エピローグ
エピローグ
日本海の冬は厳しい。宮野たちもスーツの上に厚手のコートを着てこの地に降り立った。先頭を行く杉村がスマホを片手に道案内をする。
「あの角だな」
指さす先に黒い瓦葺きの家がある。
「調べるまで米田さんがこっちの出身だとは知りませんでしたね」
花坂が長い髪を押さえる。北西の方からの潮風が家屋の隙間を縫って駆け抜けてくるのだ。三人は米田の実家の門前に立った。門の脇のインターホンを押すと、若い女の声が応答する。
「ご連絡していた、米田陽菜さんの部下の杉村です」
玄関の引き戸が開いてエプロン姿の女が現れた。
「どうぞ。中でお待ちですので」
家の中に入り、女の後について奥の部屋に向かうと、車椅子に収まった小柄な老人が焦点の合わない目で宮野たちを見つめた。
「敏郎さん!」女が老人のそばに駆け寄る。「娘さんの部下の方たちですよ。昨日お話しましたよね」
「あぁ……、息子じゃなかったっけ?」
「娘さんでしょ。陽菜さん」
「あぁ、そうかそうか……」
宮野たちの表情を察して、女が敏郎のそばからこっちにやって来て説明をする。
「四年前に奥様が亡くなって……、それから認知症が進んでしまってるんです」
「ああ、それで……」
こうしてヘルパーの介助がなければ、日常生活も十全に送ることができないようだ。ヘルパーの女が敏郎に向かって言う。
「敏郎さん、皆さんが娘さんにご挨拶したいんですって!」
「おぉ……、帰って来てるかな?」
ヘルパーの女は寂しそうな顔をして、宮野たちを仏間に案内した。仏壇には、骨壺が置かれていた。その脇には、米田の写真が立てられていた。三人は線香をあげると、ヘルパーの女に遺体がアメリカからやってきた後のことを聞いた。
「静かに全てが進んだ感じでした。火葬された後の娘さんの姿を見て、茫然としていた敏郎さんの表情が何だか切なくて……」
「もしかしたら、あまり状況が分からないままなのかも……」
花坂がそう言うと、ヘルパーの女はしみじみとうなずいた。
「その方がよかったと思います。奥様が亡くなって、娘さんまでとなると……」
宮野は骨壺に目をやった。どれだけアグレッシブに生きていても最期はこうなってしまうのだ。
「ん? あれは何です?」
宮野が指し示すのは、骨壺の脇に置かれたジッパー付きのビニール袋だ。中に歪な形の小さな金属片が入っているのが見える。
「ああ、斎場の方に燃え残ったものをまとめていただいたんです。でも、歯の詰め物しかありませんでしたけど」
「米田さん、虫歯あったんだ」
杉村がボツりと言った。米田について些細なことを知らなかったんだと言いたげに。しかし、宮野は首を傾げた。
「手首のチタンプレートは?」
ヘルパーの女は顔をしかめた。
「いや、そういうものはありませんでしたけど」
「斎場の人が入れ忘れた?」
「いえ……、お骨上げの時にトレーに分けられていたので、そんなことは……」
宮野は立ち上がってウロウロし始めた。
「米田さんは右の手首を骨折してチタンプレートを入れていたはず……」
三人の結論が一致する。
「別人……?」
宮野は自分たちが導き出した結論を信じられなかった。
「いやいや、そんな馬鹿なことがあるわけない。だいいち、この骨壺の中の人は一体誰なんだって話になりますよね」
「米田さんの代わりにアメリカに行って、殺されてしまった……?」
杉村が言うと、花坂がハッと息を飲んだ。
「犬塚さんが、米田さんは自宅とは違う方向に帰って行ったって言ってましたよね。あれが不倫じゃなくて、私たちの知らない女性だったとしたら……」
「だからといって、誰かの代わりに殺されたい奴なんていないだろ……」
杉村の声は震えていた。宮野は恐ろしい想像を口にした。
「その女性が利用されていたとしたら……」
斎場に米田をよく知る人物は敏郎しかいなかった。その敏郎も認知症が進み、化粧気がなく、多少顔が違う程度では見分けがつかなかった可能性がある。
「何が起こってるんだ……?」
* * *
飛行機から降り立った瞬間に、ムッとするような熱気が彼女を包み込んだ。真冬の日本からすると、楽園みたいな場所だ。それに、ずっとここにいるわけではない。彼女にとっては、束の間の休息地に過ぎない。
空港の出口、向こうから白い歯を見せて近づいてくる年老いた男がいる。
追っていた男が、ポーンと空中に弾き飛ばされる映像が彼女の脳裏に蘇る。身動き一つしなくなった男のそばに駆け寄る彼女の耳に、トラックのドアが開く音が届いた。降りてきたその男こそ、楽園で出迎えてくれた彼だった。
「元気だったか?」
「狭い座席に突っ込まれて元気だったと思うか?」
彼女が憎まれ口を叩くと、男は笑った。
「行こう。金はあるんだろ?」
彼女はポケットから一枚のペーパーウォレットを取り出した。
「五千万」
男は満足そうにうなずいた。
「アメリカの方で手配してた件は無事片付いたぞ」
「彼女には悪いことをしたな」
男は歯を見せる。
「世の中は持ちつ持たれつだよ」男は賑やかな通りに目をやった。「ここでのことだが、住む場所は用意してあるから心配するな」
彼女は顔を綻ばせた。
「助かるよ、師匠」
* * *
「そいつは身代わりだ」
トラックから降りてきた男はそう言った。訳が分からない様子の彼女のそばまでやって来て、男は言った。
「あんた、警察に恨みがあるんだろ? あんたをコケにした警察に糞を塗りつけてやろうじゃないか」
彼女は躊躇した。だが、もう昔のように忠誠を誓う自分を想像できないのも事実だった。
あの瞬間に、彼女の運命の歯車は狂ってしまったのかもしれない。
了
あの金を渡すのはあなた 山野エル @shunt13
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