小さな"絵師"に恋をした。

ラスピアス本田

小さな"絵師"

 コミフェス――一次創作や二次創作が飛び交う巨大なイベントだ。

 『本堂肉マル』こと、本名『小田原修二』はそのコミフェスで【肉マル本舗】というサークルを出していた。

 しかも夏コミフェス、つまり夏コミと言うやつだ。

 夏の暑さに耐えながら、新刊や既刊を用意し、設営を終えていざコミフェス……。そこから今の今まで売り続けていた。


「肉マル先生……ですか!?」


 ワクワクと嬉しさをひけらかして聞く青年。

 こう聞かれるのも無理はない。

 この俺、本堂肉マルは総SNSフォロワー数が150万人を誇る超大人気イラストレーターなのだ! ……と言っても、実際俺の力だけではない。

 俺がこの名前で始めて、なおかつ頑張ってこれたのは二人の恩人のおかげだと思える。

 一人は俺と同じイラストレーターであり幼馴染の先輩でもある『サーニャ・リクス』こと『音駒ねこま紗奈』

 そしてもう一人は、俺が最初期から活動しているときに手助けをしてもらっていた。最古参のファンことニックネーム『ワン太郎』だ。

 ただ、二人にはかなりお世話になっていたものの、未だワン太郎に会ったことはない。

 いつか出会うことができたら、一度お礼を言いたい。

 今回のコミフェスも、頭の片隅ではワン太郎が来てくれたらいいな――なんて思いがある。

 そう言ってしまえば、なんだか出会い厨みたいに思われてしまいそうだが……そもそもワン太郎が男か女か分からない時点で出会いフラグは折れる。

 ――下手をすれば年上かもしれないからな。うん。

 

「ねぇちょっと、イケメンがロリ百合本書いてるんだけど!」


「えっほんとだ! 一冊ください!」


 そう、俺はイケメン(周りがそう思ってるだけ)なのにも関わらず"ロリ"というジャンルでかつ"百合"ジャンルの本を書いているのだ。

 二次元のロリが好きな『ロリコン』という分類に属する俺は、普通の人から見れば一般的に迫害される。

 だが、俺はロリが好きでロリを描いているのだ。

 ロリコンという信念を貫き通し、SNSや作業配信、そしてみんなの力があって頑張ってきたからこそ、今の俺があるのだ! と思える。

 

「頑張ってるかーい?」


 頬に触れるひんやりとした感触。振り向くと先ほど買ってきたばかりであろう水の入ったペットボトルがもう一度、今度は額に触れた。

 触れたペットボトルを受け取り、見上げてみると、にやりと笑いながら「お疲れ様」と労いの言葉を投げてくれるサングラスをかけた女性。ラノベのキャラが印刷されているシャツが、何がとは言わない、引き伸ばされているところに少し目が向いてしまう。

 サングラス越しでも綺麗なのが丸わかりなんだけど、やっぱ大きいな。


「あっ、お疲れ様です先輩」

 

「……サーニャでいいのに、私達の仲なんだからさ?」


 そう言ってムッとしながら、不貞腐れるようにスペースの空きに座って頬杖をつくのは音駒紗奈だ。

 神のイタズラか、隣のスペースに紗奈のスペースが来たのだ。

 よって、先に新刊や既刊を売り終えた紗奈はちょっかいをかけるように俺のスペースへやって来ている。

 ――と、言ってもおそらく本当に労いに来たんだろうな、水持ってきてくれたし。


「――うまっ……! 染みるなぁ……」


 冷えた水が、今の今まで頑張ってきた身体の隅々まで染み渡る。まるで今の俺は水を得た魚と言えるだろう。いや、言わせて欲しい。

 

「そうでしょうそうでしょう! 何せ私が持ってきてあげたんですからね!」


 誇らしげにそう言うが、本当に水が欲しかったのでありがたい。

 なぜなら買うのを忘れていたからだ。

 開始1時間ほどでクソほど喉を乾かしていた俺からすれば、紗奈の姿はまるで女神。いや、それ以上だと思う。それほどに俺は感謝している。

 

「ははー! ありがとうございます、サーニャ様!」


「おいこら私の名前を様付けするな」


「いや、本当にありがたかったんですよぉ! 今日水持ってき忘れたもんで……」


「バカじゃない……? 水分補給はしっかりしないとダメって、コミフェスの公式も言ってるんだよ?」


「いや、本当に忘れてただけなんだって、本来なら持ってきてたんでしょうけど、今回はギリギリだったんですー!」


 子供のような言い合いをし続けつつも、すかさず買いに来た人には秒速で対応。

「新刊ですね! ありがとうございます! 新刊ですね!」――なんて事をしながら。


「ほらさっさと自分のスペースに戻ったらどうですか? 俺まだあるので!」


「へぇ、そういうこと言うんだ。じゃあ今日の打ち上げ肉マル君のお・ご・り・ね?」


「あっ、それはさすがに……」


「収益としては大半配信と依頼だと思うから、かなーりあると思うんだけど? それに私、前回"奢った"し?」


 サーっと俺は顔が青くなる。

 思い出した。前回の冬コミ、打ち上げで奢ったの紗奈だった。

 しかも俺、かなり飲み食いして万近いぐらい食べた記憶あるんだけど……。


「あっ、ああぁぁぁっ」


「ねっ?」


 俺は心の中で土下座をして――


「奢らせていただきます」


 降参した。


 ◇


 コミフェスは無事に終わったものの、結局ワン太郎が来ることは無かった。

 それか、"来ていた"のかもしれないが、俺のサークルに寄る時間はなかったのだろう。そうだとしたら少し悲しいが。

 そんな寂しい思いをちょっぴりと背負いながら、俺は紗奈とコミフェス終わりの打ち上げという事で個室居酒屋へやってきた。

 入るやいなや、初手で頼んだのは生2丁。それとタコワサや大好物のゲソ焼き。

 紗奈はポテトサラダと鮭の塩焼きというやけにご飯と合いそうなものをチョイスしてきた。


「んーじゃっ、コミフェス終わりってことでぇ!」


「乾杯!」


 ビールがやってきた瞬間、互いにジョッキを持って大きく乾杯を掲げる。

 そこから始まるのは――


「――っはぁ……結局ワン太郎さん来なかった……」


「修ちゃんも好きだねぇ、ワン太郎君の事」


「だって最古参だぞ!? それに、色々と手伝ってくれた恩だってあるわけだし……お礼ぐらいしたいよ……」


「まぁ、確かにね」


 ワン太郎がやってくれた恩とは、毎回投稿するイラストだったり、時折ご飯の美味しい店を教えてくれたり、ゲームをしたり……ファンと言うよりも、1人の友人として接してきたような感じがある。

 ――最古参の内の、その中でも一番最初のフォロワーでもあったのだ。

 そう考えてしまえば、俺が会いたいというのも仕方がないのかもしれない。

 ただ、会ってみてどんな人なのかというのも少しあった。

 ヤンキーが花に水をやってる姿を見て、ギャップ萌をするように、ワン太郎もまた、もしかしたらイケメンなのかもしれないと思えるからだ。


「――毎回と言っていいほど、ワン太郎って人、修ちゃんにリプ送りまくってたもんね。しかも感想長かったし」


「そうなんだよ! だから俺、結局の所お礼できたのフォローするくらいだし」


「ワン太郎……あれ、そういえばその子絵とかも描いてたよね。前に見たけど、凄く綺麗だった」


「……え?」


 初耳なんだが。

 すぐさまスマホを取りだして、フォロー欄からワン太郎を探し出すと、思いのほか直ぐに見つかった。

 フォロワー数12万人、気付かないうちにワン太郎もめちゃくちゃ成長していた。

 ――と、言うより今日までワン太郎がイラストレーターだということを知らなかった。

 画像欄からイラストを遡って見てみると、確かにイラストを描いていた。

 女の子キャラやファンタジックな背景イラストだったりと依頼だったり、暇つぶしで書いたであろうラフだったり、はっきり言えばとんでもなかった。


「……あっ、ワン太郎明日の部にサークル立ててる」


「はぁ!?」


 俺は思いがけず居酒屋全体に聞こえる程の声で驚きの声を上げた。

 んで、すぐさま店員が来て「失礼します。お客様、周りのお客様のご迷惑となりますので声をお控えください……」と、小さく注意された。

 本当に恥ずかしい。


「――ってか、それホントか!?」


「修ちゃん見てなかったの? 名前のところ、ワン太郎の横にあるよ?」


 ワン太郎の名前を見てみると、確かに明日の参加を示す文面があった。

 ただ問題なのは、明日のコミフェスの一般参加証を持っていないという事。

 時間は現在21時だ。今から走ったとして――


「先輩、スイカブックスの閉店時間って……」


「あと1時間、余裕あるから今行けば間に合う。

 戻ってくるまで私待ってるよ」


 俺はその言葉を聞いた瞬間、速攻で靴を履いて走ってスイカブックスまで向かった。

 着くと同時にレジで店員に向かって「コミフェス日曜日午前のリストバンドください」と、息切れになりながらもそう伝えた。

 多分店員は俺の勢いにビビっていたと思う。だって変な人を見る目で接客していたのだから。

 そして店員の口から伝えられる「午後しかないです……」の一言。

 だがそんなことはお構いなしだ。ワン太郎に会えるのならば。

 金を財布から取り出して急いで支払いを済ませた俺は、ふぅ……と間に合ったという達成感に浸りながらも、今度は居酒屋まで急いで戻った。




「おかえり、どう? 買えた?」


 息切れしながらも、俺はその言葉にグッと買ってきた『午後入場リストバンド』を差し出して、席に戻った。

 氷の入ったお冷を飲んで心を落ち着かせる。

 何とか買えたわけで、あとは明日ワン太郎と会うための準備だ。まぁそれは家に帰ってからやるとしよう。


「何とか買えたんだね、良かった良かった」


「あれ……でも先輩――」


 俺は思い出した。買っていたのが自分のリストバンドだけだったということを。

 やらかした。


「――大丈夫。元々私も欲しい本あったし、実は両日買ってあるんだよねぇ」


 そう言うと、紗奈はバッグの中から財布を取りだし、そこから半分に折られている1枚のリストバンドを取り出した。

 そこには『午前入場』と書かれたコミフェスのリストバンド。

 用意周到だったらしい。

 にんまりとしながら、ヒラヒラとさせている紗奈に、俺は内心ほっとしつつ「せんぱぁい……!」と、安堵の言葉を呟いた。


「でもまぁ、忘れて"いた"という事実には変わりないし……」


「えっ、なんですか先輩その顔」


 紗奈の顔はにんまりとした笑みから考えるような素振りをしつつ、何かを含むような口調に変わり――


「明日ワン太郎君に会いに行くの……私も一緒に行かせてもらおっかな」


 と、紗奈はジトッとした目で俺を見ながらそう言った。

 ――なんだ、いつもの事じゃないか。

 正直、こういう事は何度もあった。

 俺からしたら"いつもの事じゃないか"なんて思えるほど。てか、思ったけど。

 ただ、ワン太郎は困惑しないだろうか? ただでさえ俺が初めて会いに行くというのに、おそらく面識のない紗奈を連れていくのは。

 そんな心配が頭に浮かぶが、すかさず紗奈は「ワン太郎君は困惑しないと思うよ?」なんて言ってきた。


「なんでそう言えるんです?」


「だって私とワン太郎君。互いにフォローしてる仲だし、ちょくちょく話したりしてたよ? チャットだけだけどね」


「それ初耳なんですけど」


「"乙女"の会話に男は禁制って言うものですぞ? それに気づいてなかったの? さっき見たと思うよー? 私がワン太郎君の事フォローしてたの」


「えっ!?」


 即座にもう一度フォロー欄を見直す。

 スラスラとスワイプしていくと、そこにはしっかりとフォロー欄に『サーニャ・リクス』と、紗奈のアカウント名が書いてあった。

 俺は静かにため息を吐いた。


「本当だ……」


「今の今まで気づいてなかったなんて、面白すぎる……ふふっ、あはははっ!」


 片手で腹を抱えながら、もう片方で俺を指さして笑う紗奈に、俺は恥ずかしさしか感じられなかった。


「……はぁ……はぁ、さすがに面白過ぎるよ……ふふふっ」


「笑いの余韻を残さないでもらって……」


「――っと、それはさておいて。

 ……突然なんだけどさ、学童の事……覚えてる?」


「学童? まぁ、覚えてはいますけど……」


 学童。俺が専門1年の時にたまたま見つけたアルバイトだ。

 内容としては、小学生達の見守りやおやつの用意といった単純なもの。俺としては正直天職だった。


「私、最近辞めたんだけどさ? 辞める1ヶ月前……だったかな。

 修ちゃんの事を聞きに来た子がいたの」


「俺の事……ですか?」


「そう。名前は確か、犬飼いぬかい雫ちゃん」


「いぬかい……しず……あーあの子ですか」


 『犬飼雫』

 5年前。俺の働いていた学童で、よく俺に懐いていたポニーテールがチャームポイントの女の子だ。

 周りに比べて身長が低かったものの、俺が学童に入った頃は確か5年生だったはずだ。

 懐かしく思えてきた。

 雫はよく、子供達が少ないタイミングを見計らっては俺の所で絵を描いていた。

 それもただの絵ではなく、俺の添削があっての絵。

 ただ、俺が勝手にやったという訳ではない。雫がそう望んでいたのだ。

 『先生! 私の絵、てんさくしてください!』――なんて言って、嬉々として完成した絵を見せてくれたのを覚えている。


「雫ちゃん、絵を持ってきてたんだよ。

 しかも、とんでもなく綺麗な世界の絵。なんていうか、ファンタジックな背景絵みたいな」


「背景? 子供の描く絵ってほとんどキャラとかそういうの描くイメージしかないんですけど」


「私も思ったよ。それで『この絵、小田原先生に見せたくて』なんて言っててね。

 ――でも修ちゃん。雫ちゃんが卒業した後に辞めたでしょ? だから結局『修二先生は雫ちゃんが卒業した後に辞めちゃったよ……ごめんね』って言っちゃって」


「――関わる気は無いですよ」


「そう言うと思った」


 学童は学童。俺はロリコンとて三次元には興味すら持ったことがない。

 子供達に寄られたら距離を取り、相手をする。スキンシップをしてしまえば、親御さんから色々と言われるからだ。

 ただ、彼女だけは違っていたのを覚えている。

 両親は共働きで、家にいることが多かったそうだ。ただ、一人で自炊する能力はあるらしかったのだが、学童の方が人がいて落ち着く――という理由で学童に来ていた。

 ほぼ毎日、学童に来ては絵を描いて俺に添削をねだってくる。が、適度な距離を自分からとっていた。

 今思えば、雫ちゃんは俺が子供たちと距離を取っていた理由を知っていたのかもしれない。

 結局、学童を辞めた理由としては、雫ちゃんがいなくなったというのもあるだろう。

 彼女の絵を添削するときだけ、心から楽しいと、そう思えたのだから。


「――思い入れはあるんだろうに、"そこ"だけはしっかりしてるよね」


「子供に情を持ち始めたら、終わりですから」


「それは恋愛感情を持ち始める人がいるからでしょ? でも、修ちゃんは雫ちゃんに対する思いは……別だったんじゃないの?」


 確かにそうだ。

 俺が雫に対する思いは、恋愛なんてものじゃない――いや、考えてみれば恋愛だ。

 絵に対する思いが一番強かったのは彼女だ。俺よりも、あれ程を絵を描くことに楽しさを感じられていたのは、本当にすごいと思えた。

 だからこそ、きっと好きだったのだろう。

 彼女のことが。

 ただの恋愛感情じゃなく、一人の小さな"絵師"として。




 俺が、人生で初めて好きだと思えた絵師。

 だからこそ、もう関わりたくないのだ。

 ――撤回してしまおう。ロリコンを貫いてきたのは認めるが、雫にだけはロリコンだと知られたくない。

 きっと雫の見ていた俺は、しっかりと添削してくれている"先生"としての俺なんだろうから。


「――もうこの話はやめましょう。なんというか、今の自分がなさけなく――」


「少なくとも、雫ちゃんは今の君をみても、好きでいてくれると思うよ。

 そもそも、君がかわいいかわいいロリッ子を描き始めてたのはバイト入る前からの話でしょ?」


「だってその時は……」


「"チュニッターでたまたま描いた子がバズッたから"、でしょ?

 嬉々としてそのチュニート見せてくれたのも覚えてるし」


「あぅ……」


「でも、だからこそ自信をもっていいと思うよ。

 修ちゃんの絵、私も大好きだしワン太郎君だって好きでいてくれている。修ちゃんは超超超大人気イラストレーターなんだから!

 それに、ロリコンであることが悪ってわけじゃないよ? 子供のことが好きって意味で言えば、それもロリコンなんだし。ま、ロリコンの定義なんて知らないけどね!」


 そう言ってくれる紗奈に、俺は少し救われたのかもしれない。なんだか心が軽くなった感じがしたのだから。

 その日、翌日の2時まで飲んだ俺は、家に帰るなりベッドダイブする余裕もなく、玄関で寝落ちした。


 ◇


 翌日昼。

 午後入場の列に並んでいた俺は、いよいよ入場というところまでやってきていた。

 汗をタオルで拭いつつ、適度に水分補給しながら列に並ぶが、日傘も持ってこればよかったと少し後悔。

 もう少しでワン太郎に会える――そう考えると、楽しみになってきた。

 年下だとしても、せいぜい20歳か19才だろうし、お酒飲めるなら奢ってあげたいな。

 そんなことを思いながら、ワン太郎の姿を想像する。

 イケメンかおっさんか、お姉さんかおばさんか。我ながら失礼な事を考えているのは分かっている。でも人間だれしも想像するはずだ。顔の見えない人にいろいろと助けられたら、その人の姿を想像してしまうということなんて。

 少なくとも、これだけはわかる。

 "良い人"だと。


「そろそろ……か」


 スマホで時間を確認すると、午後を過ぎている。

 いよいよ、午後入場の開始だ。




「――あ……暑い」


 午後入場はできたものの、昨日に負けないくらいの暑さ。

 こんな状況下の中で、ワン太郎を探すのだ。

 とりあえずスマホを取り出してワン太郎のサークル場所を確認。


「あ、割と歩くな」


 今いる場所から割と遠目の距離。しかもいろいろなサークルの列もあって歩くことが少し難しい。

 だが、ワン太郎に会える――と考え始めた辺りで、そんな悩みは吹き飛んでいた。

 早速向かおうと、足を動かした瞬間――


「にーくまる!」


 背中に当たるドンとした衝撃。

 その衝撃で、すぐに紗奈だと分かった。

 振り向いてみると、ほくほくとした表情を見せながら、薄い本が十数冊入った本に紗奈が好きな二次創作のグッズだったりと、明らかにそれ持って帰れるのか? と、ツッコミたくなってしまうような荷物を持っている紗奈の姿があった。

 にんまりとしていて、満足げなのが分かるが、俺でもさすがに持てない。


「さ、会いにいこっか」


 紗奈はそう言って先導する。

 俺はそんな紗奈の後ろをついて進んでいった。


 ――さすが紗奈、サークルの列や人だかりがあっても、声をかけてはスルスルと進んでいく。

 紗奈のおかげか、思っていたよりもワン太郎のいるであろうスペースが見えてき始めた。

 今回の本はイラスト集。しかもオリジナルの異世界イラストらしく、背景絵だとか。

 さすがワン太郎だな……と思いつつ、ゆっくりと近づいていく。


「すごいね……ワン太郎君の列、かなり人いるよ」


「本当だ……すごい」


 ワン太郎のサークルには見る限りでも二列ほど。壁際だからか、人数も多く見える。

 サークル名は『ワン太郎基地』と、少し可愛らしい名前だ。

 俺達は早速その列の最後尾に並んで、ゆっくりと待ち始めた。


「いよいよだね、肉マルくんが会いたがってたワン太郎君に」


「さも俺が出会い厨見たいに言うのやめてください」


 一応だが、朝起きてワン太郎のチュニッターのDMに『新刊、買いに行きます!』と、連絡はしている。時々DMでのやりとりはしていたものの、基本はワン太郎からのイラスト感想が大半だったから、自分からそういうDMをするのは初めてだったが、十秒経たずで『会いに来てくれるんですか!? 楽しみです待ってます!!!!!』と送られてきたので多分歓迎されている。

 うん、大丈夫だ。きっと。


 ――そして、いよいよ俺たちの番がやってきた。

 運が良かったのか、俺たちの番でちょうど最後の新刊だったらしい。

 俺はそれを手に取って、五百円と共に口を開いた。

 

「初めまして、サークル肉マル本舗の本堂肉マルです」


 ワン太郎と思わしき人物、その人は俺のことを見た瞬間、スマホを開いてポチポチと何かを押し始めた。

 見た目、目が大きく、身長高めな金髪の綺麗な美人さん。少なくとも二十歳には見えないくらいだ。

 若々しく、耳にはピアスをつけていて、これがワン太郎君なんだと思えた。

 ちょっぴり、俺の予想していたワン太郎とは違っていたけど、それでも――


「――よし、完了っと! んと、初めまして! イラストレーターのバンザキ・バンです!」


「……えっ?」


 俺はサークル名と『バンザキ・バン』と名乗ったこの女性を照らし合わせた。

 サークル名はちゃんと『ワン太郎基地』と書いてあるものの、目の前にいるのは『バンザキ・バン』

 なるほど? うん。




 ――ん?


「あの、ここってワン太郎基地で合ってます……よね?」


「合ってますよ! ただ、今本人がトイレに行っちゃってまして……」


「あ、あぁ、なるほど」


「なにせ、『本堂肉マル先生が会いに来てくれるっ!』なんて息巻いてましたから、身だしなみを整えに……ね?」


「そこまで喜んでくれるとは思ってなかったです……」


「いやいやいや! 私としても一度お目にかかって見たかったんですよ! 私も読んでるんです、先生の百合本! 正直、こんなイケメンさんがこんなに尊い百合本を描いているとは露知らず……。

 ――と、あ……戻ってきた!」


 バンは後ろから来ている事に気付いたように、手を振り始めた。

 俺もそれに乗っかって、振り向こうとする。

 どんな人だろう、どんな性格なんだろう、どんな声なんだろう。不思議と色々知りたくなってしまう。

 深く深呼吸をした。

 会う準備は出来てる。


「ワン太郎さーん! お目当ての方来ましたよ!」


 俺はゆっくりと振り向いた。

 黒髪の"ポニーテール"に、大きい目に小さな口。

 身長は150以下……だろうか、かなり小さく、服装もなんだか子供っぽい。

 ――いや、というより俺は既視感がある。

 "ポニーテール"、それがチャームポイントの"女の子"。


「お久しぶりです。"小田原"先生」


 優しく、綺麗な声で笑みを浮かべる彼女。




 ――ワン太郎は、あの"学童の女の子"だった。


 ◇


 ヒヤリとした空気。

 居酒屋の中、"涼しい"のにも関わらずむしろ"寒く"感じてしまう。

 それもそうだ。

 あんなカミングアウトというか、予想なんて出来なかったのだから。


「あの、なんて言えばいいのか……」


 居酒屋なのに、テーブルにあるのはピッチャーで持ってこられたお冷と雫が頼んだメロンソーダ。

 そして、机を挟んで目の前に雫、その隣にバン、俺の隣には紗奈がいるという状況。

 俺はどうすればいいんだ?


 ヒヤリとしたこの空間。まさかワン太郎が犬飼雫だとは思わない。


「……先に聞きたいんだけど、俺の事なんで知ってるの……?」


「それは……」


 雫は俯いてモジモジとし始め、全員の視線が雫に傾く。

 俺がチュニッタ―を始めたのは高校一年生の時。その時は、おそらく雫は小学校低学年だ。小学二年生といったところか。

 イラストを投稿し始めて半年の時に、ワン太郎――雫がフォローしてきたのだ。

 本来であれば、雫はチュニッターを使えないはず――


「もともと両親が放任主義で、連絡手段としてスマホを持たせてくれてたんです。

 なので、チュニッタ―は母に頼んで作ってもらって、うれしくなって毎日チュニッタ―をしてたら、先生のイラストが流れてきて、それで"一目惚れ"したんです。

 それでフォローして、それでずっと先生のイラストを楽しみにしてて――」


「その時って、まだ小学――」


「――はい、二年生の時です。

 本来であればその年齢でチュニッタ―を使ったらいけないのは知っています。

 でも、先生のイラストを初めて見たとき、先生のイラストだけはどうしても見たくて、先生といつか一緒にイラストを描きたくて、元々描くことも好きでした。

 だけど気づいたら描くことよりも先生にいつか会いたいって気持ちが大きくなって……好きだったんです。

 ――だから、いつか一緒に描くってなった時に、私が下手だったら先生が幻滅しちゃうんじゃないかって思って……」


「じゃあ学童に来たのは……」


「――あれは、家にいるのが少しだけ息苦しくて、学童ならあんまり息苦しくないというか……人がいるから落ち着く感じがあって、母に頼んで行くようになったんです。

 その後、私が5年生の時に先生がやってきて、絵の描き方で直ぐに肉マル先生だって知って」


「だから俺にいつも添削を頼んできてたのか……」


「はい。少し恥ずかしくも感じましたけど、でも先生はちゃんと添削してくれて、それに私の絵を"好き"だって言ってくれて。

 ……いつの間にか先生の事、"どっちも好き"になってたんです」


「どっちも……って」


「先生、私一度だけ先生に告白した事があるんです」


「告白?」


「はい。

 『いつか私が有名になったら、私と一緒にずっと絵を描いてくれませんか?』 って」


 おそらく、俺がバイトを辞めるとなる前の話だ。

 土曜バイトの時、一緒に雫ちゃんと絵を書いている最中に言われたのを覚えている。

 子供らしい約束だな――と思っていたが、まさか告白だとは思わなかった。

 ――ちょっと待て、って事はなんだ? 告白ってことはまさか――


「私、まだお金は稼げませんけど、でも頑張ってフォロワーたくさんのイラストレーターになれました!

 ――だから先生、私と結婚を前提に付き合ってください」


「――へぁっ!?」


「えぇ!?」


 部屋に響く俺と紗奈の声。

 『結婚を前提に付き合ってください』と聞こえ、それに驚くというのは無理もない話だ。

 ただ1人除いて。


「んーっ、コミフェス終わりに飲むビールやっぱ美味しっ!」


 この訳の分からない状況の中、バンザキバン。彼女だけが唯一雫の横でビール片手にツマミを食べていたのだ。


「あの、ワン太郎……さんでいいのかな。

 ひとつ聞きたいんだけど、ご年齢は?」


「中学三年生の15歳です」


「修ちゃん何歳だっけ?」


「……22」


「7歳差もある……ワン太郎さん。こう言うのもあれなんだけど、修ちゃんと付き合うのは……しかも結婚って……」


「いえ、大丈夫です。元々小田原先生が私に対して好意を抱いてないのは承知の上ですし、どちらかと言えば先生は私の絵が好きだったんですよね?」


 俺と付き合うのを止めようと紗奈が促すも、雫はそれを一蹴。それどころか、雫は俺が好意を持っていない事を知っている前提で告白してきたのだ。

 大人しい子が今となってはまた性格が変わったというか、凄い。


「あ、はい……そうです」


「なので、今付き合わなくとも、私が先生の事を振り向かせてあげます。

 ――私も先生の絵が好きで、最初色々話したいなと思ったのが先生を好きになったきっかけですし。

 学童に行ってなかったら先生に会うことも難しかったでしょうし」


「えっと、それって――」


「小田原先生。

 私は先生の絵が好きです。先生の性格が好きです。先生の表情が好きです。先生の服装が好きです。

 だから今度は先生が、私の性格や表情、服装に……何もかも好きになってもらいます。

 だから先生、少し訳が分からないと思いますけど、この告白を"断ってください"。

 私も先生も、お互いにまだあまり知りませんから」


「……修ちゃん、どうするの? 思ってたより雫ちゃん、修ちゃんの事を惚れさせようとする気満々みたいだけど?」


 紗奈が耳打ちでさりげなくそう伝えてくる。

 俺もまさか雫がここまで積極的だとは思っていなかった。なんなら、俺の事を好きでいてくれていた事もだ。


「――すぐに答えなくても大丈夫です。

 私は……待ってますから」


 そう言って、雫は小さくつぶやくようにそう言った。

 お互いに"好き"という気持ちがあっても、その"好き"の対象がすれ違っている。

 俺は雫を"絵師"として、雫は俺を"男"として。

 ただ、雫は最初から小田原修二のことを好きだったわけではない。雫も最初は、絵師としての俺が好きだったのだ。

 だから――


「――分かった。

 まず告白だけれど、雫ちゃんが俺のことを好きでいてくれたのはうれしかった」


 俺の放った言葉で、雫の顔は沈むように俯いていく。

 ――俺は、現実で好きになった人は"いない"。


「でも俺は、まだ本当の雫ちゃんのことを全く知らない。

 学童にいるときの思い出なんて、大体二年くらいだからね」


「……えっ?」


 多分ラブコメなら、紗奈のことを好きになっていたのだろうが、俺は違う。

 恋愛も青春も、言ってしまえば絵に注ぎ込んできた。

 ――でも、俺は一度だけ"恋"をしていた。

 『犬飼雫』という"絵師"に。


「だから、親御さんにしっかりと話すって前提で、許可が貰えたらだけど……。

 雫ちゃん、俺のことを"振り向かせて"ほしい」


「先生それって……」


「なんというか、こんな絵しか描けない俺でも雫ちゃんがいいのなら――」


「好きです! 誰が何を言っても先生がロリコンであっても何があっても好きなのには変わりないです!」


 俺は、雫の告白を断った。

 だけどそれは同時に受けたといっても過言ではない。

 まだ俺は何もわかっていない。

 だから俺は、これから知っていく。




「修ちゃん。本当にこれでよかったの?」


 俺と紗奈は休憩がてら居酒屋の外で話していた。

 バンはというと、飲みすぎて酔いつぶれ、雫が介抱している。

 その中で紗奈が『少し話があるんだけど』と言って外へ誘ってくれたのだ。

 

「多分、雫ちゃんには何を言っても諦めることはなかったと思うし……それに俺が"絵師"の"ワン太郎"が好きなことは確かですし」


「外だから、雫ちゃんのことをワン太郎って言うのはいいんじゃない? それにもう、修ちゃんは"そういう"立場に片足どころか全身入っちゃったわけだしさ。

 私は……! ――」


 紗奈は続けて何かを言いかけたものの、口ごもる。だが俺は、それに対して追及はしなかった。

 追及してしまえば、何かが"壊れそう"だったからだ。


「ううん、やっぱりいい」


「なんですか、いいって」


「いいもんはいいの。

 ねぇ、修ちゃん」


「……はい」


「二人の時でくらい、敬語はよしてよ」


「……いいで――いいけど、なんで?」


「――特別感があるから」


「なるほど」


「――さ、もどろっか。

 言いたいことあったけど、やっぱりやーめた」


「……打ち上げ終わったら、飲みなおす?」


「相手がいるのに、その発言は堂々と浮気したいって言ってるようなもんだし、やめときなよ。

 ――クズになっちゃダメ」


「――ごめん。失言だった」


「いいよ、別に」


 そう言って先に居酒屋へと戻った紗奈は、どこか寂しさを感じた。

 俺は、何かを得たと同時に、失った気がする。

 でももう、進んでしまったのだ。


「先生――いえ、修二さん。

 家族と顔合わせするの、いつにしますか?」


「そうだね……予定空ける日、後で話そうか」


「はい!」


 

 ◇◇◇



 ――打ち上げ後、自宅。


「あーあ。見向きさえされてなかったのか。

 あぁ、そっか。もう私、"ひとり"なんだな」


 涙が零れ落ちる。


「私の、バカ」


 横目に見えるツーショットの写真。


「なに……してたんだろ、私」


 スマホのロックを解除して、本堂肉マルという人物のアカウントを見つめる。


「……おやすみ……」


 私は、やるべきことを終わらせた。

 多分、きっと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小さな"絵師"に恋をした。 ラスピアス本田 @lasupias

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ