あとがき

あとがき

 ここまでお読みくださいましてありがとうございます。

 夢月七海さま主催の自主企画「同題異話・九月号  黄金林檎の落つる頃」

https://kakuyomu.jp/user_events/16818093084060354633

参加作です。

 夢月七海様、今月もすてきなタイトルをありがとうございました。

 今回は月内に完結させました。(汗)


 「黄金の林檎りんご」伝説はさまざまなものがあるようですが、私はまず「パリスの審判の黄金の林檎」を思い浮かべました。

 なぜかというと。

 『夏のヘレン』

https://kakuyomu.jp/works/16818093081840413424

を公開したところでしたから。

 不和の女神エリスが婚礼の席に「いちばん美しい女神へ」と書いた林檎を投げ入れる。「だれがその林檎を受け取る資格があるか」の審判を任されたトロイアの王子パリスは、「いちばん美しい女を」と約束したアフロディテ(アプロディーテー)を勝たせる。

 その見返りにパリスが連れ去った絶世の美女がスパルタの王妃ヘレネーだったのですが。

 これが『夏のヘレン』の野見のみへれんの名のもとになった「ヘレン」です。

 林檎関係では「凍らせ焼きりんご」を買いに行ったり食べたり、という場面もありますし。


 ということで、同じ「パリスの審判(の黄金の林檎)」で物語を書くことにしました。


 私が夢月七海様の「同題異話」に連続参加するようになってから半年、ということもあって、五月号「いつまでも輝く母へ」の久美子くみことアキの物語(この物語は八年後まで行くので「後日譚」ではありませんが)と、八月号「沸騰する祭×去らない熱」の後日譚(こちらは翌日の話なので「後日」です)を合わせました。


 で、最初は、「パリスの審判」の物語は地の文で説明することにしていたのですが。

 パリスの別名がアレクサンドロスだということに気づいて、マケドニア王アレクサンドロス三世、つまりアレクサンドロス大王がその物語を語る、ということにしました。

 ちなみに、審判役なのに競技参加者が申し出た見返りで勝敗を決めるというコンプライアンス違反をやったパリスさん、『イーリアス』では、アキレス腱以外に弱点のない英雄アキレウスを弓で一発で仕留めています。

 弓矢でアキレス腱を射貫くって、けっこう難しくないですか?

 古代ギリシャって、「男は強いのが正義、女は美しいのが正義、正義なら何をやってもいい」みたいな世のなか、という感じがします。もうコンプライアンスとかあったもんじゃないです。

 古代ギリシャ人は、ペルシャ(現在のイラン;当時はアカイメネス王朝)に対して「おまえたちは大王に従っているが、われらは法に従っている」とか自慢していたようです。それを真に受けて、「ペルシャ人は大王の言いなりでこき使われるあわれな人たち、ギリシャ人は自由でありながら法に従う素晴らしい人たち」と学校で教えたりしますけど(少なくとも私はそう習いましたよ。だいぶ昔ですが)、ほんまかいな、という……。

 (←著者が職場でコンプライアンス研修を受けた後で機嫌が悪いともいう(汗))。


 アレクサンドロス大王の王妃となったロクサネは、バクトリアの王女(豪族の娘)だったということです。

 バクトリアというと、アレクサンドロスが滅ぼしたアカイメネス王朝の領域のいちばん東で、中央アジアにあたります。なお、ここでいう「エーラーン」が現在の「イラン」にあたります。

 ロクサネというと、英語では「ロクサーヌ」なので、私などは反射的にスティングの歌声が頭に浮かんだりするんですが(歳がバレる)。

 ロクサネの地元のことばでは、「ロクサネ」は「輝く」や「輝く美しさ」というような意味だったそうなので、五月号にちなんで「いつまでも輝く母になるのだ」ということばを入れたりもしました。


 で、瑞城ずいじょう女子高校の物語と久美子の物語はここに組み込んだのですが、このままだと六月号と七月号の「セントローレンスのパーシャンハウンド号」の物語が無関係になってしまうので。

 ロクサネが中央アジアの王女なのなら、戦国時代の中国情勢も知っているかも知れないし、じゃあ、ということで、その向こう、海の向こうに「扶桑ふそうの国」(「扶桑」は後に日本の自称になります)があるということでその物語とも関係をつけました。

 「パーシャンハウンド」は「ペルシャの猟犬」(サルーキという犬種)なので、そこからまたペルシャ(イラン)に関連が返って来るような。

 一九世紀のパーシャンハウンド号の物語では中国を「チン」と呼んでいますが、この物語では、読みの表記は同じく「チン」でも「秦」です。こちらが現在の「チャイナ」の語源になったと言われています。

 哲学者アリストテレスに宇宙論を学んだアレクサンドロスが「扶桑の国」の存在も知っていた、という、大きな話にしてあります。


 なお、現在の「インド」という地名は、もともと現在はパキスタンに属するスィンドにちなむものです。ペルシャでは「ヒンドゥー」と呼ばれ、「インド」になりました。ペルシャ側からはスィンドが現在の「インド」の入り口なので、現在の「インド」全体を外から呼ぶ地名になりました。

 したがって、ペルシャ側からはこの当時から「ヒンドゥー」だったのだと思いますが、ここでは「スィンド」という地名にしてあります。

 ちなみに、「インド」は、日本にとっての「ジャパン」と同様の外国からの呼び名で、インド自身は「バーラト」と呼んでいます。


 アレクサンドロスの死因は議論のあるところですが(師であったアリストテレスが黒幕になって暗殺したという説まである)、ここでは単純に「熱病」としました。


 ということで、壮大な夢を語る女子高校生年齢の古代の王妃の物語に、現代日本の高校生・大学一年生の話をはさむ、という構成になりました。


 それでは、また、よかったらまた次の物語でお目にかかりましょう。


 清瀬 六朗


 ※ この物語はここで完結します。本篇に関連する(関連のとても薄いテーマもあります(汗))話題についてのエッセイを明日から。『『黄金林檎の落つる頃』附録』として連載します。

 よろしかったらご覧ください。

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黄金林檎の落つる頃 清瀬 六朗 @r_kiyose

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