第二話

第2話

侑斗は保育園の仕事が終わると、急いで電車に乗り出版社へやってきた。

 遅刻せずにビルの前に着いて安堵した。けれど、この先に起こる出来事を想像して憂鬱な気分になる。編集に会うのはいいが、編集部のあるフロアへ顔を出したくなかった。

 ガラス張りのエントランスを通り抜け、受付前で願うように来社目的と名前を告げた。

 侑斗の願いも虚しく「六階へどうぞ」と言われゲストカードを手渡される。

 残念ながら侑斗の予想通りだった。


(一階の打ち合わせスペースが良かったな)


 嫌だなぁと思いながら、重い足取りでエレベーターに乗り恐る恐る編集部に顔を出す。

 緊張する瞬間だった。

 一階から編集部へ到着するまでの時間は数分。担当編集の笹山は、すぐにデスクから侑斗の姿を見つけ手を挙げた。

 張りのあるよく通る声だ。


「あ、天龍寺先生! 豪鬼先生。こっちこっち、この前席替えしたんですよ」


 笹山は明るく裏表のない性格で、仕事も出来る男だがデリカシーに欠ける男だ。フロアの視線が一斉に入り口に集中する。侑斗は思わず後ずさった。弾みでメガネがずるりと鼻の頭から落ちかける。

 ――天龍寺豪鬼。

 侑斗は、このペンネームで呼ばれるのが死ぬほど恥ずかしくて嫌だった。だから、極力このフロアには顔を出したくない。


「さ、笹山さん。声、声大きいですよ!」


 こっちの気も知らないで、と侑斗は顔を赤くして訴える。編集部でのこのやり取りは毎度のことだった。


「えー、そんなに恥ずかしいかな? 編集部の人間は、全員、天龍寺先生の顔と名前知ってますよぉ?」

「だから、恥ずかしいんですよ!」

「ご自分で付けたのに?」


 真顔でいわれて、ウッと言葉につまる。


「それでも! 変えちゃダメって言ったの、笹山さんじゃないですか」

「そりゃ一種のブランドですから、そのお名前でパズル作家として人気になったんだし」


 笹山の言っていることは正論だった。

 いくらふざけた名前でも、この名前を見て仕事を依頼したり、本を買ってくれる読者がいる。恥ずかしいからと急に名前を変えるわけにいかない事情も理解しているつもりだ。

 それでも大きな声で呼ばれたら恥ずかしい気持ちはわかって欲しかった。


「編集部に来たときは、宇津木って呼んでください。いつも言ってるのに」

「はいはい。宇津木先生、いつも締め切り守ってくれて感謝してます。本当、先生大好きですよ」

「……適当言うし、今回原稿ギリギリだったの怒ってますよね」

「全然。ギリギリでも先生面白いの書いてくれるし、まぁ、早いにこしたことはないんですけど、ね?」


 と、肩を叩いて釘を刺された。


「次は頑張り、ます」

「はいよろしくお願いします。じゃ、そこの会議室で打ち合わせさせてくださぁい。あ、もしかして、今日も保育園のお仕事帰りですか?」

「はい」


 仕事の打ち合わせのために久しぶりにきた出版社。何度来ても侑斗にとってアウェーな場所だ。昔は人見知りな上に引っ込み思案で、初対面の人と緊張して上手く話せなかった。大人になってから、ある程度克服出来たが、それでも大人数の場所に放り込まれると、未だにそわそわして落ち着かない。

 保育園で仕事をしているときは、たくさんの子供たちに囲まれても全く怖くない。大変な仕事だが、その時間が楽しいと思っている。子供たちの思考の柔軟さには日々驚かされ、作家として新しい視点や刺激をもらっていた。


 保育士の仕事は侑斗がパズル作家を続ける上で大事な、人と関わる時間だった。

 侑斗は子供の頃パズルを作って遊ぶのが大好きだった。その好きが高じて、雑誌に投稿するようになり、いつの間にか作家になっていた。


「あ、先生、そういえば例の夜にやってるクイズ番組見ましたよ。最近売れ売れじゃないですか」


 笹山は打ち合わせの資料を持って会議室に戻ってくると、開口一番にそういった。


「おかげさまで」

「なのに保育園のお仕事も続けているんですね。大変でしょう?」

「えぇ、まぁ」

「体力ない先生が、子供相手に走り回ってる姿がいまだに想像できないなぁ」

「だったら原稿料あげてください」

「あ、やぶ蛇?」


 作家になった今も侑斗は二足のわらじを履いている。それは自分の場合、孤独なままだとパズルのアイディアが生まれてこないと気づいたからだ。

 人付き合いは苦手。かといって部屋に引きこもっていると、すぐに行き詰ってネタ切れになる。だから、この先超売れ売れの作家になったとしても、誰かと関わる仕事は細々と続けている気がした。駆け出しの頃は、周囲の人間を自分の世界から締め出し孤独に活動していた。その頃を思えば成長したなぁと思う。

 ――なのに、最近スランプ気味なんだよなぁ。

 全盛期の頃より、ネタだしが遅くなってしまった。作家の仕事量が増えたのも原因だと思っている。テレビの仕事は納期が短くスピードと量が求められる。そのぶん名前は売れるし、やりがいはあるのだが体力的にはキツかった。


「大きく名前が出てると、お仕事依頼も増えるのでありがたいですよ」

「じゃ、ますます名前変えられませんねぇ」

「そう、ですね」


 言葉に詰まる。

 ペンネームの『天龍寺豪鬼』は中学生の投稿時代から使っていた。その頃はすごくかっこいいと思っていた。多分、どうかしてた。いくら人から貰った大事な名前だとしても、今は、その名前を安易に作家名に使ったことをすごく後悔している。


「先月号のパズルもとっても面白かったですよ、読者にも好評で」

「ありがとうございます」


 パズルの原稿自体はメールでもFAXでも送ることが出来る。けれど、今回は天龍寺豪鬼個人で特集ページを作ってもらえることになり、その打ち合わせだった。


「あ、そうそう、編集部に届いてるお手紙ですが、先月分も」

「はい。いつも通り、お返事お願いしても良いですか? お返事用のパズルはメールで送りますので」


 侑斗は今まで一度もファンからの手紙を読んだことがなかった。

 いつも返事は雑誌のアンケートハガキのお礼と合わせて編集部から送ってもらっている。侑斗は読者にお礼のパズルだけ作っていた。

 手紙にどんなことが書かれているのか気になっていないと言ったら嘘だ。でも、きっと読んだら返事をかけない罪悪感でいっぱいになる。

 返事に書けるような話題もないし、嘘をつけるほど器用でもなかった。侑斗はデビューしてからずっとその対応を貫いていた。侑斗は『天龍寺豪鬼』というお堅い作家イメージを崩さないため、私生活を一切出さないように徹底していた。


「一応、ハガキは毎回みてますけど、別に、先生の悪口なんて一つも書いてないのに、なんで読まないんですかねぇ、励みになるのに。まぁいつか先生の気が変わるかもしれないから置いてますけど」


「だって、嫌じゃないですか」

「嫌って、何がです?」

「あの名前の作家がこんな顔で、ただの庶民でがっかりするでしょう」


 そんなことを気にするなんて、バカみたいだと侑斗も分かっていた。でも楽しんでもらっている読者につまらない人間だってイメージを持たれたくなかった。


「しょ、庶民って。まぁ、そりゃ、あの厳ついペンネームと先生は結びつかないかもしれないですけど。アイドルでもあるまいし、先生もしかして自意識過剰? ええかっこしいなの?」

「嫌なものは嫌なんです! 僕は、自分で築いてきた作家イメージを守りたいんですよ」


 他の有名作家のように、テレビやSNSでパズルの魔術師とか貴公子と呼ばれたいわけじゃない。ええかっこしいでも自意識過剰でも「こんなやつが」と読者に幻滅されるくらいなら、作家のリアルなんて消した方がいいと思っている。

 当然、他の作家と違って侑斗はSNSの類は一切やっていない。年齢不詳、私生活が謎の覆面作家で通っていた。


「さっき、ご自分で恥ずかしい名前だから変えたいって言ったのに、イメージ守りたいって、一体どっちなんですかぁ」

「どっちもです!」

「ほんと困った先生だなぁ。あ、そうだ。もう、そのイメージぶっ壊せってことで、思い切って次の特集で先生の写真をバーンて全面に出しちゃいましょうよ。保育園のエプロン姿とかどうです? そうしたら、吹っ切れませんかね、天龍寺豪鬼」

「無理です。いつも通り、自画像の熊のイラスト使ってください」

「あの墨絵の熊ねぇ。全然似てないのに、もう兎にしましょうよ。イメージ通りだし。いつも呼ばれてるんでしょう? ウサギ先生って」

「う、ウサギ先生は、保育園だけでいいんですよ」


 ペンネームが変えられないなら、せめて同僚の「保育園にいる熊」みたいに生まれたかったと思う。あれくらいデカければ威厳はなくても、今のペンネームを名乗って許される気がした。

 小さくて体力が無くて、ひょろひょろな保育園の先生と、大きくて健康と体力に自信がある給食の先生。


(あー、でかい熊になりたい)


 いつだって、ないものねだりだ。侑斗は小さく溜息を吐いた。

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