第四章
誰が悪魔を殺したのか?
鬼政と話をするのは久しぶりだ。
長くなりそうだったので、「ビデオ通話にしましょうか」と聞くと、「おっ! テレビ電話か。ええな~いっぺん、つこぉてみたかったんや。悪いが、どうやったらええのか教えてくれ」と嬉しそうに返事をした。
アプリのインストールから登録まで余計な時間を費やしてしまった。普通に電話で話した方が早かった。
「仕事で使ったことなかったのですか?」と嫌味を言うと、「つこぉとったよ。せやけど、部下に繋いでもろうとったからな。自分でもつこぉてみたかったんやけどな。訳、分かれへんやろう。せやさかい、諦めとった。部下に聞くのも何やしぃ」とご機嫌な様子だ。
「やあ、兄ちゃん、良く見えるで」
ビデオ通話が始まった。それほど親しい仲ではない。顔を見ながら話をするのは照れ臭いものだ。鬼政は気にならないようで、「兄ちゃん、大活躍やったみたいやな。兄ちゃんの活躍を聞いて、自分もしっかりせぇやと言われとるような気がしたで」とガハハと笑った。
歯が白い。真っ白だ。入れ歯なのだろうか?
「そちらはどうですか? 捜査、進展がありましたか?」
あれから全くと言っていいほど、連絡が無かった。府警での捜査状況が気になった。
「兄ちゃんも分かっとると思うが、わいらで出来ることはやりつくした。我ながら、よぉやったで。後は警察の組織力に頼るしかあらへん。警察にはわいら、一般人が出来ひん捜査が出来るよってな。わいも一般人になってしもた。捜査中のことは、おいそれとは教えてくれへん。あの手この手を使おて、聞き出すのに苦労しとるんや」
泣き言を聞かされたが、その通りだろう。伝説の鬼刑事といえど、一般人となったからには、簡単に捜査情報を手に入れることなどできない。
「ご苦労様です」と頭を下げるしかなかった。
考えてみれば、鬼政にとっては単なる厄介ごとなのだ。
「気にしなさんな。府警は、あんたのボス、弓月がホテルから姿を消した後、何処に行ったんか、徹底的に足取りを追った。ほら、兄ちゃんも気にしとった携帯電話、それがあれば何ぞ分かったかもしれへんが、まだ見つかっとれへん」
「池の底に沈んでいるのでしょうか?」
「どないやろ。水没してめげたのかもしれへんが、犯人が持ち去ったとも考えられる。いずれにせぇ、電源が入っとれへんので、見つけることが出来なんだ」
事件後、何度か電話をしてみた。だが、電源が入っていなかった。
「電話会社から通話記録を手に入れることが出来たようや。それに、ホテルの周りの防犯カメラの映像から、弓月がホテルを出た後、車に乗ったことが分かった。どうやら弓月の方から連絡を取って、呼び出したようや」
「呼び出した⁉ 知り合いだってことですか?」
「そういうことになるな。携帯電話の通話記録から相手が特定できたようや。兄ちゃん、誰やったと思う?」
分かるはずない。「誰だったのですか⁉」
「
「蛭間? 殺された蛭間昭雄さんの関係者ですか?」
「そうや。蛭間昭雄の母親や。あの夜、大阪におって、弓月と連絡を取っとったようや。どうや、兄ちゃん、怪しいやろう。イカスミくらい真っ黒や。そうそう、イカスミはあってもタコスミがないのは、タコの墨袋を取り出すのには手間がかかるかららしい」
「はあ」と鬼政の蘊蓄を軽き聞き流した。
また一人、事件関係者が出て来た。あの夜、辻花家にいた田上常永こと、田口智康の別れた妻になる。
「ホテルの正面玄関に防犯カメラがあってな。蛭間朱里が運転しとったのやろう、車が迎えに来て弓月を乗せて走り去る映像が残っとった」
どういうことだ? 蛭間昭雄の母親が弓月を殺害したと言うのか?
「そこまでは分かったんやが、そこからが分からへん。蛭間朱里の足取りが掴めへん。彼女が運転しとった車も、ナンバープレートがはっきり映ってへんかった」
「捜査は暗礁に乗り上げてしまったのですね」
「そうでもあらへん。遺体をため池にほったことは分かっとる。ため池周辺の防犯カメラを洗えば、車が映っとるかもしれへん。蛭間朱里が運転しとった車がな。もし映っとれば、事件に関与しとったことの証拠になる。地道な捜査は警察に任せておけばええ」
遺体発見現場から逆算する訳だ。
「で、どうでした?」
「あったで、兄ちゃん。見つけよった。しかも、でっかいおまけ付きでな。いや、おまけなんてもんじゃあらへん。あたりくじを引きよったんや。おう、そうや。吉は中吉や小吉より上だって、知っとったか?」
それはおみくじだ。今日は妙に蘊蓄が多い。やはり鬼政もビデオ通話に気恥ずかしさを感じているのかもしれない。鬼政も人の子だ。
「あたりくじって何です?」と話が脱線するのを防ぐ。
「車を運転する蛭間朱里の隣に、兄ちゃん、あんたの知っている顔が座っとったんや。防犯カメラにばっちり映っとった」
単刀直入に言わないと分からないようだ。「焦らさないで教えて下さい」
「辻花大悟よ」と鬼政が言う。
「辻花大悟って、誰でしたっけ・・・」
名前に聞き覚えがあった。だが、思い出せなかった。
「兄ちゃん、あんたはこっちで会っとる。事件当夜は、死んだことになっとったが、翌日、あんたが辻花家に押し掛けた時に、出て来て追い返した、あの男や」
「ああ~高寛君のお父さん」鷲鼻の中年男性の顔が頭に浮かんだ。
そう言えば、井上輝秀と名乗っていた辻花大悟の弟、公正も鷲鼻だった。二人は兄弟だ。
「事件の背後に辻花大悟がいたって訳よ。やつが裏で全てを操っとった。黒幕よ。イカスミくらい――」と言い出したので、「真っ黒なんでしょう」と先手を打った。
「でも、辻花大悟氏が黒幕だったとしたら、何故、一度、弓月を開放したのでしょうか?命を助けておいて、また殺したのですか?」
「そうやあらへん。恐らく、代替案やったのや。最初の案では、辻花大悟は黒幕として表に出て来んと、弓月を殺害する計画やったのやと思う。その案がヘタこいた時の為に、代替案を用意しとったのや」
「バックアップ・プランがあったと言うことですね。プランAとプランBを用意していて、プランAが失敗した時の為にプランBを残しておいた」
「横文字は兄ちゃんに任せる。まあ、そういうことや」
鬼政の眼には、筋肉バカに見えているのだろうか。
「関係者を集め、弓月をおびき寄せて殺害する計画やったのや。口で言うほど、簡単に人など殺せへん。弓月に恨みを持つ人間を、あれだけ集めておけば、しくじることはないと思とったんやろうが、関係者を集め過ぎたんや。意見が合わんと、弓月を開放してしもた。辻花大悟にとっては、なんでや!と叫び出したくなる事態やったやろう」
「そこでプランBを発動させた」
「そういうこっちゃ。弓月を開放したことを知った辻花大悟は奥の手を繰り出したのや。蛭間朱里をつこぉて、弓月を呼び出し、殺害し、ため池にほった」
「辻花大悟を逮捕したのですか⁉」
「まだや。まだまだ、わいの想像やが、大体、そんなところやと思うとる。蛭間朱里の身柄も確保できておらへんし、車も見つかっとれへん。捜査はまだまだこれからや」
どこからどこまでが内部情報で、どこからが鬼政の想像だったのか分からない。
「なんだ~」と不平を漏らすと、「兄ちゃん、そう言わんといてや。かつては府警のエースと呼ばれたわいやけど、今や飯を食ったかどうかも覚えておらへん呆け老人の一人や。かつての部下の靴を舐めるようにして、苦労して手に入れた情報やで」
「そんな。部下の靴を舐めたのですか?」
「アホ。例えや。まあ、待ってな。またどかんと情報を仕入れて来たるからな。しかし、兄ちゃん、ビデオ通話って、おもろいな~また、相手してな~ほなな~」
鬼政は通話を切ろうとして、「おお、そうや」と何か思い出した様子だった。「兄ちゃん、今度の事件は、辻花家に弓月を誘い出せるかどうかが重要な鍵やった。その為に、実際にあった事件を巧みに利用した訳やけど、それにしてもいとも容易く引っ掛かったもんや」
側近くいた俺には弓月の気持ちが分かるような気がした。名を売った事件は過去のものとなり、華々しい成果に飢えていた。しかも、相談相手は裕福な一家だ。欲に目が眩んだ弓月が騙されたとしても不思議ではない。
だが、鬼政は言う。「あんたの事務所にスパイがおるんちゃうか?辻花大悟の意を受けて、弓月に偽の情報を流し、大阪に出向くよう細工した。そんな人物がな。兄ちゃん、あんたがそのスパイかとも思うたんやが、あんたやないな」
「ひどいな。僕のことを疑っていたのですか?」
「気ぃ悪うせんどいてや。あんたがスパイなら、偶然を装って、わいを訪ねて来て、わいと一緒に捜査の真似事なんぞせぇへんやろうから。弓月は行方不明のままやった方が、良かったんちゃうか。まあ、兄ちゃんに腹芸は無理やな。だがな、兄ちゃん、この商売、全ての人間を疑う必要があるんや。それが嫌なら、犯人捜しは諦めることや」そう言って、鬼政は通話を終了した。
口は悪いが鬼政の言う通りだ。うちの事務所にスパイがいる。その可能性があるような気がしてきた。
事務所に顔を出すと、阿部が顔を会わすなり、「藤川さん、おはようございます。私、事務所を辞めます」と切り出した。
「事務所を辞める?」
「杉山さんはもう、事務所を辞めたみたいですよ。沈む船からはゴキブリも逃げ出すって言いますものね。実久ちゃんも早く辞めた方が良いよ~って言われました」
ゴキブリではなくて鼠だろうと思ったが、阿部に言っても無駄だ。多少、天然なところが、阿部の魅力でもある。
やはり杉山は辞めたようだ。副所長の渡川が所長となり、事務所を引き継ぐことは公になっている。渡川と馬が合わないと言っていた杉山が辞めるのは、時間の問題だった。
「杉山さん、渡川さんと合わなかったらしいからね。渡川さんが連れて来たのに」と言うと、「えっ⁉」と阿部は目を見開いて「違いますよ。どこかの会社のお偉いさんから紹介を受けて、杉山さんを雇ったと渡川さん、言っていましたよ~私、渡川さんに頼まれて、アポを取りましたから」と言った。
どこかの会社の幹部から紹介を受けた?
「へえ、何処の会社?」
「う~ん。保険会社だったと思いますけど・・・」
「保険会社?」
「なりた・・・さんじゃなくて、なり・・・」
「成安生命?」
「ええ、そう、成安さん。成安生命の成安さんだったと思います」
杉山は成安生命の紹介を受けて、事務所にやって来た! 成安生命と言えば、辻花家と縁の深い大阪の会社だ。もっと言えば先祖をひとつにする、同族会社だ。
鬼政が言っていたスパイは杉山だったのだ。辻花家が成安生命を使って、杉山をスパイとして送り込んで来た。杉山が来てから、一年以上、経つと思う。随分、昔から計画を練っていたことになる。いや、井上晴秀の殺人事件が起こったのは、今から四カ月前だ。彼らは弓月をおびき寄せる口実ができるのをじっと待っていたのかもしれない。
用意周到に仕組まれた罠だった。井上晴秀の殺人事件の調査を担当したのは杉山だった。弓月が簡単に騙された訳だ。
杉山と話をした時、脳味噌に釣り針が引っ掛かったような違和感を覚えた。今、その正体が分かった。頭の中で雷が落ちたような気がした。
あの時、杉山は言った。田口が怪しいと思う。やつが弓月を殺した犯人じゃないかと。鬼政に口止めされていたので、辻花高寛から聞いた話は杉山には教えなかった。つまり、杉山が田口の名前を知っていたはずがないのだ。
黙り込んだ俺に、「藤川さんはどうします?」と阿部が無邪気な笑顔を向けた。
「えっ⁉ 何を?」聞いていなかった。
「藤川さんはどうします?仕事、続けるのですか?」
「う~ん」正直、何も考えていなかった。咄嗟に、口をついて出たのは、「弓月を殺した犯人が捕まるまで、ここにいようかなと思っている」という台詞だった。言ってから、それが本音だということに気が付いた。
鬼政と一緒に捜査の真似事をすることが楽しくて仕方がない。
「事務所を辞めてどうするの?」と尋ねると、「実家を手伝います」と阿部が答えた。
実家は確か、パン屋だったと思う。
「結局、ジムに連れて行ってくれませんでしたね」阿部が明るく言う。
俺がジム通いしていることは、皆、知っている。そう言えば、昔、飲み会で阿部に「ジムに連れて行って欲しい」と頼まれたことがあった。阿部は小柄で細身、風が吹けば折れてしまいそうな華奢な子だ。その時は、本格的なジムよりフィットネスクラブで十分だと答えたと思う。酒の席での戯言だと思っていた。
「えっ⁉」驚いた。
まさか、彼女、俺のことを、感情が乱れ、動悸が早くなる。
「パンを買いに行くよ」と言うと、阿部は「無理しなくても良いですよ。家から遠いでしょう」と笑った。
俺が何処に住んでいるのか知っている。
「住所を教えてよ。通うから」と言うと、阿部は「はい」と子供のように返事をした。
何時ものジムに来た。
今日は、なまった体を虐め抜くつもりだ。明日は筋肉痛が心地よく感じるだろう。通い慣れたジムだ。見知った顔ばかりだが、話しかけたことなどない。皆、無言で持ち上げることができる重量を競い合っている。
ヒラメがいた。名前なんてしらない。俺が勝手にそう呼んでいるだけだ。顔が平たいからヒラメだ。年の頃は、俺よりふたつ、みっつ下だろう。ビギナーだ。筋トレを始めて、まだ日が浅いようで、背は高いが、やたらと細い。
ヒラメがベンチプレスをやろうとしていた。
おいおい、初心者が一人でやると危ないぞ、と思ったが、俺を含め、周りにこれだけ人がいる。まあ、大丈夫だろう。そうは思ったのだが、大阪のホテルのジムを思い出した。会田と一緒に筋トレで汗を流したことを。
楽しかった。筋トレは一人でコツコツやるものだと思っていたが、誰かと一緒に汗を流すことで、何時もより余計に負荷をかけることができた。時間も気にならなかった。
そのことを思い出した時、「手伝いましょうか?」とヒラメに声をかけていた。
自分でも驚いた。どちらかと言えば人見知りの自分が、見も知らぬ相手に声をかけるなんて。ヒラメはと言うと、「えっ! 良いんですか。是非、お願いします」と嬉しそうだ。そして、聞かれもしないのに、「実は、まだ通い始めたばかりで、何をどうすれば良いのか、分からないんです。色々、教えて下さい」と言った。尻尾があれば、ぶんぶん振っていそうだ。
ビギナーだと言うことは見れば分かる。
「良いですよ」と答えてから、ベンチプレスのやり方をアドバイスする。ヒラメは「はい。はい」と真剣な表情で俺の話を聞いている。
ヒラメがジムに通うのは、細身であることから、ダイエット目的でないことは分かる。何故、ジムに来ているのだろう? そう思った時、「何故、筋トレをやるのです?」と聞いていた。
どうにも押さえが効かない。思っていることが、口をついて出てしまう。他人に話しかけたことで、少し、興奮しているのかもしれない。
何故、筋トレをやるのか? そう言えば、ホテルのジムで会田に聞かれたことだ。アメフトをやっていたので、習慣になっている。あの時、俺はそう答えた。ヒラメは何と答えるのだろう。
「僕ですか?」と言うと、「彼女ができたんです」とヒラメが満面の笑顔で言う。「頼りない自分にサヨナラしたくて、筋トレをやると決心したのです」
彼女を守りたい。その思いから筋トレを始めたと言うのだ。
「へえ~良かったですね。じゃあ、頑張らないと」
羨ましい。「はい」と答えたヒラメの顔がまぶしかった。
DNA鑑定の結果、白骨遺体は青木涼香のものであることが確認された。
あの日、弓月の実家の前にいた野次馬の中に、青木の姿を見た。あれは絶対に青木だった。変わり果てた姿とは言え、娘が戻って来て喜んでくれているだろうか。
弓月殺害の犯人として、容疑者が捕まったという報道があった。詳細について報道がなく、警察から探偵事務所への連絡もなかった。
事件は大詰めを迎えているようだ。
だが、鬼政からの連絡がなかった。辻花大悟が捕まったのか? それとも蛭間朱里が見つかったのか? 大政さん、連絡してくれよ~と、ジリジリしながら鬼政からの連絡を待っていた。
「兄ちゃん、ビデオ通話のやり方を忘れた。悪いけど、もういっぺん、教えてくれへんか」と鬼政から連絡があったのは、二日後だった。電話だ。
「教えるのは構いませんが、事件の話を聞かせて下さい」と念を押してから、もう一度、初めからビデオ通話のやり方を教えた。
電話だと、なかなか分かってもらえない。
何とか開通すると、初めてのビデオ通話でもないのに、「おおっ!兄ちゃん、あんたの顔がはっきり見えるで!」と鬼政は歓声を上げた。
「大政さん。事件に進展があったみたいですね。容疑者が捕まったという報道がありました。誰が捕まったのですか?」
「おいおい、兄ちゃん、急いては事を仕損じるって言うやろう。そう急ぎなさんな」
「ああ、そう言えば」と俺は事務所の調査員、杉山が辻花家のスパイだったことを鬼政に説明した。
「まあ、そやろな。赤壁の戦いの黄蓋みたいなもんや。投降を偽って、敵陣営に乗り込んだ。そんなええもんちゃうか。金で動いただけやろ」
また三国志だ。余程、好きなのだ。
「僕が見つけた白骨遺体、青木涼香ちゃんのものであることが確認されたみたいですけど、遺体を発見した日、野次馬の中に涼香ちゃんのお父さんを見たような気がします。間違いありません。あれは青木さんでした」
「さよか。弓月の告白を聞いて、飛んで行ったんやろう。はよ、娘さんに会いたかったんやろうな。兄ちゃん、よぉやった。青木さんも喜んでくれとるで」
鬼政にそう言われると、嬉しくなった。
いきなり本題に入った。「捕まったのは辻花大悟や」
「やはり捕まったのは辻花大悟だったのですね」
「蛭間朱里の居場所も突き止めたようや。身柄を確保している」
「二人で弓月を呼び出し、殺害したと言うことですか?」
「それがちょっとちゃうようや」
「どう違うんですか?」
「弓月が解放されたことを知った辻花大悟は蛭間朱里と連絡を取った。蛭間朱里が弓月と連絡を取ると、弓月の方から会いたいと言うてきたみたいやで」
「弓月の連絡先を知っていたのですか?」
「こういうことや」と鬼政が経緯を説明してくれた。
事件の三日前、蛭間朱里は大阪にやって来た。俺たちが泊ったホテルに宿泊していたのだ。予約を入れたのは辻花大悟だった。辻花大悟の手配で大阪へやって来た。
「辻花大悟によれば、蛭間朱里は弓月を誘き出す為の餌に過ぎひんかったそうや。弓月を誘き出しさえすれば、後の始末は自分でつける。そのつもりやった。辻花大悟はそう証言しとる」
高寛たちが弓月を開放してしまったことを知った辻花大悟は、いざという時の為に残しておいたバックアップ・プランを発動させた。
辻花家は当然、連絡先として弓月の携帯電話番号を知っていた。蛭間朱里に電話を掛けさせ、弓月を呼び出すことにした。ひょっとしたら、相手が女性なら、弓月も油断するかもしれない。そう考えた。
ただ、バックアップ・プランと言っても、綿密に練り上げた計画ではなかった。弓月を呼び出すことさえ出来れば、後は何とかする。その程度の行き当たりばったりの計画だった。
「蛭間朱里さんは何と言って、弓月を呼び出したのですか?」
「それがな。特にへんなことは言っとれへんそうや。ウチは蛭間昭雄の母親や。昭雄の事件について話をしたい。ウチは真相を知っとる。なんで、昭雄が死んだのか、その訳を知っとる。昭雄は自殺なんかやない。殺されたんや。そのことは、誰よりも自分が一番、よぉ知っとる――とまあ、そないなことを言うただけやそうや」
「それで、どうなったのですか?」
「会いたいので迎えに来てくれ。弓月はそう言ったそうや。弓月を何処に連れ出すかと言うことだけは、打ち合わせておいたらしい。ため池の近くに小さな神社があったことを覚えとるか?
「車を停めた場所ですね。辻花家の祖先、坂上田村麻呂所縁の神社だったのですね」
「そうや。ほんで弓月に襲われたと蛭間朱里は証言しとる」
「えっ⁉」弓月に襲われた。どういうことだ? 殺されたのは弓月の方だ。
「ウチは知っとる。昭雄は自殺やない。昭雄を殺したのは、あんたや。証拠だってあると言うような話をしたら、突然、弓月が襲い掛かって来よった。いきなり襲い掛かって来て、首を絞められた。蛭間朱里はそう証言しとる」
「弓月に襲われた。でも、でも」
「ああ、せや。殺されたのは弓月や。五十前後のおばちゃんが若い男に襲われて、力で勝てる訳があれへん。せやさかい言うたやろう。何処に呼び出すかについては、予め打ち合わせをしてあってん。坂上神社には辻花大悟が潜んどった。弓月を殺害しようと、虎視眈々と待ち構えとってん」
弓月に襲われた蛭間朱里は咄嗟にドアの鍵を解除した。蛭間朱里の首を絞めることに夢中になっている弓月は気が付かない。背後から辻花大悟が襲い掛かった。「辻花大悟は弓月の首を絞めた。蛭間朱里の首を絞める弓月の首を絞めたって訳や」
地獄絵図だ。蛭間朱里の首を絞める弓月の首を背後から辻花大悟が絞める。あさましい構図が脳裏に浮かんだ。
「そして、弓月は殺害された。そういうことですね」
弓月を殺害した辻花大悟と蛭間朱里は池に遺体を遺棄し、車で走り去った。その姿が防犯カメラの映像に残ってしまったのだ。
学生時代には憧れの存在だった。一緒に働くようになって、憧れは別のものに変質していったが、弓月が殺されて喜んでいる訳ではない。虚栄心が強くて、自分勝手な男だったかもしれない。本性は醜い殺人者だったのかもしれない。だが、弓月のことを何処か憎めない自分がいた。
「蛭間朱里の証言や。辻花大悟の証言も同じやった。証言通りやとすると、正当防衛が成り立つかもしれへん。弓月は既に殺されとる。死人に口なしや。殺害目的で神社に呼び出したことを証明できるかどうか、それが罪状を分ける鍵になりそうや」
「しかし、何故、弓月は蛭間朱里の呼び出しに応じたんでしょうか?何故、彼女を殺そうとしたんでしょうか?」
「分からへん。蛭間朱里も何故、弓月が呼び出しに応じたのか不思議やと言うとったみたいやで。逆に、兄ちゃん、あんたに聞きたい。弓月は何故、蛭間朱里の呼び出しに応じたんや。傍にいたあんたなら、分かるんちゃうん?」
「僕がですか⁉」と一瞬、驚いたが、何となくだが弓月の考えが分かるような気がした。
かつて弓月が言った。関係者を皆殺しにして、自分がいた形跡を消しておけば、完全犯罪が成立すると。弓月は蛭間朱里を殺して口を封じるつもりだったのではないだろうか。
弓月の言葉と想像を鬼政に伝えてみた。
「なるほどな。皆殺しか・・・実はな、弓月の携帯電話が見つかったんや。辻花大悟が隠し持っとった。携帯電話の情報を解析したところ、最後の通話は蛭間朱里からのものやった。検索履歴も分かっとる。殺害される前、弓月は携帯電話をつこて、大阪から東京に戻る方法を検察していた。深夜バスに電車、新幹線、航空機まで大阪、東京間のあらゆる移動手段を検索しとった。はよ東京に戻りたかったんやと思うたんやけど、兄ちゃん、あんたの話を聞くと、恐ろしい想像が頭に浮かんだ」
「恐ろしい想像?何ですか?」
「アリバイ作りや。蛭間朱里を殺害した後、アリバイ・トリックをつこて、大阪におらなんだことにしたかったんやないか」
「そうかもしれませんね」弓月ならあり得る。
「それにな、携帯電話の地図に辻花家の場所がマークされとった。弓月は辻花家に戻るつもりやった。ひょっとしたら――」
ああ、そうだ。鬼政の言わんとしていることが分かった。「あの夜は事件関係者が辻花家に集まっていました。蛭間朱里を殺害した後、辻花家に向かい、関係者を皆殺しにするつもりだったのですね」
「考えすぎかもしれんけどな」鬼政が厳しい表情で呟いた。
「これで事件も解決ですね」
「あんたにとっては事件解決やろが、捜査はまだ続く。裏付けを取るのはエライねん。辻花大悟は正当防衛を主張して来るかもしれへん。蛭間朱里を守る為に弓月を殺害したのだと。弓月を殺害目的で呼び出したことを証明することは、めっちゃややこしいやろうな。
取り調べを担当した刑事に辻花大悟が尋ねたみたいやで。刑事さん、正義って何なんでっか?ってな。司法の力で犯罪者に罰を与えることが出来ひんかった。遺族はそれで満足できると思うか? 正しいことをしようとして殺された子供の、濡れ衣を着せられ殺された子供の、車に跳ねられ病院にも連れて行ってもらえんと亡くなった子供の無念を晴らしてやること、それこそ正義やあらへんか?苦しい時に人に優しくできる人間になりなさい。そう言って、わいは子供を育てた。せやさかい、あの子は正しいことをしようとした。辻花大悟はそう言うて泣いたらしい」
何も言えなかった。辻花大悟の、高寛の、田口智康の、蛭間朱里の、そして青木矩史の苦しみが分かるような気がした。
俺のような部外者が口を出せる問題ではない。
「ああ、そうだ。鬼政さん」
鬼政とは良いコンビだったと思う。ついこの前のことなのに、真実を追い求めて、平野の町を走り回ったことが、遠い昔の思い出のように懐かしく思い出された。折角、仲良くなれた。鬼政とこれで縁が切れてしまうことが残念だった。
「うん。なんや、兄ちゃん」
鬼政も少しは未練があるのかもしれない。
「折角、こうして知り合いになれたのです。たまにはビデオ通話をやりませんか?二人だと話が弾まないかもしれませんから、仲間を増やして」
「おう。ええな。この年や。携帯を覚えるのも大変でな。教えてもらえる人間が欲しかったところや」
「ゲストを呼んでありますので、ちょっと待って下さい」
「ゲスト?」
「大政さんも知っている人ですよ」
「わいの知っとるやつ?マコっちゃんか?」
「はは」と俺は笑ってごまかした。
予め話をして待機してもらっていた。ビデオ通話で呼び出しを掛けると、直ぐに応答があった。画面が広がる。そこには花屋「紬」の女主人、漆原の姿があった。
「マイちゃん!」鬼政が絶句する。
紬で携帯電話の操作を教えた時に、連絡先を聞いておいた。鬼政の知り合いだ。警戒心を抱かなかったようだ。簡単に教えてくれた。ビデオ通話をやらないかと声を掛けたら、是非、覚えたいと言う。そこで、やり方を教えて、今日、待機してもらっていた。
鬼政には世話になった。
これは俺からのプレゼントだ。
了
悪魔に捧げる鎮魂歌 西季幽司 @yuji_nishiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます