ア、秋

青切

ア、秋

 嵐山光三郎さんの「文人悪食」(新潮文庫)をスマートフォンで読んでいたら、志賀直哉の「剃刀」が読みたくなった。

 そのため、そのまま、スマホを操作して、著作権切れの作品が無料で読める「青空文庫」で「剃刀」を読もうとしたが、「剃刀」は青空文庫にはなかった。

 それもそのはずである。志賀が死んだのは1971年。けっこう最近に死んだ人なのだ。著作権が切れるのは、今のところ、2042年で、まだ、だいぶ先。同年に内田百閒も死んでいるので、彼の著作も、少なくとも2042年になるまで、青空文庫に載ることはない。いま、読むことができたら、人気が出ただろうなあ。

 志賀は数えで89、内田は83まで生きたので、もう教科書上の人物なのに、こういうことが起きる。

 残念に思いつつも、そういえば、志賀の「范の犯罪」、内田の「件」を読もうとした時も、同じようなことが生じたのを思い出した。年のせいか、同じ事を繰り返してしまった。


 ここで、ちょっと、著作権についておさらいしておこう。

 著作権は、著作者が死亡してから70年を経過した年の年末まで存続する。基本的に、死んでから、70年と数か月が立たないと切れない。


 閑話休題。志賀や内田とは逆に、同年代や年下でも、彼らより早死にした連中には、著作権が切れている者もいる。

 代表的なのは、やはり、芥川龍之介と太宰治であろう。

 芥川は1927年に死んでいる。1967年以前の物故者の著作権は50年なので、1978年に切れた。

 彼は36で死んでいるので、もし、80、1971年まで生きていれば、まだ、著作権は切れておらず、我々は青空文庫で気軽に芥川の作品を楽しめていない。「藪の中」「芋粥」「鼻」「蜘蛛の糸」「杜子春」……。

 太宰はどうであろうか。彼は1948年に死んだので、著作権は1999年に消滅している。

 もし、太宰が80まで生きていれば、1989年に死ぬことになるので、著作権が切れるのは、2060年になる。

 ちなみに、三島由紀夫は1970年に死んでいるので、著作権が切れるのは2041年。


 「ア、秋」という、このエッセイのタイトルは、太宰治の随筆のタイトルをそのまま持って来た(ちなみに、タイトルに著作権は適用されない)。

 星新一も評価している名エッセイだが、たとえば、いま、この文章を読んでいて未読の人には、青空文庫で読んでらっしゃいと気軽に言える。インターネットで無料で読めるからだ。

 そう考えると、著作権が切れているのは私に好都合だが、太宰が自殺に失敗して、その後も小説やらエッセイやらを書いていたらと想像すると、果たして、私個人にとって、得な話なのか、損な話なのかはわからない。後期の太宰治の作品が好きな私としては、おそらく、損な話なのだろう。

 太宰が長生きしていたら、どういう作品を書いていたのか考えると楽しいが、芥川はちょっと想像がつかない。


 いま、だれに頼まれたわけでもないのに、「架空の星新一傑作集を勝手につくろう!」というタイトルで、千篇以上ある星新一の作品を読み直し、評価づけをしている。

 ちなみに、星新一は1997年に死んだので、著作権が切れるのは、少なくとも、2068年を待たねばならない。おそらく私は生きていないだろう。2068年宇宙の旅。

 そのためもあり、評価づけの寸評の中で、著作からの引用は一切していない。借りているのは、タイトルだけである。


 ではでは。秋の夜長に、青空文庫なんぞを覗いてみるのも、創作活動の足しになるのではないかな。

 たとえば、太宰治の「ア、秋」など。おもしろくて、創作の参考になるよ。

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ア、秋 青切 @aogiri

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