第1話 孤独な王女

 夜会の主催であるエグマリン国の第二王女であるアルエット・リュシュ・サリアンは、くすんだ金髪を一つにまとめ上げただけで一粒の宝石も乗せていなかった。身に着けているドレスはいつも流行遅れのデザインだ。


 アルエットは人目を避け、月明かりに照らされたバルコニーへ出る。冬の澄み切った空気に吐息がかき消えた。


 早く夜会が終わればいいのに――。


「誰かと思えば、アルエット王女殿下ではありませんか?」


 突然背後から声をかけられ、驚いて振り返れば、そこにはにこやかに微笑む青年が立っていた。


「姉は一緒ではないのですか、ジェルマン様?」


 白い息を吐きながら、アルエットは目線を大広間の方へ向ける。


「デルフィーヌなら、あちらで友人たちと世間話に花を咲かせていますよ」


 国王と王妃の間に生まれた第一王女デルフィーヌは華やかな容姿と共に、溢れる自信で人々を惹きつけていた。彼女が欲しいと言えば手に入れられないものは何もないと言われているほどだ。


 今アルエットの目の前に立っている青年も公爵家の嫡男で、デルフィーヌが望んだ婚約者だった。


「それより、いつも一人でいるあなたの方が気になるのです」


 舐めるようなねっとりとした視線がアルエットの頭の先からつま先に向けられ、彼女は寒気を覚える。


「お願いですから私のことは放っておいてください。独りでいるのが好きなのです」


 伸びてきた手を振り払って、アルエットは駆け出した。

 大急ぎで大広間を突っ切り、たった一人で自室へ向かうと扉をバタンと閉じる。


 ――見られていなければいいけれど。


 走ってきたので、心臓が痛い。


「独りでいるのが好き、ですって……」


 自分の口から出た言葉に自嘲気味な笑みが生まれる。

 デルフィーヌと同じ王女でありながら、その扱いはまったく異なっていた。


 正妃はデルフィーヌを出産後、体調が優れず子がもてない身になってしまった。どうしてもサリアン王家の男子の世継ぎが欲しいと、二番目の妃との間に産まれたのがアルエットだった。しかし第二王妃はアルエットを産んですぐに命を落としてしまい、結局三番目の妃との間に待望の男子が誕生したのだった。おかげでアルエットは中途半端な存在になってしまった。


 修道院へ送られる話もあったが、戦果として王女を欲しがる貴族も少なくないということで、政略の駒として、いつ降嫁してもいいように教育を受けている。

 しかし、それを面白く思わないのが、正妃とその娘デルフィーヌだった。アルエットを不義の子と呼び、幼い頃からひどい仕打ちをしてきた。


「アルエット!」


 しんと静まり返っていたはずの冷えた室内にびりびりと険悪な声が響いて、床に座り込んでいたアルエットはびくっと肩を震わせて振り返った。


「デルフィーヌお姉様……」


 大きく開かれた扉の向こうから、早足で近づいてきた女性の平手が飛び、アルエットは頬を押さえて痛みに堪える。


「なぜ叩かれたのか、わかるかしら?」


「いいえ……」


 頬の内側を切ったのか、かすかに血の味がした。


「とぼけるなんていい度胸ね。私のジェルマン様を横取りしようとして! あなたなんか相手にもされないのがわからないの? 図々しいのよ!」


 ぴしっと鋭い音がして、アルエットはデルフィーヌの手元を見て身を震わせた。ここへ来る前に部屋から鞭を取ってきたのだろう。


「脱ぎなさい」


 澱の溜まったような昏い声が降ってくる。いやだ、やめてと今まで何度懇願しただろうか。それが叶わないことがわかっているから、アルエットは恐怖でおぼつかない指先でドレスの留め具を外していく。


 背中が露わになるとデルフィーヌが背後に立った。その途端に焼けるような痛みが走り、アルエットは悲鳴をあげた。


「あなた、目障りなのよ。さっさと消えてちょうだい」


 さんざん鞭を振るった後、デルフィーヌは吐き捨てるように言って部屋を出ていった。



 そして翌日、国王に呼び出されたアルエットは腫れ上がった背中の痛みを堪えながら、信じられない言葉を聞いた。


「アルエット。お前にはしばらく一人でミスダールに行ってもらう」


「避暑地にですか? こんな時期に……?」


 エグマリン国や領土争いをしている周辺国でも、その領地だけは各国の避暑地として共有財産の協定を結んでいる。ミスダールは、はるか昔から王侯貴族の保養地としても厳重に管理されていた。

 しかし、本来ならば真夏の暑さをしのぐための観光地という印象の方が強い。そんな時期外れにそこを訪問するのは、何か事情を抱えて世間から姿をくらましたい人間しかいない。


「デルフィーヌが泣いて訴えてきたのだ。妹が婚約者を誘惑しようとしている、とな」


「それは誤解で……」


「事実だろうが、嘘だろうが、大衆紙に面白おかしく書かれでもしてみろ。王家の顔に泥を塗るつもりか! デルフィーヌが公爵家に無事に入るまで戻るでないぞ!」


 きつく叱責され、アルエットは俯いた。

 デルフィーヌの結婚は半年後だ。それまで慣れない土地で過ごせということなのか。


 ――私の居場所はどこにもないの?


 頭を下げ、のろのろと王の間を出たアルエットの瞳からぽろりと涙の粒が零れた。

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