「俺は知事だぞ」

船越麻央

鏡の中の悪魔

 俺様は疲れ果てて自宅に帰り着いた。

 毎日毎日パワハラ疑惑だ、おねだり疑惑だと責め立てる。

 議会もマスコミも、辞めろ辞めろの大合唱をしやがる。


「俺は知事だぞ」。

 俺様は心の中で叫んでいるのだが。


 今日はさすがの俺様もいささか疲れた。


 俺様は自宅の書斎に直行する。


 暗くひんやりとした部屋である。

 真夏でもこの部屋だけはなぜか肌寒く感じる。


 そしてこの部屋には……。




 この部屋の壁には大きな鏡が取り付けらている。

 直径1メートル程の円形の鏡。

 俺様はこの鏡をある古物商から手に入れた。

 鏡の裏には見たこともない文字がビッシリと書かれている。

 古物商に「この鏡には不思議な力がございます」と勧められた。

 そして意味ありげに低く笑いやがった。

 なにしろ大きな鏡だ。

 値段も高かったが、俺様は気にいった。


「お買い上げありがとうございます。必ずやお役に立ちますよ」


 俺様はその鏡を書斎の壁に取り付けきれいに磨いた。


 ある晩、俺様が鏡に見入っていると突然鏡が光りだした。

 光は鏡の中でゆっくりと渦を巻いた。


「余に何用だ?」

 光の渦の中からしわがれ声がした。

 俺様が驚いて絶句していると鏡の中の声は続ける。

「ふふふ。何を驚いておる。よかろう何か望みを言え。余が叶えてつかわす」


「俺は……俺は知事になりたい」


 俺様は思わず本音を口走ってしまった。


「知事になりたいとな。たやすいことだ。ふふふ」


 そして光の渦は消え元の鏡に戻った。

 俺様は夢か幻を見たのか。その時はそう思った。


 だが……だが……俺様の望みは叶った。

 気が付いたら俺様は知事の座についていたのだ。

 鏡が俺様の願いを叶えてくれた。

 この鏡はいったい何なのだろうか。

 

「ふふふ。知事になった気分はいかがかな」


 俺様は例の鏡の中の光の渦と対面していた。


「……俺は……俺は一日でも長く知事でいたい」


 俺様はいつものように本音で答える。この鏡はすべてお見通しなのだ。この光の渦の前では本心をさらけ出すしかない。

 知事の椅子からの眺め……この眺めを手放したくない。


「……欲深い奴だな。ハハハハハ」


 この鏡を手に入れて以来、俺様はすべて思い通りになった。望めば叶ったし周囲は何でも言うことを聞いた。「知事、知事」とチヤホヤされもした。


 俺様は得意の絶頂にいた。




 だが……今は違う。今の俺様は四面楚歌の状態なのだ。周囲に味方は誰もいない。すべて敵だ。敵なのだ。


 俺様は唯一の味方、鏡の前にいた。鏡は光りだしゆっくりと渦を巻いた。そしてしわがれ声が聞こえてきた。


「ふふふ。弱気になっておるな。不信任決議案を出されそうだと? 何も心配することなどないわ。議会など解散してしまえ」

「しかし……それでは……」

「ここまで来たらもう後戻り出来ぬ。お前には余がついておるではないか」

「分かった……辞職は……しない……」

「ふふふ。分かればよい。余を失望させるなよ」


 俺様は鏡に誓った。マスコミが何と言おうと、議員どもが不信任決議案を出そうと、辞職などせず職務をまっとうする。パワハラ疑惑がなんだ、職権乱用疑惑がなんだ。


「俺は知事だぞ」。

「俺は知事だぞ」。

「俺は知事だぞ」。


 その日、俺様は帰宅して書斎に入って愕然とした。壁にあの鏡が無かった。鏡が消えた。俺様の鏡が! まさか、噓だろう! 俺様は、俺様はどうしたらいいのだ! 


 俺様は部屋の中を探した。だが鏡は無い。そしてあのしわがれ声がどからともなく聞こえてきた。


「愚か者め。余は失望した。お前にもう用ない!」


 俺様は発狂した……。


 了






 


 

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「俺は知事だぞ」 船越麻央 @funakoshimao

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