第5話 居場所
目を覚ました時、視界が真っ暗で動揺したが、それが布で覆われているだけだとわかってアルエットは少し安堵した。帝国兵に城から連れ出され、その途中で気を失ってしまったらしい。
「気が付いたか、敗戦国の王女よ」
急に離れた場所から男の声がして、アルエットは縮み上がる。
「敗戦国……」
つらい現実を耳にして、アルエットの声は沈んだ。
「エグマリン国王や王妃のように泣き喚いて無駄な命乞いをしてもいいのだぞ」
男は笑い飛ばしたが、アルエットは黙ったまま俯いていた。
痛いのは嫌いだ。死ぬのはこわい。でもあがいても仕方のないことだ。せめて、死ぬ前にフェザンに会いたかった。
うなだれるアルエットの耳に、遠くから石の通路を歩いてくる足音が聞こえた。処刑場に連れていかれるのかもしれないと思うと、体が震えだして呼吸が速くなった。
――助けて。
喉が引き攣れて声も出てこない。
「今すぐ鍵を開けろ」
立ち止まった男の声に、アルエットは息を吞んだ。
「よろしいのですか、殿下?」
「かまわない。陛下にも話は通してある」
鍵の外れる重い金属音が聞こえて、誰かが牢の中に入ってくる。
アルエットの鼓動は早鐘のようにうるさく鳴っていた。
――まさか、そんなことがあるはずがない。
誰かが、アルエットの頭に触れて、びくっと肩をすくめたが、どうやら目隠しをしている布の結び目を解いているだけだとわかった。
「アルエット、遅くなって悪かったな」
はらりと布が外されれば、目の前には会いたいと切望していたその人が申し訳なさそうに眉根を下げてアルエットの頬を撫でていた。
「フェザン……どうして……」
最愛の人に会えて嬉しさがこみ上げてくる反面、戸惑いで胸がいっぱいになる。
「フェザン・ロシール・ディエルシカ、それが俺の本名だ」
ディエルシカ王家――
この大陸において、クライノートを強大な帝国にまで築き上げた王家の名を知らない者はいない。
「父が宣戦布告した国がアルエットのいる国だとは知らなかった。すべて奪った俺を君は赦してはくれないだろう?」
拘束していた麻縄を短剣で切りながら、フェザンはアルエットに瑠璃色の瞳を向ける。
アルエットが首を大きく横に振ると、長いストロベリーブロンドがゆるゆると揺れた。
「あなたは何も知らなかったんでしょう? 仕方ないわ」
「ああ、本当にアルエットは優しい。迎えに来た甲斐があったよ」
ぎゅっと抱きしめられ、その温もりにアルエットの瞳から涙がこぼれた。
「フェザン。会いたかったの。もう忘れられたかと思っていた……」
「こわい思いをさせて悪かった。これからは俺が君を守るから」
絶望の中に、一つだけ希望があった。それも、これ以上ないほどの希望と幸福だ。
肉親や国を失った王女が今の状況を幸せだと思うことに罪悪感がないわけではなかったが、溢れる気持ちは止められない。それは誰にも。
アルエットはフェザンに抱き上げられ、彼の部屋に運ばれた。
「もう君のそばを離れることはない」
フェザンはそう言ってアルエットに温かなキスをした。
「私の居場所はあなたの腕の中と言った気持ちに変わりはないわ」
「愛している、アルエット」
吸い込まれるような瑠璃色の隻眼に見つめられて、アルエットの胸は熱くなった。
※
「君を苦しめる者は誰もいなくなった」
朝日の中、深い眠りに落ちているアルエットの白い頬に口づけたフェザンはそう言って、柔らかな髪を指に絡める。
「もう少し眠っていて」
そう囁いてフェザンは彼女を起こさないようにそっと部屋を出ると、廊下に控えていた侍従に声をかける。
「アルエットが起きても誰も部屋に入れるな」
「かしこまりました。しかしわざわざ国を滅ぼす必要があったのでしょうか?」
「アルエットを傷つける者は生きている価値がない。当然のことだ。それに、サリアン王家の生き残りを妻に迎えたとエグマリンの民が知れば、帝国へ対する暴動もすぐに治まるだろう」
話しながらフェザンは父の待つ皇帝の間へ向かっていた。
「そこまでお考えでしたか……」
感服したように侍従がうなる。
「それに、これでアルエットは俺以外に頼る人間がいなくなったというわけだ」
フェザンは薄く笑って侍従をその場に残すと、歩を速めた。
半年前、病によって片目の視力を失い、戦場の第一線に行くのが無理ならば皇太子の権利は弟に譲れとフェザンは父に冷酷に宣言された。それまで父に抱いていた信頼感はそこで崩れ去る。
いっそのこと第一線などと温い目標ではなく、一国を落としてしまえばいいと彼はふと考えた。療養という名目でミスダールに入り、攻め込みやすそうな国はないかと情報を集めていた時だった、アルエットに出会ったのは。
子どものように泣きじゃくる薄い桃色に変わる不思議な髪の色をした彼女は、天使か妖精に見えた。
使い物にならなくなった忌々しいフェザンの右目を綺麗だと言い、何の疑いもなく接してくる純粋な心の彼女に心酔するのに時間はかからなかった。聞けば周囲からは虐げられているという。
クライノート帝国の皇太子に求婚されればそれを断れる王侯貴族はいない。しかし、フェザンが欲しかったのはアルエットだけだった。
彼女の帰りを尾行し、身を置いている屋敷を調べ、その所有者を特定することは容易なことだった。
あとは計画通り、エグマリン国を落としたまで。一途でしがみつくような彼女の瞳を思い出しただけで心が熱く震える。
「俺の居場所はアルエットの心の中だけ」
これからも、彼女を傷つけようとする者は容赦なく排除するつもりだ。
それが、たとえ肉親であったとしても――
「フェザンです。報告があって参りました」
笑みを浮かべ、フェザンは皇帝の間の扉をノックした。
了
隻眼皇太子の惑溺 宮永レン @miyanagaren
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