俺はまだ、星は摘めない。
えんがわなすび
プラネタリウム
昔、祖父に連れられて、初めてプラネタリウムに行った。
「ほら、あれがオリオン座だ」
しわくちゃな指が、真っ暗闇の先に灯る人工的な光をすっと指す。その指先が僅かに揺れているのは単におじいちゃんの手が震えているのか、それとも寝そべったまま手を上げるのが辛いのか、僕には判断できなかった。
芋虫が痙攣するように揺れる指先を追うと、砂時計のような形をした光が目立って見えた。意識の外側では、ゆったりとしたナレーションがオリオン座について解説している。
「実際の空を見ても、こんなにはっきり星は見えないよ」
「そうだなぁ」
おじいちゃんは不満そうな僕の言葉に、ははっと笑う。椅子に寝そべった薄い身体が上下して、僕たち以外誰もいないプラネタリウムにおじいちゃんのしゃがれ声が響く。真っ暗な空間ではその人工的な光はよく見えたが、隣にいるはずのおじいちゃんの表情はよく見えない。
そうしてゆったりとしたナレーションが次の星座の解説を始めた頃、ふいにおじいちゃんの揺れる指が空に向かって、ひょいと何かを摘まむような動作をして自らの口に持っていった。
「おじいちゃん、何やってるの?」
「ん? ああ、これはなぁ。星を食べてるんだよ」
僕は、はあ? という言葉を咄嗟に飲み込むことに成功した。僕が困惑している間に、おじいちゃんはまたひょいと何かを摘んで口に含む。
「あのさ、おじいちゃん……」
その先の言葉は喉の奥でつっかえた。子供の自分から見ても随分と老いている彼が、とうとう呆けてしまったのかと子供ながらにショックだった。それも、こんな誰もいないプラネタリウムのど真ん中で。
その時僕の頭の中では、呆けた彼を連れてこの後ちゃんと家に帰れるのか。親に連絡した方がいいのではないか。そんなことをぐるぐると考えていた。
ひょいひょい動く腕を視界に入れたくなくて、僕はおじいちゃんから視線を逸らす。そうして見上げた漆黒の空に、ふと違和感を覚えて僕は瞬きを繰り返した。
「あれ……?」
さっきまで見上げていたオリオン座の星数が減っている気がしたのだ。気のせいかと思っていると、まるで虫食いのように灯火を失ったそれを隣からしわくちゃの指がひょいと掴む。
手を伸ばしたところで漆黒の空には届くはずなんてないのに、まるで毟り取られたようにオリオン座からまた星数が減った。ぎょっとして隣を見る。
「おじい、ちゃん……?」
星を摘みとった彼は、美味しそうにそれを口に含んでいた。
「ああ、美味い。美味いなぁ。なぁ、拓馬。おじいちゃんはなぁ、冬の星が好きなんだよ。こんなにも輝いとって、冷たくて、美味い。こんな美味いものは他にない。でもなぁ」
一心不乱に星を喰い漁っていたおじいちゃんは、そこで一度言葉を切って僕の方を見た。
「でもなぁ、拓馬。わしが一番食べたいのは、ほら、一等高いところにいる北斗七星だ」
もうわしの腕はそこまで上がらん。
そういって口の端をきゅーっと上げて笑ったおじいちゃんの身体は星を喰いすぎたのか、夜空に紛れる六等星みたいに発光していた。光を盗み食いされたプラネタリウムは闇のように暗かった。
それからどうやって帰ったのか覚えていない。どうして祖父が星を食べていたのかも分からない。
あのプラネタリウムに行った次の日、祖父は前触れなく死んだからだ。
母親が起こしに行ったときにはもう布団の上で口から涎を垂らして事切れていた。俺にはその涎が発光していたように思えるが、今となっては記憶違いだったかもしれない。
祖父は星を喰いすぎたから死んだのか。それとも、あの北斗七星を食べられなかったから死んだのか。その答えは得られない。
窓を開けて空を見上げる。都会の中ではあの時のプラネタリウムのような星数は見えないが、今日はいつもより星がよく輝いて見えた。冬の風が頬を撫でつける。
あの時隣に寝そべった祖父がやったように、俺は夜空に浮かぶ星に向かってひょいと摘む動作をしてみる。
口元まで持っていった指先に、光るものは何もない。
俺はまだ、星は摘めない。
俺はまだ、星は摘めない。 えんがわなすび @engawanasubi
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