焦心のサンライズ〜後編〜
暗闇を照らす一条の光。
それは銀河鉄道のようであり、流れ星のようでもある。
お姉さんは7年付き合った彼氏との別れを、淡々と話してくれた。
「彼氏の、浮気だよ。」
「えぇ…。浮気…。」
「そ。でも私も私で悪いんだ。7年も付き合って、結婚の話すらまともにしなかった。彼も、流石に不安だったのかもね。」
不安、か。やはり結婚というものは男女が付き合う中では重要な目標なのだろうか。
にわかには理解出来ないけど、そんな人との別れって、悲しいよな…。
「そうなんですか?僕は何とも分からないですが…。」
「彼は特に、子供も欲しがってたし。でもさ、私が引いちゃったんだ。私は逆に子供はそこまで欲しくなくて。とにかく彼といられれば結婚もしなくていいとさえ思ってた。」
「けど…違ったんですね。」
「うん。ぜんっぜん違った。」
こうもすれ違ってしまうものなのか。だったら、最初から出会わなければ良かったんじゃないか?とも思ってしまう。
いや違うか。7年間の大部分は、とても幸せな時間だった。これは紛れもない事実だ。
幸せな時間を壊したのは、お姉さんじゃない。それはハッキリと言わないと。
「お姉さんは悪く無いですよ。」
「ありがと。」
「多分…。どんな理由があっても、悪いのは、浮気をした彼氏さんです。」
怒気が込もってしまったかもしれない。でも、僕はそれを伝えたかった。
少し驚いた顔を見せたお姉さん。
「ふふ、そだよね。そうだ!」
「…すいません。偉そうなこと言って…。」
「ううん。むしろ、嬉しいよ。」
「そうですか?ならよかったです。」
すぐに口元が緩み、優しい表情を浮かべた。
初めて目にする大人の女性の顔。紅潮する頬も相まってすごく妖艶な雰囲気が包み込む。
僕は、すっかり虜になっていた。
「ね。」
「はい?」
「あのさ。乗ってる間だけ、私たち付き合わない?」
「はぁ!?」
出た。
大人の悪いとこだ!
そうやってふざけちゃうから、大事な時に『嘘っぽく』聞こえてしまう。大事な言葉は、本当に言うべき時に言わなきゃいけないんだ。
…まったく。
「なんてねー。ちょっとドキっとした?」
「お姉さん、酔ってるんですか。」
「ふふ、酔ってうのも、あうかなぁ?」
酔ってるから。
ふざけて。
冗談だった。
それで本気にしちゃったら、責任とってくれるのか…?
…まったく。
なんて。
僕も一応16年間生きてきて、少なくとも人間が冗談を言うことくらい理解はしてる。
でも今、目の前のお姉さんにそんな『冗談』を言われたら、少し『おかしく』なってしまいそうになる。
「せっかく、元気付けてあげようと思ったのに。」
「ごめんごめん。真剣に答えてくれるキミが可愛くて。」
「揶揄わないでください!」
「…でも、私も真剣に言ってたら、どうする?」
「と、とにかく、お姉さんは傷心旅行中で…ちょっと酔ってるだけです。」
「そっかぁ。そうだよね。」
畳み掛けるお姉さんにタジタジだった。
理性でなんとか気持ちを制御して顔を上げる。
『ガタンゴトン』とレールの音が小気味よく流れる。それと同期するように、心臓が高鳴っているのがわかった。
落ち着け、僕。頼む、落ち着いてくれ。
外を見る余裕も無いくらいだったが、時間が経つにつれ冷静さを取り戻せた。そして気がついた。
お姉さんは、泣いていた。
「…彼、好きだったなぁ。」
切なすぎる言葉が、沈黙を破った。
そして、次々と水滴が頬を流れて机を濡らしていた。
一粒一粒ハッキリと見えた。
「じゃあ、なおさら。」
「だからさ。…はやく忘れたいんだよ。」
人を好きになることが辛いなんて、思ってもみなかった。僕ら学生は単純に『好き』『好きじゃない』で付き合ったり別れたりする。『頭で理解できる感情』を超えたところに、お姉さんの涙があった。
「好きすぎて、頭おかしくなりそうなんだよ。今でも。家に帰っても、彼はいないんだって思うと。寂しすぎて死んじゃいそうになる。」
「死んだら…だめです!」
「そんなことはわかってるよ。わかってるけどね。ほんと、辛いんだよ。」
自分の感情を彼女に重ねてみた。僕だったらどうだろう。ここまで悲しむことができるだろうか?『まぁ、しょうがないか』で済ませてしまうんじゃないか。僕は、薄情な人間かもしれない…。
『じゃあね。おにぃ。』
ふと妹の声が浮かんで、背筋が寒くなるのを感じた。
そうか、これか。
この感覚か…。
「フォローになるか分かりませんが…僕は、最近両親が離婚しました。だからお姉さんと同じ、傷心旅行中なんです。」
「え?」
状況も感情も違うかもしれない。でも、今この瞬間だけは、同じ『痛み』を共有したいと思った。
「…そっか。キミも苦労してるんだね。」
「僕というか、なんか、妹が可哀想で。」
「妹さん?」
「2歳下なんですけど、妹は母に引き取られて。別れる日に見た寂しそうな顔が、どうしても忘れられないんです。」
悲しみが冷たく張り付いた顔。泣き腫らした目。
去り際、僕を心配させまいと無理やり口角をあげ、薄く笑った。それが僕を後悔の海の奥底へ引き摺り込む。
『ごめん、ありさ。』
後悔してもしきれない。償いなんて、今更だ。
「妹さん想いなんだね。」
「いや、その逆です。」
「逆?」
「僕は…妹に何もしてあげられなかったんです。」
「何も?」
「はい。学校でいじめに遭ってる妹を一方的に遠ざけてしまって。可哀想だと思った時にはもう手遅れで…。頭ではごめんって思ってても、口に出せなくて。」
でも、絶対にこのまま終わらせたく無い。
見ないふりして、本当に取り返しがつかなくなるなんて嫌だ!
「だから、お姉さんも誰かに言いたかったんだと思うんです!!」
「誰かに…。」
少し前のめりになってしまった。
呼吸を整え、お姉さんに投げかけてみる。
「知らない人でも誰かに言うことで、ちょっと軽くしたかったんじゃないですか?」
知った口をきくな!と言われればそれまでだ。だけど、今のお姉さんが少しでも楽になればいいと思った。
「だから、僕はお姉さんが少しでも前を向ければいいなって思います。でも、付き合うとかは…出来ねっす。」
「ふふ。ハハハハハ!」
予想外の反応だった。お姉さんが、笑った。
面白いことなんて…言ってないけどな?
「ごめんごめん。」
「なんか変なこと…言いましたっけ?」
「いや、なんかね。また振られちゃったなーって思ったら、なんか可笑しくなってきちゃってさ。」
「また?」
「君にも、今ここでね。」
「別に…本気で言ってたわけじゃないんですから、振られたうちには入りませんよ。とにかく。自分を、大事にしてください!」
「自分を大事に…ね。ありがと。」
日付が変わった頃、駅に止まった。深夜帯でも少しだけ人がいる。
駅も、こんな静かになる時があるんだ。見ず知らずの駅だけど、多分日中は大勢の人で溢れているであろうホーム。灯りはあれど、寂しさは拭えない。
そっか。いつも密度が濃いばかりじゃ無いんだ。
濃くなったり薄くなったりして。そのグラデーションを一喜一憂するのが、人生なのかもしれない。なんて、ちょっと大人びたことを考えてみる。
「なんかさ、ちょっと思ったのは、これからの人生さ。何回も、何回も何回も楽しいことや辛いことがあって、出会ったり別れたりしながら大人になってくのかなって。」
「今日の出会いも、その中の1つですか。」
「そういうこと!」
僕の考えと似たことをお姉さんも考えていた。案外、間違いでも無いのかもしれない。
少し嬉しくなって、口角が緩む。
「もしかしたら、今見てるこの景色の中に。自分の運命の人がいるかもしれない。」
「この景色に!?一瞬過ぎて分からないですよ!」
「もしもの話。なんか、ロマンチックじゃない?」
「確かに。そんなこともあってもいいかもしれませんね。」
少しハッとした。それは無いとも言い切れない。でも、神様がそんな運命を与えるなんて思えない。
僕になんか。
「はあぁ。なんか、救われたかも。ありがとね。」
「いえ、僕はなんにも。」
そう言って伸びをするお姉さんの顔は、少し晴れやかだった。
よかった。やっぱり、どんな人でも笑った顔が一番好きだ。
「あのさ!!」
「はい?」
「これあげる。」
そう言って、僕が拾った『あかまる』のぬいぐるみを受け取る。
うーん…かわいくない…。
「ちぃ…きも?でしたっけ。」
「これ、可愛くないでしょ。」
「えぇ、お姉さんもそう思ってたんですか。」
「ふふ。そうだね。『いろんな意味で』ほんっとに可愛くない。だからこれ、あげるよ。今までの私ともお別れするために。」
お姉さんなりの『覚悟』なのだろうか。過去の自分を清算して、新しい自分になろうとしてる。そう思えるお姉さんの強さが、少し羨ましかった。
「いいんですか。」
「うん。キミはさ、なんかすごいね。」
「そう、でしょうか。」
本当にそうだろうか?僕も後悔を背負って生きている。人に誇れるようなことはしてないし、これからだって何も無いかもしれない。
「真っ直ぐで、曇りないってこと。」
「ありがとうございます。」
真っ直ぐで曇りない、か。
お姉さんと出会わなければ、気づけなかった。温かい気持ちで満たされる。少し、恥ずかしさもあるけど。
「ね、次…またどこかで会えたらさ。その時は、ごはんでもいこ?」
「はい!分かりました。」
「約束!私。
「
「じゃ、おやすみ。新太君。」
「おやすみなさい。」
『ガチャン』
自室に戻った。
手元では、『あかまる』のぬいぐるみがゆらゆらと揺れている。
「はぁ…。」
大きくため息を吐く。
お姉さんは後悔に暮れる僕に勇気をくれた。今までは何か償いをしなければと焦燥感に駆られることがあった。でも人生はそんな出会いと別れの繰り返しだとお姉さんは教えてくれた。
少しずつでいい。まだまだ、人生は長いんだから。
『もしかしたら、今見てるこの景色の中に。自分の運命の人がいるかもしれない。』
そんなお姉さんの言葉を思い出す。
まさか。
まさか、ね。
部屋の明かりを落とす。真っ暗な世界が僕を急に孤独にした。
『ガタンゴトン』
電車の音と振動が、僕を包み込む。最初は苦手だと思ったけど、もうすっかり慣れていた。
空には満点の星。
孤独な世界も、案外悪くないかもしれない。
「あ…。」
一瞬。本当に一瞬。
世界がスローモーションになった。
暗闇が街頭で照らされ、明るくなった線路沿いの歩道橋。
そこにポツンと立っていた人は、とっても悲しそうな顔をしていた。
あの日、星降る夜に君を見たんだ。 森零七 @Mori07
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