熊沢がベッドに膝をついて見下ろしてきた。


「なに? 誘ってるの? せんせ」


 じぃと、視線を送られる。


「さ、誘うって」

「分かってるくせに。寝るなら、メガネとらないとなぁ」


 すっと顔からメガネを奪われ、こたつ机の上に置かれた。裸眼でも不自由なく見えるけれど、ガラス一枚なくした顔で熊沢の顔を改めて見ると急に恥ずかしくなる。

 熊沢に好きだと言われた。

 ただ侑斗からは「解けた」と言っただけで、まだきちんとした返事はしていない。付き合うとか付き合わないといった大事な話。

 もう返事したのと同じだったけれど。


「あの、熊沢さん、僕、風邪ひいてるし、あんまり近くにきたら……ダメです」

「もう治ったって、さっき言ったのに?」

「な、治ってる、けど」

「じゃあ、期待してるみたいだし、風邪うつるようなことしちゃう?」

「き、期待とか」


 ニマニマと笑いながら言われて、両頬をペタペタと手のひらで触れられる。


「先生のほっぺたあったかいねー」


 洗い物をしたあとの熊沢の手が冷たくて、思わず目を閉じた。そして、そのまま手首を掴まれ、ベッドに縫い止められる。経験値ゼロの侑斗は、なんと答えれば正解なのか分からない。

 心臓が急にどくどくと跳ねて、その音が熊沢にまで聞こえそうな気がした。


「あ、洗い物まで……ありがとう、ございます」

「どういたしまして、ところで今日は何が美味しかった?」

「さ、さかな」

「へぇ、偉いねー。今日はちゃんと覚えてるじゃん。鱈の煮付けな」

「そんなの、ついさっきだし」

「給食だって、いつも「ついさっき」のタイミングで、なに美味かったか聞いてんだけどなぁ」


 いつも同じやりとりを、保育園でしているのに、ベッドの上だからなのか落ち着かない。熊にのしかかられた気分で、どんどん自分が小さくなっていく。


「あの……まって、欲しくて、聞いて欲しいことがあって」

「うん? なになに」

「熊沢さんの手紙」

「うん」

「僕、ずっと読んでなかったんです」

「はい?」


 緊張のあまり突然口から出た自分の言葉に驚いていた。別に、今でなくてもいいだろうと思うし、なんなら墓まで持っていけばいいことだ。

 いい雰囲気を侑斗自らぶち壊した。

 ずっと言わなければと思っていたから、こんな時に口からポロリと出てきてしまった。


「俺の?」


 侑斗は首を横にふる。


「……全員」

「じゃあ、何か、俺は、毎回先生が心を込めて、自分にお返事書いてくれてると嬉しがってたバカってこと?」


 不思議と自分が作ったパズルと熊沢の返事で勝手に会話になっていた。この前、これが面白かったって書いたから、それを取り入れてくれたとか。あれもこれもいい感じに勘違いされていた。

 都合よく解釈してくれていたのは、多分、熊沢が侑斗のことを本当に好きだと思っていたからだと思う。

 熊沢の気持ちを知った今だから、なんだか余計に申し訳ない。


「その、なんか自然発生的に出来たパズルみたいで、芸術だなって感動はしたけど……別に、バカとかは、すごい嬉しかったし。あの、熊沢、さん?」

「ほぉ……」


 自分の上にいる熊沢の目が据わっていた。

 言われなくたって怒っているのが分かる。


「天才パズル作家の天龍寺先生は、忙しくてファンからの手紙を読む暇もなくて? 編集部に代筆させてたってこと? パズルも?」

「ちが、読んでなかったけど、パズルは、毎月お返事用に自分で作ってて……ただ、ファンレター読んだら、個別に返事しないと、だし」

「しろよ、したらいいだろ、現に、俺だって欲しかった。先生からの直筆の返事」

「だって、僕の字……下手だし」

「はぁ? 別に毎日仕事で普通に書いているだろ、まるっこい字」


 連絡帳を書いたりしているし、汚くはないし読める字だ。それでもイメージが大事だった。


「だから、その丸文字だから、熊沢さんみたいに、カッコイイ綺麗な字書けないし」

「褒めてくれてありがとな。でも、別に、字なんて」

「だから、本当はお返事を、和紙に墨文字で書きたくて」

「墨文字ぃ?」


 熊沢は侑斗の意図が分からないのか、眉を寄せた。


「だ、だからさ、僕のパズル作家のイメージ的に、こう……筆でさらさらっと」


 そう口にした後、侑斗は一瞬、時が止まったかと思った。


「ッ……。とりあえず、面白いから、最後まで、その話聞かせてくれる?」


 熊沢は肩を震わせて笑っていた。侑斗に先を話せと促す。


「だから、手紙って、こう、最近なにやったとか、何食べたとか書かないといけないだろ」

「まぁ? 人によるけど、俺は書いてたな、あれやったこれやったって」

「それで、天龍寺豪鬼は――ちょっと! 聞いたんだから笑わないでくださいよ」

「悪い……やっぱり、面白ぇ、俺がつけたんだけど、ごめん、それでそれで?」

「京都の町家みたいなところに住んでいて、普段は、着物を着ているんだよ」

「築三十年は超えてる、ボロアパートでスウェット着てる先生だけどな、ニンジン食えないし」

「もー、うるさいです。イメージだって言ってるじゃないですか、ニンジンはどうでもいいでしょ」

「けどイメージとかいうけど、著者近影のあの熊は? 熊が好きなの? あ……もしかして俺が好きっていうパズル作家の高度な告白テク?」


 そこまで飛躍出来るのは、すごいと思う。


「あ、あれは、担当が……僕が墨絵のイラストでお願いしますって言ったら、木彫りの熊絵にされて、普通、龍にしません? 天龍寺なんだから」

「も、もう、やめて……腹痛い。別にそれ担当編集悪くないだろう、あの正方形の枠に昇り竜入らねぇし」


 熊沢は笑い転げてそのまま侑斗の寝ている隣に崩れ落ちた。


「熊沢さん!」


 拘束の解かれた侑斗は起き上がって、ベッドの隣の熊沢を薄目で見下ろした。恥を忍んで話しているのに酷いと思った。


「ごめんって、わかったわかった。純粋だった侑斗くんは、あの名前をすごく気に入ってて、そのとき感じた素敵なイメージを大人になっても大事にしてくれたんだなぁ」

「大体……そんな感じです」


 声が自然と小さくなっていく。


「って、けど、想像力豊か過ぎるだろ、侑斗くん。京都の町家とか、着物とか、あ、ヒゲ伸ばしてみる? 仙人っぽく」

「バカにして、こっちは、必死で……威厳あるお堅いイメージのために、私生活も顔も隠して作家してたんです」

 別に顔出しして仕事をするつもりは、最初からなかったし、この先もする予定はないけれど、こんな庶民的なパズルじゃいけないとか所帯染みたことかいちゃダメだとかあれこれ悩んだりもした。

「あ、確かに言われてみれば、先生SNSもしてないよね。他の作家先生たちは、バンバンやってるのに」

「だって庶民がバレたら……こんな奴がって、ガッカリされそうで」

「庶民って……。先生まじで面白いな。アイドルかよ、実物みたらファンやめますって? ないし。もちろん俺は中身重視だよ」


 中身が大事とか照れもせずにさらりと言った。


「中身って」

「面白パズル作家」


 やっぱり面白って言われるとムカついた。


「そ、それくらい、イメージが大事だったんです」

「つまり? 俺があげた名前のイメージ守るのに必死で手紙読めなかったって理解でオッケーですか?」


 侑斗は、こくりと頷く。


「ならいいよ。別に、読んでなくても。許してあげる」

「……でも、この前、全部読んだ」

「それで? 俺の愛のこもったお手紙の感想は?」

「も、もっと頑張ろうって思った。もらった名前に負けないように」

「先生、それめっちゃ愛を感じるんだけど? やばい、昔と一緒で、ほんと素直で可愛いなぁ、侑斗くん」

「やっぱりバカにしてる?」

「してないから、そろそろキスしていい?」


 熊沢はベッドから起き上がると、拗ねた顔をしている侑斗を覗き込む。

 保育園で熊沢は侑斗の理想の正しい大人で、ずっと劣等感とともに心の中で憧れていた。こんな大人になりたいって。いつだって自分は見た目も中身も子供っぽいから。

 二人きりだと侑斗に合わせているのか、それが本来の彼なのか悪戯っ子みたいな顔をする。どっちも本当の熊沢だ。


 けれど今は狼みたいな顔をしていた。クマ先生のくせに。

 周りに愛想を振りまく、人懐っこい表情は鳴りを潜めている。その熊沢の真摯な表情を見ていると、自然とこくりと喉が鳴った。

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