最終話 明日は明日の風が吹く


 キーン コーン カーン コーン……


 六時間目の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

 教師が退出すると同時にリュックに荷物を詰めはじめ、ホームルームが終わるのを足踏みしながら待つ。夏乃なつのの毎日は、大体こんな感じだ。


「今日も焦ってるね~。まぁ、わかるよ。夏乃ンの道場に入門した外人さん、イケメン通り越して神々しいもんね。毎日見学希望者が増えてるんでしょ?」

「ま、まぁね……」


 教室を飛び出した途端に幼なじみの春香はるか追いつかれて、夏乃は苦笑した。


「まぁ、私としては、男子に興味がなかった夏乃が恋する乙女になったって知れただけで、めっちゃ嬉しいんだけどさ。で? どうよ? もう告ったの?」

「う……うるさいなぁ」


 幼なじみで親友の春香にも、夏乃が異世界へ行ったことは話していない。

 春香を信じていない訳ではないが、月人つきひとハクかくまっている状態ではとても話せなかった。


 家に向かって自転車をこぎながら、夏乃はきらめく海岸線を眺めた。



 ――――半月ほど前、夏乃たちは竜宮岩から高校の近くの海岸に戻ってきた。

 真夜中から白昼の海岸へ戻ると、真夏のような暑さに目眩がした。

 いろんな意味で、この服装では町中を歩けないと思ったとき、『とりあえず着替えましょうか?』とあかつきが言った。


 暁は海岸沿いに建つ空き家を勝手に拝借していた。町の人の目にとまらないようまじないで結界を張っているのだという。長年放置されていたらしい平屋は外観の割には中はきれいで、タンスの中には日本の服も用意されていた。

 彼は日本の骨董市やフリマに紛れ込み、碧海国の雑貨などを売って日本円を稼いでいるらしい。ちなみに碧海国の文字が彫られ石版を売って、「これは古代文字では?」とか「ペトログリフだ!」と騒がれたこともあるとかないとか――――。



「じゃあね! がんばれナツノ!」


 春香に声援を送られながら道場の前まで帰って来ると、垣根の塀で囲まれた敷地の前に、ちょっとした人だかりが見えた。小学生女子からおばあちゃんまで、あらゆる年代の女の人が頬を染めながら道場内を覗き見ている。

 夏乃は生まれてこの方、この道場にこんなに人が集まっているのを見たことがない。


(はぁ~……)


 ゲンナリしながら自転車を置いて母屋に入ると、道着姿の祖父が台所で麦茶を飲んでいた。


「ああ、夏乃か。おかえり」

「ただいま~」


 いつもの光景。いつもの会話。

 でも、夏乃が異世界から戻ってきたあの日、祖父はげっそりと痩せ細った体で台所の椅子に座っていた。夏乃が駆け寄ると、祖父は椅子から床に滑り落ちてそのまま泣き崩れた。

 厳格な祖父が泣いている。自分はどれほど心配をかけてしまったのだろう。夏乃は泣きながら謝り、これまでのいきさつを祖父に話した。


 信じてもらえるとは思わなかったが、祖父は夏乃の話を信じてくれた。

「おまえは嘘がつけないからな」と笑いながら、月人と珀を匿うことも承諾してくれた。


 話が一段落すると、祖父は警察に電話をかけ、惚け老人のフリをして捜索願を取り消してくれた。

 痩せ細っていた体も今は元に戻り、毎日元気に月人と珀をしごいている。


「ああっ! 夏乃、おかえり!」


 ヨロヨロと台所に入ってきた月人が、パァッと満面の笑みを浮かべながら夏乃に近寄ってくる。

 今日も相当しごかれたのだろう。白い道着に銀の髪をひとつに束ねた月人が、甘えるように夏乃に抱きついてくる。ふわりと香る汗のにおいすら愛おしく感じてしまう。


「実は、おじいさまに夏乃との結婚を許して欲しいと言ったら、すごく怒られてしまった……」

「……えっ?」

「あたり前だっ! 住む場所さえ定まらぬ者に可愛い孫を託せるものか! まぁ、夏乃が高校を卒業するまでに安全な住み家を確保すれば、考えてやらぬでもない。が……まあ、その弱さでは無理か。珀は見所があるが、月人は体が弱すぎる。悔しかったらもっと鍛えろ!」

「これでも回復してきた方なのです! 呪詛されていた間は食事が出来なかったのですから!」


 祖父に月人が言い返している。

 夏乃の知らぬ間に、話がおかしな方向へ進んでいるらしい。夏乃はムッとしながら月人の袖を引っ張った。


「ちょっと月人さま! 結婚って……そういうのは、普通、あたしに聞きませんか?」

「え……夏乃には何度もわたしの気持ちは伝えたではないか。それに、おじいさまの許しを得ないといけないだろう?」


 月人がきょとんとした顔で夏乃を見下ろす。


「結婚の話は聞いてないですよ! まさか、あたしが断らない前提なんですか?」

「えっ! まさか……夏乃は……わたしと結婚するのが嫌なのか?」


 一気に笑顔がしぼむ月人。

 その顔に、耳のたれた黒犬の幻覚を見た気がして、ついほだされてしまう。


「そ、そんなことはないですけど……」


 ポッと頬を赤らめると、月人ともども祖父に扇子ではたかれた。


「夏乃の婿になりたかったら、珀くらい強くなれ! 稽古だ月人!」

「はい、おじいさま!」


 バタバタと足音を立てて二人が台所を出て行く。

 新月になれば、向こうの世界に帰らねばならないと言うのに、月人はそんな素振りを微塵も見せない。

 祖父と月人の微笑ましい会話を聞いていると、夏乃もつい、こんな時間がいつまでも続くような気がしてしまう。


(……まっ、その時はその時だ!)


 月人には帰るべき世界がある。夏乃はそれを止める気はないし、夏乃自身、いつかまたあちらの世界へ行くことになるだろうとも思っている。

 でも、それはまだ先の話だ。


「さて、夕飯の支度でもするか!」



                   了



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 ※つたない物語を最後まで読んでくださってありがとうございました<(_ _)>ペコリ



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【改訂版】月魄を恋う ~呪われた王弟殿下の臨時侍女になりました~ 滝野れお @reo-takino

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