第3話 海賊

「カモメ、シロイトリ。モットオオキイ、カモメ、ハ、アホウドリ」

 青く輝く海を滑るように飛ぶ鳥達を眺めて、ポーリーがつぶやいた。

「シロ、ハ、クロ、ヨリ、キレイ、イワレタ……」

 隣で紙にペンを走らせていたジョンが、そんな小さな少女を撫でる。

「いいえ、ポーリー。黒はこの世で最も尊い色のひとつですよ。尊い人しか身に着けられない宝石の色でもあり、眠る人達を優しく包み込む夜の色です」

「それでも四の五の言ってくるやつは、この私にぶった切られてサメの餌にされたところで文句は言えないから、安心しな。堂々としてりゃいいんだよ」

「オヤブン、ツヨイ、ゴシュジン、ヤサシイ」

 幸せを噛み締めるように、真新しいワンピースの裾をぎゅっと握って、ポーリーが言った。

「ワタシ、シアワセ」

「そいつぁよかった。ゴシュジンに感謝しなよ。元はと言えば、あいつが言い出したことだからね」

「ポーリー、オヤブン、モ、ダイスキ!」

 親子程に年の離れた男女が、南の島の少女を連れて歩く姿はどうやら人目を引くらしく、海峡を渡るこの船でもすっかり目立ってしまっていた。それを気にするでもなく、甲板で海を見ながら紙にペンを走らせるジョンの隣で剣を磨き、イザベラが言う。

「明日には大陸入りだよ。しかし船ってのは気持ちがいいもんだねえ」

 剣を磨く顔を上げて立ち上がり、ぐっと伸びをして潮風を体中に受ける。鍛えられた長い脚で甲板に立つ彼女を思わず眺めて、ジョンが言う。

「さすが、我らが親分には潮風がよく似合います」

「余生は海賊にでも転職しようかね!」

 海賊と聞いてぎょっとしてこちらに視線を投げてくる乗客もいる中、

「オヤブン、カッコイイ、ナンデモデキル!」

「大海原を駆ける女海賊ですか。良い詩の気配がしますね」

 ジョンとポーリーだけが動じることもなく、呑気に甲板に腰をかけたまま笑う。

「ポーリー、モ、モジ、カケタラ、イイノニ………」

「じゃあ教えましょうか」

「読み書き計算は任せたよ。いっぱい食って、いっぱい運動する。そういった強さの秘訣以外、私にゃ縁遠いからね」

「モジ、スウジ、オボエル。オヤブン、ミタイニ、ツヨクナル。イツカ、イッパイ、オンガエシ、デキル!」



 日が暮れて、部屋に戻ろうとしたところでポーリーが振り返って目を細める。

「ヨクナイ、フネ………キテル」

 イザベラが振り返る。

「よく気付いたねポーリー。ありゃあマズいやつだ」

「船長に知らせてきましょう」

「任せたよ。ついでに、全力で舵切っても間に合うか若干あやしい感じって伝えておきな」

「了解です。ポーリーは部屋に戻って。僕ら以外の人間が来ても、鍵を決して開けないように」

「適当に追っ払って、謝礼を頂いてやるさ。大陸での旅、おまんまは3人分になったことだしね」

「食べ盛りの子供もいますしね。さすがは僕の可愛い奥様、そして我らが親分です」

「死にぞこないの病人はだまらっしゃい!」

 ポーリーを部屋に入れて鍵をかけたのを確認し、イザベラは甲板へ、ジョンは船長室へと駆けだした。



 船室から甲板に駆け上ると同時に、けたたましい鐘の音がマストの上の見張り台から響く。

「海賊だ!!」

 慌てふためき、船室へ逃げ込もうとする船の客達をかわして船尾へ向かうと、がきん、という金属音がする。身を乗り出すと、既に小型船でこの船に接近してきた海賊達が、船の手すりに鉤付きロープをひっかけて登ってくるのが見える。風を切る音がして反射的に伏せると、マストに矢が突き刺さった。

(火器がない船か。今どき商船崩れの海賊だって大砲くらいもってるのに、珍しいもんだ)

 伏せた姿勢のまま素早く剣を抜き放って、大声で呼ばわる。

「なんだい、今どき珍しい古式ゆかしい海賊ときたもんだ。あんたらの船長殿は、火薬の匂いがお嫌いなのかい? この剣で三枚におろされて今宵のディナーにされたくなかったら、とっととお帰り!」

 飛んでくる矢を踊るようにかわして、鉤付きロープにがん、と剣を突き立てる。ロープが切れて海へ落ちていく海賊達の悲鳴と怒号が聞こえ、こちらの存在を認識したらしい弓矢が少し離れた小舟から雨のように放たれて降り注ぐ。

(この夕闇で私を視認して、あの距離から速射できるやつが複数いるってことか!)

 戦場ではさぞかし活躍したことだろう。

「………そこの弓兵隊!! 良い腕だ! 我が名はイザベラ・トゥールボット!! どこの所属か名乗って貰おうか!!」

 思わず戦場でしていたのと同じように、イザベラは大声で呼ばわる。

「噂に名高いあの『トゥールボットの女騎士』か!!………しかし、何でこんなところにいるんだ?!」

 下の小舟から、ざわつく声が聞こえる。

「新婚旅行でね。あんたらの首領はどこだい!!」

「うちのボス? 決して火器で傷つけることなく船を拿捕し、乗客を人質に金を要求する。このあたりの海に時折出没する『海賊紳士』さ!」

 そんな声がして振り返る。いつの間にか船首に近い方に回り込んでいた小舟があったらしい。立っていたのは大きな半月刀を二本背負った、まだ顔に幼さの残る青年だった。

「紳士だなんてけったいなことを言ってるけど、つまりは戦場崩れの傭兵隊か何かだろ。あんなに良い腕の弓兵、揃えようったってなかなかそうはいかない」

「おばさんも有名人みたいだけど?」

 甲板に突き刺さる矢を跳躍してかわし、どん、と両脚をついてイザベラは仁王立ちになると、長い金髪を肩の後ろになびかせてにやりと笑う。

「おばさん、ねえ。私は短気で血の気の多い女だけど、まあ、まごうことなきババアだからね。そう言われて怒るほど、せせこましくはないよ、坊や?」

「おばさんとやりあうのは趣味じゃない、って言いたいところだけど、正直ちょっと楽しそうだな」

 青年が首から下げていた笛を高らかに慣らすと、矢がぴたりと止まる。

「名乗りな」

「東の海のシャムハール。海賊紳士の五十五人目の部下さ。よろしく、イザベラおばさん」

 シャムハールと名乗った青年が、独特の、美しさすらある所作で背中の二本の半月刀を抜く。

「覚えておいてやるよ、シャムハール坊っちゃん。さあ、舞いな。そうすりゃこれをどっかで見てるであろううちの可愛い旦那が、もれなく百年先まで残る美しい詩にしてくれるからね」

「………旦那?」

「言っただろう。新婚旅行だってね!!」

 次の瞬間、イザベラの長い剣とシャムハールの半月刀が火花を散らし、甲高い音を立ててぶつかり合った。



 己の剣が二本の刀で挟み込まれて固定されるよりも前に、身体をしなやかに反転させて引き抜くと、

「勘所が良いね」

 イザベラは笑う。

「弓兵隊に突っ込まされて、散々暴れた挙げ句に捕虜になったけど、首領は僕を認めてくれてね。雇われるのなら、自分を認めてくれる方がいいだろ?」

「間違いないね」

 片手から振り下ろされる刀を受け止め、もう片手で剣の鞘をベルトから外して二本目を受け流す。

「やるじゃないか」

「あんたは五十五人の中で一番かい?」

「勿論。おばさんは有名人みたいだけど………いくらになるんだろう」

「残念ながら訳あって、うちの親族から私の身代金は取れないよ。というわけで、首にして船のマストに晒す勢いでかかって来な」

「ははは了解! こうも気兼ねなくやりあえるのって久しぶりで、滾るよ!!」

 低い姿勢に切り替えたシャムハールの、軌道の読みにくい太刀筋を真っ正面から受け流し、イザベラが言う。

「あんたのボスもいい目をしてるんだろうねえ。こんな若造にしちゃあえぐいほどに筋が良い。よく見抜いたもんだよ」

 シャムハールも嬉しそうに笑う。

「勿論さ!この二本の刀は我が首領に捧げたものさ。簡単に負けるわけには、いかなくてね!」

「羨ましいもんだ。こちとら戦場では剣の捧げ先が見つからなかった女だけど、嬉しいことに今の私にゃ専属の詩人がついていてね。無様に負けてなんかいられなくなっちまってさ」

「詩人?」

「私の望みは私より強い奴とやりあうこと。あんたじゃあちょっと役不足だよ、坊っちゃん!!」

 ばきん、と凄まじい金属音が甲板に響く。シャムハールの片方の刀がイザベラの凄まじい剣圧に耐えきれず折れて空中に弾かれていく。ぎょっとしたシャムハールの首元に、イザベラの銀色の剣が突き付けられる。

「まだだ!」

 青年の長い脚がイザベラの脚を掬おうと突き出される。

「往生際が悪いよ!」

 一歩退いたイザベラから、更に三歩ほど下がり、折れた剣を船の舳先から海へ投げ捨てて、懐の短剣に手を伸ばそうとしたところに、

「シャムハール。そこまでだよ」

 低く、穏やかな老人の声が響く。

「船長室はこちらで確保したがね。面白い御仁がいたゆえに、ちょっと話を聞いてみたくなってねえ。ジョン・アランドール君。彼女が君の奥方で間違いないね?」

「何だって」

 振り返ると、そこにいたのは木製の車椅子に腰掛けてマスケット銃を手にした老人と、その船長室へ向かったはずのジョンの二人だった。



「どんな豪傑がいるかと思えば、まさか君の奥方とは」

 船長室の一同が頭の上に手を乗せている。しかしながら唯一、マスケット銃に慄く様子もなく、頭の上に手を乗せることもなく、ペンと紙から手を離す素振りを見せようともしない青年が、銃を手にした車椅子の老人に問いかける。

「海賊船の船長殿とお話しできるとは光栄です。お名前を問いかける、というのもまた」

「サムセット・オーキッド。昔は傭兵を率いて戦場を渡り歩いていたがね、今はこうして仲間たちと海を渡り歩いておるよ」

 サムセットと名乗った車椅子の老人が言う。

「いつの間にやら付いた渾名は『海賊紳士』。わしの船では、わし以外の者が火薬を扱うことを禁じておってな」

「なるほど、船長の特権ですか。でもそれは大いに正しいことです。火薬は、血と混じるとより暴力的になります。つまり私闘を禁じる規律正しき船には、過分なもの」

「さすがは自称詩人君。よくわかっている。わしの出自は、弓兵隊でね」

 サムセットの車椅子を押している大柄な男もまた、古びてはいるがよく手入れされている長弓を担いでいる。

「しかし、詩人というのは皆、君のように胆が据わっているものなのかねえ」

「僕が怯えていたら、妻の名に傷がつきます。ああ、でも………」

 咳払いをして、息を整えて、

「薬の時間がそろそろなんですよ」

「病か」

 ジョンが笑う。

「きっとあなたよりは長生きできない身体です。生きている内に多彩な経験をして、多彩な言葉で、人生を悔いなく彩り、何かを残していく。そのための旅です。こう見えても家出の身なので、身代金は出ないでしょうが………」

 そして、穏やかに言った。

「今こうして海賊の首領に銃を突き付けられていても、僕は考えるわけです。あなたは僕を撃たない」

「その理由は?」

「詩人を撃つ紳士なんて聞いたことがありませんからね」

 サムセットが思わず大笑いし、言った。

「その通り。それより、奥方と話がしてみたいが、良いかね?」

「ええ。今ああして『お取り込み中』ですが、そろそろ一段落つくでしょう。彼女は負けない」

「シャムハールにか」

「ええ」

「じゃあ、行くかね」



「………夫婦揃って妙に胆が据わっていると思えば、成る程、そういうわけだったのかね」

 二人で所領を飛び出すきっかけになった話から、港町の奴隷商人からポーリー達を助け出した話などを、イザベラとジョンはかいつまんで説明する。

「最近、奴隷商人の船が増えて困っていたところでな」

「あんた達海賊もかい」

「金銀財宝や身代金は部下の皆に分けれるが、奴隷となるとそうはいかないからのう」

「成程ね。あんた達も悪は悪なりに苦労してるようだけど、この剣でまとめて真っ二つにするほどじゃあないね」

 ポーリーが薬用の水差しを手に駆けてくる。船の乗客や乗員達が遠巻きに、海賊達と真っ向から話し合うイザベラとジョンに、不安げな目を向ける。

「まあ、うちらの顔に免じて、ここは『ひとつ穏便に』でどうだい?」

「ふむ。では、この船の水と食料を貰うとするかね。どうせ明日には陸地につくのだろう? 全部とは言わないが、あるだけ持っていかせて貰うよ。水は少し残しておこうか」

「だってさ、船長。おかげさまで人的被害も人質もなしだってさ。感謝しなよ」

 話を向けられた船長が、真っ青な顔でガクガクと震えながら頷く。

「あ、あ、ありがとうございます。ごごごご配慮、いいい痛み入ります………」

「そう恐れずとも良いのにのう」

 ポーリーがジョンに水差しを渡して、サムセットの座る車椅子を珍しげに見つめる。

「お嬢ちゃんは、車椅子を見るのははじめてかね」

「ウン」

「………生きていれば色んな苦難があるというが、お嬢ちゃんは、どうもこの上なく面白い御仁達に拾われたようだ。実に運が良い。さあ、こっちに来てもっとよく見なさい」

 恐る恐るポーリーが、サムセットの車椅子に近づいて、聞く。

「………オジイサン、アシ、ワルイノ?」

「昔、部下だった男に射られてな。しかし、人は不自由を、人の手で克服できる。ゆえに、人を信じ続けることも、できるというものだ。詩人のジョン君も、よく見てみたいのだろう?」

 薬をざらざらと喉の奥に流し込み終えて、大きく息を吐いたジョンが頷く。

「ええ。………自由というのは、どこにでもあるのですね」

「車椅子の上にもな」

 海賊達が、厨房からあらゆる食材を運び出していく。そこにシャムハールがやってきた。

「いい剣筋を持ってる。体幹もいい。こいつは逸材だよ船長。ただ、剣を軽く削りすぎたね。もっと頑丈なのを振るえたら、きっともっと良くなる。いっぱい食って体力をつけなよ」

「僕に勝てたからっていい気になりすぎないことだね、おばさん」

 ジョンが眉を顰める。

「………今、僕の可愛い妻を『おばさん』などと呼ぶ輩がいたように見受けられましたが」

「だっておばさんじゃないか。詩人の旦那っていうから、もっとこう、髭があって貫禄が豊かなおっさんを想像してたんだけどなあ」

 ポーリーが、そんな二人を見て首を傾げて、シャムハールをまっすぐ見上げて言う。

「オバサン、チガウ、オヤブン」

「………親分だって!? そいつはいい! このとんでもないおばさんにはまさしくぴったりにも程があるってやつだ!!」

 シャムハールが天を仰いで笑いだす。

「まったく、何から何まで負けたよ。でも、次に会うときには叩きのめしてやるから、またこのあたりの海に来たときには用心しなよ、イザベラ奥様!」

「良い度胸だねシャムハール坊っちゃん! 戻ってくるかもわからない海だけど、戻って来る日があったらまたあんたの剣を見てやるよ。覚えておきな!!」

 夜が明けて、白む海の向こうに陸地が見えてくる。ジョンもまた微笑んで言った。

「シャムハールさん、僕が剣士だったら妻への侮辱罪で決闘を申し込んでいたところです。つまり僕がたまたま詩人だったので、運良く命を拾った、そう思っておいてくださいね。それとサムセットさん。『荒れることなく』海を越えることが出来た。感謝します」

「長生きしていれば、お前さんの綴った詩が読める日が来ると思ってな」

 甲板に落ちている矢が、朝日を反射して煌めく。ふとサムセットが、ジョンにだけ聞こえるように、声を潜めて聞いた。

「長旅の出来る身体ではなかろうに、それでも行くのだな」

「ええ」

「妻を愛しているかね」

 ジョンもまた、イザベラ達に聞こえないほどの小さな声で答える。

「わかりませんが、僕はイザベラさんを好ましく思っています」

「………因果なものよ。まあ、それこそが、詩人という生き物の生き方なんじゃろうがなあ」

 船と船との間に可動式の板が渡されて、サムセットの車椅子が小舟の方へと移動していく。

「さらばじゃよ。お二方。久々に面白い御仁と出会えて楽しかった」

 イザベラがニィッと笑う。そして海賊船へと手を振って言った。

「あんたらが首を野晒しになってるのなんか見たくはないからね。ま、せいぜい上手くおやりよ、海賊紳士のサムセット! そして東の海のシャムハール!」

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