第3話

 僕たちはカフェテリアの隅にある四人掛けの席に腰を下ろした。奢ってやるよと言われたのはいいものの、特に食べたいものはない。しかしこんな機会を逃すわけにもいかず、売店に向かって奴の後ろを付いていく。

「なんか食いたいもんある?」

「うんん、あんまりお腹すいてないから飲み物だけで大丈夫。」

「わかった。このホットチョコレート結構美味いから飲んでみ。」

「うん、ありがとう。」

 できたてのホットチョコレートを両手で持ち、ふーふーと冷ましていると奴は本日のメニューのところへ足を運びだした。

「じゃあ俺は――バーガーのバンズだけいただこっかな。」

「え、そんなことできんの。てか、それ栄養皆無じゃん。」

「いや俺これ結構好きなんだよね。ちょっと甘いし。それにバンズだけだったら無料でもらえるんだぜ。絶対入荷しすぎだろ。」

「ふーん、初めて知った。いつ頼むかわかんないけど。」

 これはめっちゃ気分次第、と奴は笑いながら会計のおばちゃんに挨拶をして通り過ぎていく。どうやら奴はバンズの秘密を知っている数少ない内の一人らしい。


 二人で席に戻り、目の前のホットチョコレートが冷めるのを待ちながら話す内容を考える。まず最初に名前だろ?住んでるところも聞こうかな。あとは無難に兄弟とか、いつからイギリスにいるかとかかなあ。


 すると僕の思考を遮るように

「ユウリさ、もしかして猫舌?」

 と唐突に聞いてきた。

「いや、猫舌じゃないけど、これまだめっちゃ熱いもん。絶対飲めない。」

「嘘だあ。ちょ、かして。」

「え。」

 僕の抵抗は塵と化し、

「うん、あんま熱くないぞ、これ。やっぱ猫舌だろ。」

 と奴は僕のホットチョコレートの半分ほどを一気に飲んでしまった。まさかこんなに距離を詰めてくる人なのか。近距離すぎるだろ。近距離どころじゃないだろ。だめじゃん、それ。さっき初めて話だじゃん。大丈夫なのか。そして呆気にとられている僕を横目に、奴は何の説明もなく堂々とバンズを食いだす。さすがの僕も嘘だろーとくり返し心の中で叫んだが、いざ正面に座る声のいい、顔の整った奴を前にすると許してやらんこともなかった。


 今度こそ名前を聞こうと思い、

「あのさ、まだ聞いてなかったんだけど名前なんていうの?」

 と尋ねる。

「確かに、忘れてたわ。父親がブラジル人だから日本語名と英語名あるけど、どっちがいい?」

「なにそれ、めっちゃかっこいいじゃん。そこはぜひ両方お願いします。」

「やっぱり?わかった。日本語はタツユキで、英語はAlexanderだからいつも学校だとアレックスって呼ばれてる。家ではずっとタツって呼ばれてるかな。」

「へえ、かっこいい!日本語と英語どっちも名前あるなんてかっこよすぎじゃん。」

「いやあ、なんも普通だよ。」

 少し照れている奴はこの上なく愛おしい。それに加え、長いまつ毛が伏し目になった瞬間がポイントである。どこか中世的な、落ち着きのある雰囲気を醸し出していてすべて僕にはない、羨ましいものだった。

「じゃあ僕どっちの名前で呼んだらいいかな。」

「俺は気にしないから、楽な方でいいよ。」

「ほんとに?じゃあアレックスって呼んでいい?」

「もちろん。」


 これは何ともかっこいい名前である。それに父親がブラジル人だとは少し意外だった。確かに、目元や体格は父親譲りなのだろう。でも僕は奴の少し長めに切りそろえてある髪の毛もこの上なく好きだった。恐らく自分の中の細胞の半分はすでに奴のことが好きになっているのであろう。しかしもう半分は認めておらず、あいつ顔だけだろ、とか、どーせ彼女とかいるんでしょ、典型的なパターンね、とか色々と冷やかしてくる。当の僕はどっち側に立っているのかもわからないままだが、少し奴との距離は縮まった気がする。元はといえばあっちから急接近してきたのだが。しかしそんなことを考えていると最後の授業の時間になり、僕は精一杯飲み切ったホットチョコレートの紙コップをゴミ箱に捨てる。奴はもう一枚のバンズは帰りのバスで食べるからと丁寧にしまっている。まだなかなか理解できない部分があるが、今日は久しぶりに笑顔でいられた気がする。


 僕、頑張って名前で呼ぶねと一応緊張したときの保険をかけておきながら二人でカフェテリアを出る。次はいつ話せるのだろうか。

「ユーリさ、今週の日曜日空いてる?」

心臓が飛び上がったのは僕の意識が奴の言葉に向くよりもずっと前だった。何か来るようなフリだが、普通を装う。

「いや、なんもないよ。どうしたの?」

「俺さ、母にユーリのこと話したし、もしよかったらうちで遊ばない?」

まさか会ってこんなすぐに奴の家に行くとは思ってもいなかったし、いくらなんでも早すぎだろと思った。が、僕は有頂天で奴に答える。

「ほんとに!?いいの??ありがとう、めっちゃ嬉しい。」

「もちろん。ユーリさ、ゲームとかする?」

「ちょっとはするかな。スマブラとか、マリカとか。」

「おっけい。じゃあ俺ちょっと勉強もするから、勉強道具も持ってきてよ。一緒に勉強しよ。んで、ゲームしよ!」

「わかった!ありがとう、楽しみにしてる。」

「こちらこそ。」


 意外とゲームとかする人なんだと思ったが、さすがに勉強もするらしい。しかし僕にとっても英語を教えてもらえるチャンスなのでとてもありがたい。今日は木曜日。日曜日まではあと三日ある。今までで一番長い三日間になりそうだ。

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消えていく、春 あおた @Asaky

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