雪虫の飛ぶ頃に
小野塚
『根古間神社祭禮』菅原武昭
あれは、自分が初めてこの鄙びた
漁師町の小さな派出所に配属された
年の事でした。
北国の小さな漁師町では凶悪事件など
滅多に起きないものの、矢張り時代の
流れいうか 生き辛さ の様なものは
例外なく暗い影を落とします。
でも、ここはまだ岬の神社の威光が
ある分、幸いなのでしょう。
気さくな宮司が一人、常駐している
事もあってか、石段の参道を登って
参詣する人々の姿がよく見られます。
それに加えて新月の暗い夜には
通称 千本鳥居 の間に篝火が焚かれ
景観の美しさだけでなく犯罪防止にも
一役買ってくれているのです。
山の木々が、少しずつ赤や黄色へと
様変わりを始めていました。
焼き芋を売る軽トラックが、備付の
煙突から
ゆっくりと道を行く。そんな風景に
季節の移ろいを沁みじみと感じる
夕暮れ
「お…今年は早いんでないかい。」
電信柱の下に、真っ白い 雪虫 が
ちらほらと飛び回る。それは、些か
気の早い初雪の先触れでした。
北海道では大体、十月の終わり頃
初雪が見られます。雪虫は、晩秋に
現れて、いつの間にか本物の雪へと
代わって行くのです。
「お巡りさん!」定時の巡回を終えて
駅前の派出所へと戻って来ると、それを
待ちかねた様に、ランドセルを背負った
女の子達が駆け寄って来ました。
「なした?」「お巡りさん!何処さ
行ってたべ?事件が起きたべさ!」
「そうさ!大事件しょや!」二人は
我先にと話し始めます。
『猫魔岬小学校五年生』春山ちひろ、
同じく武藤澪。其々の名札に書かれた
名前を見て、自分は改めて彼らの住所と
家族構成を思い起こしながら、その
大事件の先を促しました。
「…大事件って、どんな事件だべか?
最初から、分かりやすく説明して
くれねぇと。」この町では子供達も
人懐っこいというか。警邏中にも
遊びの延長で、よく声を掛けられる
事があるのです。
「女の人が壱の鳥居で倒れてるべさ!」
「はッ?!」予想外の展開に、自分は
俄に慌てました。「倒れてる、って
一体どういう…?」「浜の壱の鳥居の
所で
女の人だったよ。多分この町の人じゃ
ないと思う。若い女の人だっけ。」
子供達は、一人が喋ればもう一人が
補完するといった具合にテンポ良く
状況を話してくれました。
「救急車呼びますか、って言ったけど
なんもしなくていいさ、って。でも
動けないみたいだったしょ。」
「それ、早く言わないかよ!」
自分は派出所に戻る間もなく、慌てて
二人について行きました。
もうすっかり日は海の向こうに沈み
夕暮れの寂しい浜辺の風景が広がって
いました。
岬の神社の朱い鳥居も夕まぐれに
色を無くして、いずれ夜の帷の中に
溶け込んでしまう。
そんな焦りが、少しだけ頭を
時でした。「早く!あそこに…。」
『猫魔大明神』の壱の鳥居の根元に
白い服を着た髪の長い女性が
掛かっているのが見えました。
まさか、幽霊でねぇべな?
そんな事が一瞬、頭を過ぎりましたが
足は自ずと浜の砂を踏んで、白い服の
女性へと近づいて行きました。
「……?」
ですが 何かがおかしい と。
頭の中で警鐘が鳴ると同時に、急に
ザワザワとした妙な 胸騒ぎ が。
それは速る自分の足を無意識に停める
類のものでした。長年の 勘 とでも
いうのでしょうか。辺りはもう大分
暗くなっていました。
何か、とても 良くない事 が。
「君たち有難うな。もう暗くなるから
早く家さ帰らねぇと、家の人たち
心配すると良くないべ?」「えー!」
「お巡りさん一人で大丈夫かい?」
「大丈夫さ! お巡りさん だべや。
それに、様子を確認したら携帯で応援
呼ぶっけよ。」子供達は、もう此処で
家に帰した方がいいと思ったのです。
「…でも。」「やっぱ心配だべさ。」
「春山さんと武藤さんだべ?後で又
話を聞かせて貰う事もあるっけ。」
不満げな顔の二人も、次第に暗くなる
浜辺の様子と、全く動かない白い女の
様なモノに対して、小学生ながら
不穏な空気を感じ取ったのでしょう。
「…したっけ、ウチら帰るけど。」
「本当に大丈夫?」「大丈夫だべや。
それより、気を付けて帰れよ。」
自分は二人の姿を暫く見送ると、
壱の鳥居へと再び足を向けました。
もう既に辺りは薄闇に呑まれ始めて
鳥居の側に
やけに
子供達は《救急車呼びましょうか》と
言ったと話していた。そして相手から
《なんもしなくていいさ》と返答を
受けたとも。
あの子達が嘘をついていないのは
警察官としての自分の勘と経験が
後ろ盾となって確信したものです。
それだけに、純粋な疑問と、それを
上回る様な戸惑いがありました。
それでも自分の足は、真っ直ぐ
壱の鳥居の元へと向かったのです。
「…あぁ……。」
秋の陽は 釣瓶落とし と言います。
辺りはもう既に薄暮に染まり、
波の音だけが響き渡っていました。
水平線の下に沈んだ陽の名残りなのか
空が不思議な色に輝いています。
一度止まった自分の足は、再び砂を
踏みしめて、鳥居の根元で
「よく頑張って此処まで来たべや。
頑張ったな、偉いぞ。大明神様もきっと
褒めてくれるべ!」
頭の方角からすると、浜の方から
この、壱の鳥居を目指して必死に
歩いて来たのでしょう。
思わず自分はその白く美しい身体を
しっかりと撫でて、金色に透き通る
両の眼を閉じてやりました。
それは、真っ白いキタキツネでした。
本来、野生動物の死体処理は保健所の
管轄ですが、この時の自分は何故か、
『大明神様』の境内へ連れて行って
やらねばいけない、そんな気持ちに
なっていたのです。
そして、其処が寺ではなく神社だと
改めて気がついたのは、もう既に
朱い千本鳥居をあと少しで登り切る、
二匹の石の
目の前に現れた時でした。
神社は神様の座す処。即ち神域。
死んだ
今更ながらに気付いたのです。
「…。」しかし、この狐はきっと
此処に来たかったのだ、そう思うと。
自分の足は又、一段先へと踏み出して
いました。「…?!」ですが次の
一歩で階段を登り切る、そんな所で
又も止まった足元に。
猫が。
それも沢山の猫達が。
わらわらと集まって来ては足元に
擦り寄って。擦り寄っては小さな
頭をこつんとぶつけて行くのです。
まるで、その先へ 促す 様に。
猫は、この神社の眷属です。その
事実に励まされたのでしょう。
白い狐の亡骸と共に石段を登り切ると
先ずは正面の拝殿に向かって一礼し、
社務所に宮司を訪ねました。
本来、神社の境内に
持ち込むなど、決して許されない
事でしょう。しかも 公僕 としての
行動規範からも外れているのは
分かっていました。
けれども。
「此処にはよく、死期を悟った動物も
来るさ。『猫魔大明神』様は寛大な
神様だっけよ。猫等が迎えたって事は
事も無さげに宮司はそう言うと、
自分が抱えていた真っ白いキタキツネの
亡骸を、
「これも又、神様に近い者さ。きっと
守り神になるべ。」「……。」
雪虫の飛ぶ頃になると、今でもあの
不思議な体験を思い出すのです。
この小さな海町での、小さな奇蹟。
自分にとっては決して忘れられない
出来事でした。
語了
雪虫の飛ぶ頃に 小野塚 @tmum28
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