第2話
脇野は周辺の空気を全て取り込む勢いで息を吸い込み、中年男の唇に合わせた、息が洩れないようにぴたりと合わせ、中年男の鼻をつまみ、腹の底から空気を流し込んだ。三十回ごとに一回人工呼吸が必要だとすれば、三回分必要だった。脇野は再び、大気中の空気を取り込んで男の体内へと流し込む。それでも男は息を吹き返す気配がない。
「フレ! フレ! 脇野! 頑張れ頑張れ脇野! W! A! K! I! N! O! わ! き! の!」
チアリーダーたちからの黄色い歓声が聞こえてくる。
「むぁかせえるおおおおおおおおおおおおおおおお!」
さらに力がみなぎってくる。腕に走る血管がぼこりと浮き上がった。肌が血管の膨張に耐えきれずはち切れそうだった。血圧計で測るときなど比ではない。再度男の胸に手を当てて激しく心臓マッサージをする。肋骨はすべて折れてしまったのか、柔らかい脂肪のみを触っている感触だった。
息を吸う。限界まで吸い込む。吸うことができなくなったら酸素を求める金魚のように口をパクパクさせてダメ押しで空気を取り込む。自分の腹が大きく膨張し、服の繊維にそって破れてしまった。
脇野は男に一気に空気を送り込む。脇野の腹が収縮するのに対し、男の腹が急激に膨らんでいく。
(まだまだ……、助かってくれ……!)
意識を取り戻さない男の顔が目の前に有り、脇野は自分の空気全てを男に捧げた。
大きな破裂音と同時に脇野は頬を叩かれた。男の口から離れ、頬を抑えると、叩かれたのではなく何かが付着していた。取ると赤くて柔らかいものだった。男を見ると、腹が裂けて内臓や骨、脂ぎった脂肪が丸出しになっている。脇野の頬に付着したのは、男の肉だった。
「うわああ!」
脇野は反射的に肉を投げた。脚が痙攣して力が抜けきっている。すでに野次馬だらけになっていたが、肉を投げられた付近の人々は悲鳴を上げて輪を乱した。
「いけ! いけ! わ! き! の!」
学生服を着た男たちの野太い声援が脇野の鼓膜を震わせた。力が抜けた脚にどんどん活力がみなぎってくる。再び立ち上がり、腹の裂けた男を見すえた。
「僕が助けないと……」
腹の裂けたところから腕を突っ込み、直接心臓を握った。片方の手は自分の胸に当て、心臓のリズムを確かめる。その速さに合わせて、心臓を握った手を優しく握っては弱めてを繰り返す。
「げぶう」
脇野は男の顔を見た。今確かに声を発した。男は口から大量の血液を噴射させた。意識は戻る気配がない。
「負けるな負けるな脇野! 押せ押せ脇野!」
そうだ、負けちゃいけない。脇野は心臓を握る力をさらに強めた。動け、動け動け動け動け。
ブツン。
「あ」
嫌な音がした直後、どんどん心臓が萎んでいく。強く握りすぎて破けてしまったみたいだった。
「ちょっとあんた!」
いつのまにか赤いサイレンが視界の端に光っている。脇野はヘルメットをかぶった救急隊員に体を抑えられていた。
「何やってんだ!」
「いや、応急処置を……」
「あんたがこの人の身体を、壊したのか……」
「え? いや、僕は必死に助けようとして……」
周りを見れば、学生服の男やチアガール、吹奏楽隊の集団はどこにもいなかった。
サイレンの音が近づいてきた。なかから警察官が脇野を睨みつけて近づいてくる。どうみても応急処置したことを感謝するような顔つきではない。
倒れたままの中年男の姿を見た。顔中、血まみれでどんな顔だったかよくわからないほどだった。
「助けられなかったんだ。応援してくれたのに」
脇野は跪いた。が、すぐに警察官に取り囲まれ、パトカーに乗せられた。
応援お願いします 佐々井 サイジ @sasaisaiji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます