応援お願いします
佐々井 サイジ
第1話
駅近くのショッピングモール沿いの道を歩いていると、向かいから中年の男が歩いてきた。ひょうたんのような体型で、今にも服が張り裂けそうだった。その男が掏摸違う寸前に胸のあたりをおさえて呻き始め、路上に倒れ込んだ。脇野は倒れそうになる男の肩を支えると強烈な腋臭が鼻孔をついた。歯を食いしばりながら、なんとかあおむけに寝かせた。途端、男は口から白い泡を吹き始めた。
「やばい!」
医療の知識など持たない脇野でも血の気がなくなり泡を噴き出している男を見れば、生命の危機にさらされていることはすぐに分かった。
「あ、あなたすみません。救急車お願いします」
野次馬の先頭で眉をひそめながら見ていた女に向かって声をぶつけると女は手提げ鞄をまさぐってスマートフォンを取り出した。脇野はどのタイミングかで習った救急処置を必死に記憶から引きずり出した。
手をもう片方の手の指の間に組み入れ、胸を垂直に押す。回数。三十回だったか、四十回だったか。三十回でいこう。終わったら鼻をつまみながら人工呼吸。相手は中年で小太り、しかも腋臭のある男だったが気にしてはいられない。命がかかっているのだ。彼の指には結婚指輪がはめられている。嫌がって処置を躊躇えば、彼の家族が悲しみの底に突き落とされてしまうかもしれないのだ。
脇野は救急車が来るまでの間、ひたすら心肺蘇生と人工呼吸を繰り返したが、男性は意識は戻らない。額からは大量の汗が浮き出てきて、水色のシャツを着た男性の服にポタポタと落ちていく。
腕に力が入らない。大量に息を吐きすぎて眩暈がする。脇野は明らかに体力が失われていた。このまま自分が処置を続けていてはこの男性の命に係わるかもしれない。
「すみません……。誰か、応援お願いします」
「わかった!」
脇野はふうと小さなため息が漏れた。男性の処置をしなくて済む、自分が責任を逃れられるという誰にも言えない安堵だった。
脇野の背後にダッダッダと集団の足音が聞こえてきた。振り向くと学生服を着た男たちが三人、チアガールが十人ほど整列している。学生服の三人は異常なほど背中を反らせ、チアガールは手を腰に当てて、唇の端を持ち上げている。
脇野は暑さでおかしな幻覚を見ているのだと思った。
「これより、脇野英作の応援を始めます。よろしくお願いします!」
学生服の三人のうち、真ん中の一人がさらに背中を反らせ、真っ青な空に向かって叫び出した。
「よろしくお願いします!」
そのあと、他の学生服とチアガールたちが声を合わせて復唱した。学生服たちはいつの間にかやってきた背後の吹奏楽部らしく集団が奏でる音楽に合わせ、体を捩じり、腕を突き上げたかと思えばまっすぐに突きだしている。指先までまっすぐに伸びた腕は美しかった。
「W! A! K! I! N! O! 脇野!」
チアガールたちは二、三人が一組になり、一つのアルファベットをつくり、全力の笑顔で脇野コールを続け始めた。
「なんだ? なんだなんだなんだ?」
同時に大量の疑問が沸き起こる。なんで応援団? どこからきた? なぜ自分の名前を知っている? 応援するだけで何もしてくれないのか?
しかしその疑問たちは、疲弊しきった体の奥からもりもりと力が湧き出てくる状況に消え去った。どんどん力がみなぎってくる。できる。僕はこの人を救える。
再び心臓あたりに狙いを定め、有り余る力で心臓マッサージをおこなう。三十回では足りない。というか勢いを抑えきれない。
「九十八、九十九、百!」
途中でボキボキと折れる音がした。おそらく心臓マッサージをする力が強くてろっ骨が折れたのだろう。しかし、心肺蘇生講習会でろっ骨が折れても大きな問題ではない、と教わった気がするので大丈夫だろうと判断した。
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