チハルちゃん
塚本ハリ
第1話
幼い頃、私の家にいた女の子のことを覚えている。
チハルちゃん、といった。
同じ幼稚園の子ではなかったと思う。ただ、家にはいつもチハルちゃんがいた。
「
たぶん、私より少し年上。家の中でかくれんぼしたり、一緒におやつを食べたりしていた。
だけど、ある日急にいなくなった。
「ねぇ、ママ。チハルちゃんがいないの」
そう言った私に、母は「チハルちゃんって、だぁれ?」と答えた。
母は「そんな子、知らないわよ」と言って相手にしなかった。
私はわんわん泣いて「チハルちゃんがいないの~」と訴え、母は困ったような顔で私を抱き上げてくれた。
母に優しく抱っこされた、その記憶は今もうっすらと残っている。チハルちゃんのことは、もうおぼろげで、顔かたちも覚えていないけど。
小学校に上がった頃、図書室で妖怪の本を読んだ。
その中で「ざしきわらし」という妖怪を知った。チハルちゃんはお着物じゃなかったけど、おかっぱ頭だったような気はした。そうか、チハルちゃんは、私にしか見えない、ざしきわらしだったんだ。だから、ママは気付かなかったんだ。
けど、一つ腑に落ちないことがあった。
「ざしきわらしがいる家は栄えるが、ざしきわらしが去ると、その家も貧乏になる」というくだりである。
うちは貧乏だろうか? 貧乏というのは、ボロボロの服を着て、雨漏りするような家に住むんだろうな。そうしたら、うちは別に貧乏じゃないかも。
「それって、イマジナリーフレンドってやつじゃない?」
中学校で知り合った同級生の
イマジナリーフレンドとは、子どもが作り出す「想像上の友達」のこと。子どもたちはイマジナリーフレンドと本物の人間と同じように会話したり遊んだりするという。
「成長過程の子どもによくある出来事だって。もしかしたら、美玖は想像力豊かな子どもだったんじゃないかなぁ」
香菜江はそういうと、ノートを取り出しつつ、興味深そうに私の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、どんな子だったか思い出してみない?」
私はぽつぽつと、自分の中の記憶を呼び起こしてみた。
・名前はチハルちゃん
・歳は私より少し上
・遊び場所は私の家の中
・来ているものは洋服で、少なくとも着物ではなかった
・髪の毛はおかっぱ、またはセミロングだった
・顔立ちはあやふやだが、極端なブスではなかった
「――極端なブスではなかったって……アンタ……」
香菜江が大笑いした。彼女のノートには、シンプルなワンピース姿のおかっぱ頭の女の子が描かれていた。顔は「へのへのもへじ」だったが。
「元気だった?」「何とかね、そっちも元気そうじゃん」
高一の夏休み、久しぶりに香菜江と会った。頭の良い彼女は、私よりも一ランク上の高校に進学した。あんなに優秀な彼女が「周りのみんな頭が良くて自己嫌悪になりそう」とぼやくことに驚いた。夏休み中だというのに、ほぼ毎日のように学校に通い、夏期講習なども受けているそうだ。
私は私で、合唱部の練習が楽しくも忙しく、これまた夏休みだというのに毎日通って練習に明け暮れている。
今日は久しぶりに、一緒に遊ぼうと待ち合わせしていたのだ。と言っても、カラオケ行って近くのショッピングモールをぶらぶらするくらいだけど。
「――そういえばさぁ、昔、チハルちゃんの話をしてくれたじゃない?」
カラオケボックスでポテトをつまみながら、香菜江が言った。相変わらず記憶力のいい子だ。
「え? ああ、そんな話をしたよね。あれで私、イマジナリーフレンドって言葉を知ったんだけど」
「……それなんだけどさぁ、もしかしたらそのチハルちゃんって、実在していたかも」
「え?」
「チハルちゃんの記憶って、美玖が四~五歳ころのことでしょ?」
「うん、たぶんね」
「で、チハルちゃんはちょっと年上だったってことは、小学生くらいだよね」
「うーん、そうなるよね」
「ついでに聞くけど、美玖って子どものころ××地方に住んでいたって言ったよね?」
「うん、うちってパパが転勤族だったみたいで、あちこち引っ越すことも多かったんだよね……けど、それが?」
香菜江は、一枚のチラシを差し出した。私は息を吞んだ。一気にあの頃の記憶が甦った。
――小林千春ちゃん(当時6歳)を探しています!
平成××年×月×日(×曜)の午前六時頃、××県××市××区××町二丁目の大通り付近で行方不明になっています。
小林千春ちゃんの身長(当時):115㎝、やせ型
特徴:おかっぱ頭、左目下に約2㎝の小さい傷痕あり、前歯が1本欠けている
当時の服装:ピンクのジャージズボンにピンクのフード付きスウェット、白いソックス、ピンクのスニーカー
※お心当たりの方は××警察署までお電話ください。
「ねぇママ、聞きたいことがあるんだけど」
帰宅後、私は香菜江からもらったチラシを黙って見せた。母は声こそ出さなかったが、その表情から相当驚いたことが分かる。私はやっぱりと感じた。
「……これ、どうしたの?」
「香菜江ちゃんがくれたの。クラスメイトに、××地方出身の子がいて、その子の地元で配っていたって……」
チラシに印刷されていた、ピースサインをしている女の子。どうして忘れていたのだろう。いつも一緒に遊んでいたお友だちなのに。
「うちに来ていた、チハルちゃんって、この子だよね。どうしてママは、あの子のことを知らないと言ったの?」
母は大きくため息をつくと、チラシを取り上げてじっと見つめ、しばらく黙っていた。
「ねぇママ――」
「美玖、あなた『放置子』って言葉、知ってる?」
焦れたような私の声を封じるように、母がそう切り出した。
母の話を要約すると、こうだ。
チハルちゃんこと、小林千春は、いわゆるネグレクトの被虐待児だったらしい。それを気の毒に感じた母が、何度か声をかけたりするうちに家に居つくようになった。しかし、それが災いして彼女は、事あるごとに母にまとわりつくようになったのだ。
「下手に仏心を出すのも考え物なのよねぇ」
最初こそ、母になつく様子もいじらしいと感じていた母だったが、甘えっぷりとわがままな態度が日に日にエスカレートしていったらしい。
「そうだったの? 私自身は一緒におやつを食べたり、遊んだりした記憶がうっすら残っているだけなんだけど……」
「例えば、あなたを抱っこするでしょ。そうすると『ずるい!チハルちゃんも抱っこして』と脚にしがみついてくるわけ。おやつを出しても『美玖ちゃんのケーキのほうが大きい!ずるい!』って文句を付けるのよ。まぁ、今思えば実の親に愛されなかった子どもゆえの愛着障害みたいなものかもね」
放置子にありがちなのだが、頼るべき大人を見つけると、その大人の愛情を独り占めしたがるという。チハルちゃんは、実の娘である私を差し置いて母の愛情を独占したがったというわけだ。
「幸か不幸か、ちょうどこの頃、パパが長期出張中だったのよ。なので、いい加減手に負えなくなったから、ママも荷造りをしてしばらく実家に帰ることにしたの」
思い出した。確か、お彼岸の頃だったと思う。幼稚園をお休みして、祖母の家に遊びに行き、お寺参りに行ったり、祖母のおはぎを食べたりしたことがある。結構長いこと祖母の家で暮らしていたような記憶がある。祖母宅の庭に出入りしていた三毛猫を撫でたことまで思い出した。
「ま、連休もあったし、ほんの一週間くらいだったけどね」
一週間、誰も家にいなければ、さすがのあの子もあきらめるだろうと踏んでいた母だが、さすがに行方不明になっていると聞いたときは仰天したという。
「ご近所でも、チハルちゃんのことはもうみんな知っていたから『ああ、またか』くらいだったみたいね。でもね、そうは言っても、自分が中途半端な仏心を出したせいかと思うと、何とも後味が悪くて……」
母のもとにも警察が訪れたりしたらしいが、何一つ手掛かりがないまま、年月は過ぎて行った。そして、その事件から半年後には父の転勤で、私たち一家は別の県に引っ越していったのだ。
「そんなことがあったからね、あなたにはチハルちゃんのことを思い出してほしくなかったのよ。だから、いなかったことにしたの」
「そうだったんだ……。チハルちゃん、今どこにいるのかなぁ……」
「さぁね。生きていればいいけど……」
母の「けど……」の後の言葉は、おそらく否定的な意味のものだろう。
※
久しぶりに懐かしい子の話が出てきて驚いた。あの日のことは今でも覚えている。真夏の公園で、汗びっしょりの姿で、ぼうっと突っ立っていた女の子。サイズの合わなくなってきたワンピース一枚で、髪の毛もボサボサ。粗末なサンダルをつっかけて、半開きの口でぼうっとしていた。視線の先にはブランコで遊んでいる同年代と思われる子どもたちの姿。
既にママ友の間では噂になっていた、チハルちゃん。近所のアパートで母親と二人暮らしの女の子。母親は何をしているのか分からないが、数日間子どもを置き去りにして帰ってこないこともあるという。たまに帰って来ると、決まって男連れ。それも毎回違う胡散臭い男だという。今もそうだが、児童相談所に通報してもあまりアテにはならなかったようだ。相談員が訪問しても不在、いたとしても居留守を使われたりすると、手の出しようもないらしい。
「お嬢ちゃん、どこの子? 暑いでしょう。うちでジュースでも飲まない?」
そう言った瞬間の彼女の目の輝きは、子どもらしい素直さに混じって「獲物を見つけた!」かのようなしたたかさも秘めていた。私は右手で娘の手を、左手でチハルちゃんの手を握り、家に連れて帰った。
良いターゲットを見つけた、とチハルちゃんは幼いながらも感じたことだろう。程なく、毎日のように我が家にやってきては、やたらとまとわり付き、ジュースが飲みたい、アイスが食べたいと甘えるようになった。庭でビニールプールを広げ、水遊びを始めようとした時は、我が子を押しのけてプールに入ろうとしたっけ。
「チハルちゃん、今度おばちゃんと二人でお出かけしようか?」
秋のお彼岸が近づいてきた頃、私はチハルちゃんを誘った。ちょうど美玖が遊び疲れて、うつらうつらとしているとき、こっそりと耳元で囁けば、チハルちゃんが飛びつくのは目に見えている。
「本当? おばちゃんと二人で? 美玖ちゃんは?」
一応、美玖に遠慮している体裁を装いつつも、その目がギラついているのが分かる。彼女は私の愛情を独り占めしたいのだ。二人っきりでお出かけなんて、最高に嬉しいイベントだ。
「美玖ちゃんは、明日おばあちゃんのお家に連れて行くの。だから、チハルちゃんとおばちゃんの二人っきりだよ~」
「やったぁ!」
飛びついてきたチハルちゃんに向かって、私は人差し指を口に当てて「しーっ」と促した。
「美玖ちゃんには内緒、みんなにも内緒だよ、誰にも言っちゃだめだよ~」
「うん、分かった! ママにも言わない」
指切りげんまんをして、明後日の朝早く、こっそりおいでと伝えた。時間指定などしなくても、早朝から押しかけるような子だ。意気揚々とやって来ることだろう。
その日の夜、チハルちゃんは「お出かけの準備をする」と言って早々と帰っていった。私はすぐさま荷造りをして、娘と共に車に乗り込むと実家に向かった。
母は久しぶりの孫の来訪に喜んだ。私はかいつまんで事情を説明した。いわゆる放置子が我が家に付きまとっていて困る。しかも実の娘の美玖に嫉妬して嫌がらせをするので、一週間ほど預かってほしいと訴えた。
「そんなん一週間で済むかいな」
母はやや呆れ気味に言ったが、それでも「あんじょうやりなはれ」と言ってくれた。早々に家に戻ると、諸々の準備を進める。途中、公衆電話から得意先のバイヤーに案内の電話をかけるのも怠らない。
案の定、チハルちゃんは朝の六時にチャイムを押してきた。インターホン越しに裏の勝手口から入るように伝えると、素早く飛び込んできた。いで立ちはピンクのジャージとスウェット、ピンクのスニーカーと、彼女なりのおしゃれをしているようだ。
テーブルの上の大きなお弁当箱用の重箱を見た途端、チハルちゃんの目が輝く。お出かけに心底ワクワクしているのだろう。
「おばちゃん何作ったの?お弁当の中を見てもいい?」
「だぁめ、今見たらつまんないでしょ。お昼までのお楽しみだよぉ~」
「え~、見たぁ~い」
そうは言っても、今日は素直に言うことを聞くチハルちゃんだ。
「さて、チハルちゃん。今日はおばちゃんの運転する車でお出かけだからね。念のため、車の酔い止め飲んでおこうね」
「うん、分かった」
私が差し出した錠剤を素直に飲み、チハルちゃんはニカっと笑った。ちょうど生え変わりなのか、前歯が一本抜けていた。
小一時間後、私はスーツケースと共に家を出た。車にスーツケースを積み込み、そのまま車を走らせる。連休初日とあって、午前中にも関わらず道は混んでいた。それでも目的地の「道の駅」にはさほど遅れず到着できた。ご当地キャラの顔ハメ看板がある辺りの駐車場に車を止めると、私はバッグを手にイートインスペースに向かった。アイスコーヒーを注文して一息ついていると、隣に一人の男がやってきた。
「どうも」
「どうぞ」
短い挨拶。私と男は車の鍵を交換した。
「左側の朝市やっているところだ」
「右側の顔はめ看板の前」
互いにそう告げると、私たちは別れた。
同じ型の車が、男の言う通り朝市コーナーのそばにある。男は私の車に乗り込む前に、ちょっとだけ頭を下げた。私も軽く会釈を返した。私は朝市コーナーでホウレンソウとナスを購入すると、男の車に乗り込んだ。みな、朝市コーナーでの買い物やお土産漁り、買い食いなどに夢中で、私たちが車を交換したことなど気づきもしない。
乗った車のダッシュボードを開くと、分厚い封筒が一つ。今回の報酬だ。これで娘の小学校の費用の足しにできる。私はにんまりとほほ笑み、ハンドルを握った。ここから実家は一時間弱。母に、さっき買ったナスで、好物の煮びたしでも作ってもらおうかと、助手席の野菜を見ながら思った。
そう、私はチハルちゃんを売り飛ばしたのだ。酔い止めと偽って睡眠薬を飲ませ、眠ったところで手足を縛り、スーツケースに詰めて車で移動。合流地点で互いの車の鍵を交換し、何食わぬ顔で乗り換える。男はチハルちゃんを、私はその報酬を互いに受け取って帰るだけだ。
この世の中、小さい子に欲情する男は少なくない。私のクライアントたちは唸るほどの金を持ち、その金で己の欲望を何としてでもかなえようとする男たちだ。
そこで私は、放置子をさらっては彼らに売り飛ばすのだ。我が子を顧みないような親たち、かまってくれる大人を探し出しては勝手にまとわりついて甘えてくる迷惑な子どもたち。そんな近所迷惑な放置子らは、行方不明になっても周囲から「せいせいした」と言われ、いずれ忘れ去られる。親が周囲に我が子を失ったことを訴えたところで「子どもに無関心なお前のせいだ」と責められるだけ。
実家に戻ると、母と一緒におはぎをほおばっている娘の姿があった。私は母に、朝市で買った野菜を見せた。母も嬉しそうにほほ笑んだ。私は持参した重箱を広げる。美玖の好物の稲荷寿司がぎっしり詰まっていて、美玖が満面の笑みを浮かべた。
私たちが実家でおはぎや稲荷寿司を食べ、近所のお寺にお参りに行っている間に、チハルちゃんは男どもの餌食になっていたことだろう。得意先のバイヤーは、セールスから「アフターケア」まで完璧だという噂だ。その後あの子がどうなろうと、私の知ったことじゃない。まぁ、おおよその予想は付くが。
ペドフィリアはもちろん、ネクロフィリアもいる。その双方を抱えている連中だっている。加えて、非合法でも良いからと子どもの臓器移植を望んでいる人たちも。あの子は余すところなく「活用」されたことだろう。
実家で一週間ほど過ごした後、家に戻るとチハルちゃんの行方不明の話を聞かされた。我が家にも警察がやってきたが、知らぬ存ぜぬで通した。当時はまだ防犯カメラの設置も少なかったから、少し離れた信号機の周辺で歩いていたチハルちゃんの姿が辛うじて残っていた程度。加えて「ご近所の噂」で、最近のチハルちゃんの迷惑ぶりに、私たちが実家に逃げていたことも知っている。何よりも私は「母親」である。
後に、近所の引きこもり気味の男性に嫌疑がかかったという噂も聞いた。一児の母である私よりも、男の方が疑われるのは、気の毒だがよい目くらましになったようだ。
※
転勤族の夫のせいで、私はあちこちで良い「商売」をさせてもらった。どこに行っても、親の資格のない親と、迷惑な子らがいる。ならば「有効活用」させてもらってもバチは当たらない。美玖にとっては、チハルちゃんは幼かったころの楽しくも悲しい思い出だったかもしれないが。
そうだ、もし美玖がこの先結婚して子どもが生まれたら……そして美玖の子育て中に、迷惑な放置子がいたら……。
その時は、再び、私の出番だ。
チハルちゃん 塚本ハリ @hari-tsukamoto
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