第七話

第7話

一度だって自分宛に送られてきた手紙を読もうなんて考えてこなかった。

 長年作り上げてきた作家イメージとか、読者の期待を裏切っているかもしれないとか。


(……期待ってなんだよ)


 自分の理想と違う手紙の中の自分を目の当たりにするのが怖かっただけだ。

 急に恥ずかしくなった。

 大仰で偉そうなのは名前だけ。中身は、どこにでもいる庶民だ。スーパーへ買い物にだって行くし、値引きセールって言葉で、ついついいらないものを買ってしまう。

 野菜コーナーの前を歩けば、その味を想像して青くなる。

 そんな情けない、中身も外見も小さな男。

 本当の自分が、かっこ悪くイメージとかけ離れた、ただの凡人でボロアパートに暮らす保育園の先生なんだとしても、ちゃんと手紙を読んで、その内容に落ち込むくらいは、するべきだと思った。

 侑斗は家に帰ってから、スマートフォンを手にうんうん唸った結果、担当に連絡して編集部へ向かい、今まで送られてきた手紙を紙袋に詰め込んで帰ってきた。

 編集の笹山には、明日は雨か嵐かと笑われた上、編集部の段ボールが一つ片付くと喜ばれた。

 そうして手紙を読む決心はしても、それからさらに目を通すまで、小一時間くらい唸っていた。

 犬みたいに。

 読み始めてからは、赤くなったり青くなったり、とにかく忙しかった。笹山が言った通り本当に手紙には悪口も苦情もなかった。

 しかも自分が今日まで作り上げてきたと思っていたイメージなんて、ちっとも手紙には書かれていなかった。

 雑誌の読者層から手紙を送っているのは大人ばかりだと思っていたら、小学生や中学生もいて驚いた。

 自分だって小学生から教室の片隅で自由帳を広げてクロスワードや迷路を作って遊んでいた。だから小学生の読者がいたって、なんらおかしいことはない。

 子供からの手紙を読んで、まともに友人付き合いもせずに一人で遊んでいた、小学生の頃の自分が許された気がした。

 もちろん勝手な偏見と想像だった。侑斗と違いパズル好きでも沢山の友達に囲まれている子だっているだろう。

 そんな心温まる手紙の一方、自分を青くさせたのは熊沢からの手紙だった。

 手紙の束から熊沢秋生の名前を見るまでは、半信半疑だった。もし送っていたとしても、読者ハガキの一枚くらいだと思っていた。

 けれど昼間本人が言った通り、熊沢からの手紙は沢山あった。一番古いもので数年前で、自分が雑誌デビューした翌年から残っている。

 アンケートハガキの五段階評価なんかじゃない。


 他の誰でもない。紛れもなく天龍寺豪鬼に向けて書かれた手紙だった。

 ひときわ目立つファンシーな封筒。

 差出人の名前を見なくたって、侑斗は熊沢本人の手紙だって分かった。

 保育園で熊沢が作る給食だよりは、彼の外見からは想像できない美しく整った字で書かれている。侑斗の書く丸っこい字とは違って、トメハネハライがきちんとある字だ。

 壁に掲示されているお知らせには、侑斗が逆立ちしたって描けないような、幼児向けの可愛い手描きイラストがいつもある。

 熊沢からの一番最初の手紙は、――先生、覚えていますか? から、始まっていた。

 その手紙を読むまで、侑斗はとても大事なことを忘れていた。

 自分がつけた、今思えばふざけているとしか思えないペンネーム。小学生の時にもらった大切なもの。

 人から貰ったものだから、大事にしなければいけないと、ずっとノートに書き留めていた。

 だから、中学で初めて投稿する際にその名前を使った。


(なんで、忘れてたんだろう) 


 名前は、侑斗が学童保育に通っていたときに、高学年の男の子からもらった。

 学童では学校の宿題が終われば外遊びに行く子ばかりだったが、時々一人でいる侑斗に声をかけてくれた子がいた。

 侑斗を構ったところで楽しくなんかないだろうと思っていた。けれど、その子は熱心に話しかけてくれて、侑斗がノートの隅に描いていたラクガキに、かっこいい名前をつけてくれた。

 漢字がたくさん並んでいて、自分は目をキラキラさせて喜んでいた。そうしたら照れたような顔をして「やるよ」と言われた。

 たった、それだけのやりとり。

 顔も名前もぼんやりで、思い出せなかったのに、熊沢の手紙を読むと、急に思い出に鮮やかな色がついた。


 ――あきお、くん。


 侑斗には遊んでくれる友達がいなかったから、その子の名前を呼ぶときは、すごく照れていた。

 あぁ、そういえば、そうだった、と。

 いつの間にか、インパクトの強い恥ずかしいペンネームって思うようになった自分の軽薄さを、その瞬間恥じた。

 気まぐれでも声をかけてくれて、嬉しかったこと。漢字がいっぱいのかっこいい名前を書いてもらって嬉しかったこと。迷路を一緒に描いたこと。

 そこの学童クラブに通っていたのは一年くらいで、そのあと両親が離婚し引っ越ししたため隣の学区に変わってしまった。

 年上の男の子にはそれ以来、会うことはなかったから、いつの間にか記憶から抜け落ちていた。


(あんなに喜んでたのに。最低だな、僕は)


 熊沢からの手紙には、自分が子供のときにあげた名前を雑誌で見つけて、本屋でびっくりしたと書いていた。名前を使ってくれて嬉しかったとも。

 そして雑誌を買っているうちに、パズルにハマったと書いていた。

 侑斗は今日まで一度だって、熊沢からの手紙を読んでいないのに、熊沢からの手紙を順番に読むと何故かきちんと話が続いていた。

 侑斗が書いた季節のパズルだったり、時事ネタを入れたクロスワードを熊沢が解いて、その感想が返ってくる。

 全員に同じ手紙を送っているのに、熊沢の手紙だけは自分が送ったパズルとの「対話」になっていて不思議だった。

 そして途中から、手紙の内容に熊沢の日常が入り込んでくる。

 侑斗は何も自分のことを語っていないのに、熊沢は沢山、自分のことを書いていた。

 熊沢のことで侑斗が知らないことも、知っていることも、いっぱい書いていた。

 そして、しっかり食べて健康に気をつけて頑張ってくださいと、いつも同じ言葉でしめられている。

 いつも侑斗が熊沢に言われている言葉だ。

 返事がパズルだけで、侑斗のことなんか何も伝わるはずがないのに、優しいとか、温かいとか。かっこいいとか。まるで、熊沢からの手紙は、自分へ向けたラブレターのようだった。

 これが好き、あれが好きですと、好きがいっぱいの手紙。

 時間を元に戻したかった。

 今まで自分が守り抜こうとしていた威厳とかお堅いイメージなんて、熊沢の手紙にも、ましてや他の誰の手紙にも書いていなかった。


 面白かった、好きです。楽しかった。


 消印の日付まで戻って、ありがとうと一通ごとに、自分から返事を書きたかった。無論、それは叶わない。考えたところで仕方がないことだと思った。

 侑斗は今まで手紙を読まなかったことを激しく後悔して、読んだことも後悔した。

 そして、少なくとも熊沢の目の前にいる自分が、天龍寺豪鬼ではいけないと思った。


 絶対に熊沢にバレたくなかった。この期に及んで、まだ見栄をはろうとする自分が情けない。けれど本当の自分を熊沢に知られることが怖くて怖くてしかたなかった。

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