第12話 戸惑う幹部たち

「人間の国から和平交渉の使者だと!?冗談ではない!」


 バルザード将軍の怒声が、魔王城の会議室に響き渡った。人事制度改革の発表から一夜明け、緊急招集された幹部会議は、まさに戦場と化していた。


 私は魔王であるバルグリムさんの右手に座り、冷や汗を流しながら状況を見守っていた。改革どころではない。突如として訪れた和平交渉の話で、幹部たちは右往左往していたのだ。


「落ち着くのだ、バルザード」


 バルグリムさんの低く重々しい声が響く。


「まずは使者の話を聞こうではないか」


 バルグリムの言葉に、会議室の空気が少し和らいだ。しかし、幹部たちの顔には依然として戸惑いの色が濃く残っている。


「お言葉ですが、魔王様」


 死霊術師長のモルティシアが青白い顔を更に蒼白にして発言した。


「こんな唐突な和平交渉……きっと罠に違いありません」


「そうだぞ!」


 魔獣部隊長のグリムファングが唸るように同意した。


「奴らの目的は我々の警戒を解くことに決まっている!」


 幹部たちのざわめきが再び大きくなる中、バルグリムさんが私に視線を向けた。


「人間である人事総務部長兼経営企画室長よ、貴様はどう思う?」


 突然の問いかけに、私は一瞬戸惑った。しかし、すぐに心を落ち着かせ、答えた。


「バルグリムさん、確かに慎重になるべき状況です。しかし、この機会を活用することもできるのではないでしょうか」


「ほう?」


 バルグリムさんが興味深そうに眉を上げた。


「どういう意味だ?」


 私は深呼吸をして、言葉を選びながら話し始めた。


「この和平交渉の申し入れは、我々の改革と無関係ではないと考えています。魔王軍の変化に、人間側が何らかの反応を示した可能性があります」


「なに!?」


 バルザード将軍が再び声を荒げた。


「貴様が始めたお遊びの改革などで、人間どもが怯えるはずがない!」


 しかし、私は動じずに続けた。


「いいえ、将軍。怯えているのではなく、興味を持ったのかもしれません。どうやって人間の国が知ったのかは分かりかねますが、我々の改革は魔王軍を効率的で持続可能な組織に変えようとしています。それは人間側から見れば、より予測困難で手強い敵になることを意味します。とはいえ、制度の設計を始め、セリアさんの部隊にて実証実験を始めたところですので、先手を打って妨害するための罠、という見方もできます」


 会議室が静まり返る。全員の目が私に注がれていた。


「以上を踏まえると」


 私は慎重に言葉を紡いだ。


「人間側は、変化する魔王軍との新たな関係性を模索しているのかもしれません。これは交渉の余地があるということです」


 バルグリムさんが、深く考え込むような表情を見せた。


「ふむ……面白い見解だ」


 その時、セリスさんが勢いよく立ち上がった。


「そうです!これって、私たちの改革が上手くいっている証拠かもしれません!」


 彼女の明るい声に、幹部たちの表情が少し和らいだように見えた。


「しかし」


 モルティシアが不安そうに口を開いた。


「和平となれば、我々の存在意義は……」


「いえ、違います」


 私は静かに、しかし力強く言った。


「和平は必ずしも敵対関係の終わりを意味しません。むしろ、新たな形での競争の始まりかもしれません」


「競争だと?」


 グリムファングが首を傾げた。


「はい」


 私は頷いた。


「例えば、人間の国と魔王軍が、どちらがより効率的で豊かな社会を作れるか。そんな競争です」


 バルザード将軍が鼻で笑った。


「ふん、そんな平和ボケした考えで……」


 しかし、魔王バルグリムが手を上げて彼を制した。


「待て、バルザード。面白い考えではないか」


 バルグリムさんの目に、かすかな興奮の色が浮かんでいた。


「戦争以外の方法で人間どもを打ち負かす……これぞ我らのの力と言えるかもしれんな」


 会議室に、新たな可能性を感じさせるような空気が流れ始めた。


「では、バルグリムさん」


 私は慎重に尋ねた。


「使者との面会はいかがなされますか」


 バルグリムさんはしばし黙考し、そして決然とした表情で言った。


「会おう。だが、油断は禁物だ。万全の警戒態勢で臨め」


「はっ!」


 幹部たちが一斉に応じた。


 魔王の決定に、会議室の空気が一変する。戸惑いは決意に、混乱は緊張に変わった。


 しかし、この決定が魔王軍にどのような影響を与えるのか、誰にも予測できない。改革の行方も、和平交渉の結果も、すべてが不確かだ。


 私はセリスさんと視線を交わし、小さく頷き合った。これからが正念場。魔王軍の、そして私たちの真価が問われる時が来たのだ。


 会議が一段落すると、幹部たちは各々の持ち場に戻っていった。私とセリスさん、そしてバルザード将軍だけが、魔王バルグリムと共に会議室に残された。


「で、人間よ」


 バルザード諸軍が不機嫌そうに私を見つめた。


「和平交渉だの改革だの、お前は一体何をたくらんでいる?」


 私は平静を装いつつ、冷や汗を流しながら答えた。


「たくらみなど何もありません。ただ、魔王軍のさらなる発展を……」


「発展だと?」


 バルザードが鼻で笑う。


「我々は征服者だ。人間どもと仲良く競争などしてどうする!」


 その時、セリスさんが勇気を振り絞ったように前に出た。


「あの、バルザード将軍」


 彼女の声は少し震えていたが、目は真剣だった。


「わたしたち、本当に征服だけが目的なんでしょうか?」


 バルザード将軍は目を丸くした。


「何!?貴様、反逆か!?」


「ち、違います!」


 セリスさんは慌てて手を振った。


「ただ、征服した後のことも考えるべきじゃないかなって……」


 バルグリムさんが、深いため息をついた。


「セリス、お前まで人事総務部長に感化されたか」


 私は慌てて割って入った。


「違います、魔王様。むしろ、セリスさんの言葉こそ、真の魔王軍の姿を示していると思います」


「ほう?」


 バルグリムさんが興味深そうに眉を上げた。


「説明してみろ」


 私は深呼吸をして、言葉を選びながら話し始めた。


「征服は目的ではなく、手段だと考えています。真の目的は、バルグリムさんの理想とする世界の実現。そのためには、単に破壊するだけでなく、創造し、育てる力も必要なのではないでしょうか」


 バルザード将軍が鼻を鳴らした。


「くだらん。我々は恐怖の対象であればそれでいいのだ。それが人間どもを効率的に支配することができる」


「いえ」


 私は静かに、しかし力強く言った。


「恐怖だけでは長続きしません。尊敬され、あこがれの対象となることこそ、真の支配者の姿なのです」


 会議室が静まり返る。バルグリムさんの目に、何かが宿ったような気がした。


「面白い」


 バルグリムさんが低く呟いた。


「人間よ、お前の言う『理想の世界』とは、具体的にどのようなものだ?」


 私は一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。


「例えば……魔物と人間が共存し、お互いの強みを活かし合える世界。関わりたい者だけでなく、関わりたくない者も自身の意見が尊重され、誰もが夢を叶えられる世界……」


「はっ!」


 バルザード将軍が鼻で笑った。


「夢物語も良いところだ。そんな世界、実現できるわけがない」


 その時、思いがけない人物が口を開いた。


「でも……面白そう」


 声の主はセリスさんだった。彼女は少し恥ずかしそうに、でも目を輝かせながら続けた。


「私、その世界を見てみたい。魔物の子供たちが、人間の子供たちと一緒に学校に通ったり……人間のアイドルが魔界でライブをしたり……」


「セリス」


 バルグリムが呆れたような、でも少し柔らかい声で言った。


「貴様、人間の文化に毒されすぎだぞ」


「えへへ」


 セリスが照れくさそうに頭をかく。


「でも、本当にそんな世界があったら素敵だと思うんです」


 バルザード将軍は呆れた表情を浮かべていたが、その目には少しばかりの興味の色が宿っているように見えた。


「まあ、夢を見るのは自由だがな」


 バルザード将軍は渋々といった様子で言った。


「しかし、現実はそう甘くはない」


 バルグリムさんは、しばし黙考していたが、やがて決然とした表情で言った。


「よし、決めた」


 私たちは息を呑んで魔王の言葉を待った。


「人間の使者との会談は、私が直々に行う」


 バルグリムさんの目に、今まで見たことがないほど昂揚の色が宿っていた。


「そして、お前たち二人も同席させよう」


「えっ!?」


 私とセリスさんは思わず声を揃えた。


「な、何故ですか、魔王様?」


 バルザード将軍が驚いて尋ねた。


 バルグリムさんは不敵な笑みを浮かべた。


「単純な好奇心さ。人間たちが、我が魔王軍の『改革』をどう見ているのか、この目で確かめたい」


 私とセリスさんは顔を見合わせた。期待と不安が入り混じる中、魔王の決定を受け入れるしかなかった。


「話は以上だ」


 バルグリムさんが立ち上がる。


「明日の朝一番で、使者を迎え入れる。万全の準備をしておけ」


「はっ!」


 全員が頭を下げた。


 会議室を出る直前、バルグリムさんが私たちに向き直った。


「そうだ、人間阿井澤あいざわよ」


「はい」


 私は緊張して返事をした。


 バルグリムさんの口元に、不敵な笑みが浮かんだ。


「明日の会談、楽しみにしているぞ。お前の『理想の世界』、本当に実現できるのか、しっかりと見せてもらおう」


 そう言い残して、魔王は颯爽と去っていった。


 私とセリスさんは、再び顔を見合わせた。明日の会談が、魔王軍の、そして両国の未来を決める。その重圧が、私たちの肩に重くのしかかっていた。


 そして、まるで運命の悪戯かのように、廊下の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。


「伝令!」


 息を切らせた伝令が駆け込んでくる。


「人間の使者の中に、元魔王軍の幹部がいるそうです!」


 私とセリスは驚きの表情を交換した。バルザード将軍は目を見開いて叫んだ。


「何だと!?裏切り者がいるというのか!?」


 私の頭の中で、様々な可能性が駆け巡った。元幹部が人間側の使者として来るということは、これは単なる和平交渉ではないのかもしれない。


「詳しい情報はありますか?」


 私は伝令に尋ねた。


 伝令は首を振った。


「申し訳ありません。それ以上の詳細はまだ分かっていません」


 バルグリムさんは眉をひそめ、深い溜め息をついた。


「状況はより複雑になったようだな」


 セリスさんが不安そうに口を開いた。


「ど、どうしましょう……」


 私は一瞬の躊躇の後、決意を固めた。


「この状況こそ、私たちの改革の真価が問われる時なのかもしれません」


 バルグリムさんが興味深そうに私を見つめた。


「ほう?どういう意味だ?」


「元幹部が人間側についているということは、魔王軍の内情を知っている者がいるということです」


 私は慎重に言葉を選びながら説明した。


「しかし、その人物は古い魔王軍しか知りません。私たちの改革で変わりつつある新しい魔王軍を見せることで、交渉を有利に進められるかもしれません」


 バルザード将軍は鼻で笑った。


「ふん、甘い考えだ」


 しかし、バルグリムの目に興味の色が宿った。


「面白い……」


 彼はゆっくりと頷いた。


「よし、明日の会談、お前たちの手腕に期待しよう」


 私とセリスは身の引き締まる思いだった。明日の会談は、想像以上に難しいものになりそうだ。しかし、これは同時にチャンスでもある。


 私たちの改革が、魔王軍の、そして両国の未来を変える。その可能性を、明日しっかりと示さなければならない。


 部屋を後にする直前、セリスが小さな声で私に囁いた。


「ねえ、晴太さん……明日、本当に大丈夫でしょうか?」


 私は彼女に微笑みかけた。


「大丈夫です。私たちならきっとできますよ」


 その時、突然城全体に轟音が響き渡った。何かが起きたのか?


 私たちの運命を左右する会談を目前に、新たな波乱の幕が上がろうとしていた。

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転生した元社畜、魔王軍の人事総務部長になって働き方改革します!〜効率化と福利厚生で最強軍団に〜 カユウ @kayuu

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