第56話 ひとつの決断
「――――やはり、来ましたね」
御座船の船尾に立ち、
王宮の建つ丘の上から、赤々と燃える
広間で王室離脱を宣言した
王室を離脱したとはいえ王宮が危険な場所であることに変わりはない。王の許可があるうちに王宮を出た方が安全だろうという判断だった。
港に停泊する御座船に戻ったのがほんの半時ほど前。このまま夜が明けるのを待って出港する予定だった――――のだが。
「早いな……やはり、王太后の憎しみは消えないか」
「どういたしますか?」
「出港する。夜だが、致し方ない」
月人は平然としているが、広間で王室離脱を宣言した時のように、心の内は波だっているに違いない。
傍らにいた
「出航の指揮は冬馬に任せる。夏乃、そなたは
「えっ……?」
夏乃は月人を見つめたまま目を瞬いた。彼の言葉が理解できない。
「自分の国へ帰る手立てが……見つかったのであろう? ここにいては危険だ。帰る場所すら失くした今のわたしでは、そなたを守ってやることが出来ぬ」
「どうして……それを?」
「王都から戻ってから、少し様子が変だったろう? そなたは嘘やごまかしが下手だから、何か隠しているのだとすぐにわかった」
呆然とする夏乃に、月人は微笑みかける。
その微笑みがとても悲しそうに見えて、胸がえぐられたように痛んだ。
「そんなの、嫌です! 月人さまが一番大変な時に帰れだなんて……無理に決まってるじゃないですか!」
言いながら、涙があふれた。
自分はそんなに薄情な人間だと思われていたのか。
悔しくて、腹が立って、悲しかった。
(そうじゃない……あたしは、
「夏乃、聞いてくれ」
握りしめていた両の拳を、月人の手が優しく包んだ。
「そなたはわたしの恩人だ。そなたがいなかったら、わたしは今も呪われた黒犬のままだったろう。ずっとその恩に報いたいと思いながら、わたしは今まで、わたしの事情にそなたを巻き込んでばかりだった。
出来ることなら、わたしだって自分の手でそなたを幸せにしたい。だが、今は無理だ。わたしと一緒にいてはそなたの命が危険なのだ」
「そんな……」
「珀、夏乃を頼む。小舟を下ろしたら、敵がこの船を追うのを待ってから上陸しろ。今夜は満月だ。下手に動いて見つかると危険だ」
「はっ!」
珀が険しい表情で一礼した。
あれほど夏乃に帰るなと言っていたくせに、珀は一言も反論しない。彼にとって主である月人の命は絶対なのだ。わかっていたが、こんな時くらいは味方になって欲しかった。
悔しさに唇を噛んだとき、夏乃の脳裏に何かが閃いた。
「あれ? まって……満月? 今日って満月なの?」
言いながら、夏乃は空を仰いだ。満天の星空に煌々と月が輝いている。
見たこともないほど美しい月を見ているうちに、途方もない考えが浮かんだ。
「月人さま!」
夏乃は月人の手を振りほどき、逆にガシッと握りしめた。
「あたしと一緒に来ませんか? 一ヶ月だけでいいです。その間あたしが
ねぇ珀、良い考えだと思わない? 一ヶ月後に、誰かに竜宮岩まで迎えに来てもらえばいいよね?」
「えっ……」
「ちょっと待ってて。リュック取ってくるから!」
夏乃は船室に駆け込んだ。そして、リュックを背負って戻ってきた時には、高校の制服に着替えていた。と言っても夏服の制服では寒いので、ジャージの代わりにスカートの下に兵士見習いのズボンをはき、制服の上から上着を羽織っている。
「これ、
「まっ、待て! わたしはまだ行くとは言っていない。王室から離脱したとは言え、わたしはまだこの船にいる者たちの主だ。彼らを置いて、わたし一人が逃げるなど、許されることではない!」
「それは……そうかも知れませんけど」
夏乃は口ごもった。
月人には自分の命を大切にして欲しいのに、説得できる言葉が見つからない。
「――――お行きなさいませ」
冬馬が静かに口を開いた。
普段ならば強力に反対するであろう冬馬が、夏乃のとんでもない逃亡案を支持してくれている。
「夜の海上で戦闘になれば、海に落ちる者も出てくるでしょう。ですが、月人さまが海に落ちたと言って投降すれば、この者たちはいずれ白珠島へ戻れます。私は侍女頭と共にこの船に残り、準備をしながら月人さまのお帰りを待ちます。どうか、今は、姿をお隠しください」
「冬馬……」
「珀、おまえは月人さまと共に行け。必ずお守りするのだぞ!」
「はっ!」
「夏乃!」
「は、はい!」
「月人さまを頼んだぞ」
「はいっ!」
「さぁ、さっさとそのカァドとやらを火に焼べて、怪しげな呪術師を呼び出すが良い!」
最後の最後に憎まれ口を叩いて、冬馬はふぃっとそっぽを向く。
夏乃は泣きたいような笑いたいような複雑な気持ちのまま、船尾に灯された
ボッ と小さな音を立てて木製のカードが燃える。
何事が起こるのかと、シンとしながら待っていると、唐突に中空から人が湧いて出た。
「いやぁー、お嬢さん! ギリッギリ間に合いましたね!」
突然現れた男――――ウェーブのある長い髪を首の後ろで結んだ暁は、ニコニコしながら船尾にトンと軽やかに着地したが、夏乃を取り囲む男たちの怪訝そうな目に気がついて笑顔を引っ込めた。
「ええっと……帰れるようになったんですよね?」
「うん。事情があって、この二人を連れて行くことになったんだけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。ただ、時間があまりありません。行くなら今すぐ行きましょう!」
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