この婚約はなかったことに?剣豪老嬢と夢見る令息の諸国漫遊冒険記

あきのな

第1話 出奔

 闘技場に割れんばかりの歓声があがる。

 その中央で衆人の歓声をほしいままにしている壮年の女丈夫が振るう剛の剣、堂々たる美を、一体どんな言葉で表現しようかと男は手元の紙束に思いつく限りのフレーズをいくつも書き留める。

 空をも切り取るような豪胆な剣筋を彩るように、ペンもまた軽やかに踊りだした。



 遡ること数ヶ月前。


「というわけで、お前には結婚して貰うことになった」

 冗談じゃない、この助平親父。

 そう口に出すところを、イザベラ・トゥールボットは奇跡的に発揮できた『自制心』で押さえ込む。そして、自分より二回り以上年下の娘と再婚したばかりの父親に、両手を広げて言ってやった。

「つまりは、四十過ぎた未婚の小姑を追い出す算段なんでしょ? 言われなくっても出てってやるよ。何が悲しくて自分のオヤジが自分より年下の小娘に鼻の下を伸ばしてる姿を毎日毎晩見せつけられなきゃ行けないのさ。明日にも荷物をまとめて……」

「我が家の長年の仇敵アランドール家がお前を花嫁に欲しがっている」

「何だって」

「あの家との争いで飛び地になった港町があったろう。あそこをお前と婿殿には与えようと思う。で、お前の婿殿の名前はジョン・アランドール。明日にでも死にそうな病弱な四男坊だ。調べたがどうもあと5年も生きることはないだろう。とっとと後継を生んでこい」

「は!?」

「いいか。お前のようなどうしようもない老嬢を貰ってくれると先方は言っているんだ。とにかく壮健で頑丈な女をご所望だ。病弱な四男坊のくせに後継が欲しいとは笑わせる。とっとと行って生んできてやれ。そうすればお前の子どもに港町の相続権が行く。お前の兄もこの縁談には賛成だとのことだ」

 次期領主である一つ年上の兄は、この父親とは異なり和平路線を歩むつもりらしい。つまり、剣に長けた女はこの家にはもう不要なのだ。

「黙らっしゃい! 私は二十の時に誓ったんだよ。自分より弱い男とは結婚しないってね」

「そんな誓いが何の役に立つ。お前の母さんも死ぬまでに孫の顔くらい見たかったろうに……」

「その母さんの喪も明けないうちから娘より若い女を家に連れ込んだ男がよく言うよ」

 甲高い音が部屋に響く。実の父親から頬を張られても表情一つ変えないまま、イザベラは言った。

「安心しな。こんなしみったれた家、今すぐ出て行ってやる。こういう時に世間のお嬢様が言うべき言葉は私でも知ってるよ。『謹んでお受け致しますわお父様』」

 母譲りの美しくカールした金髪には少し白髪が交じり、真っ青な瞳の周りにも年相応の皺ができている。鍛え抜かれた肉体を男物の乗馬服で包み、腰から剣を下げて大股で歩く四十五歳の女。唯一の装身具である母の形見の古びた耳飾りが昼の光を浴びて鈍く輝く。

 国屈指の剣の使い手とも称される『剣豪老嬢』が、館の廊下をいつものように大股で歩き出す。


 私は私。生き方を決めるのは私。


 それ以外の誰でもないのだ、と声高く主張するように、腰の剣が歩く度にかちゃりと音を立てた。



 生まれた時から世話になっている医師が図書館にやってくる。色素の薄い目を本から離し、夢想の世界から魂を引き戻しながら、ジョン・アランドールは微笑んだ。

「まだ薬の時間には早いと思うんですが」

「婚礼が決まったとのことで、その、お祝いを……」

 歯切れが良くない。この医師には二十歳まで生きられるか、と言われ続けてもうすぐその二十歳になるのだから、それも致し方ないことだ、とジョンは笑う。

「ありがとう。花嫁をすぐに未亡人にしないように、僕ももっと健康でいなければ。それにしても、兄さん達はどうしてこんな急に結婚の話を持ち出してきたんだろう」

「実は……そのことで、少しお話が。今朝方、その兄君達から依頼を受けたのです……」



 乗馬用の靴の踵が鳴る音が廊下に響く。長年の仇敵とされてきた壮年の女剣豪が身一つでやってきたことにアランドール家は騒然となった。

 しかし、広間の椅子に腰掛けていた青白い細面に灰色の髪の青年は怯える様子もなく立ち上がり、握手を求めてくる。

「この度、あなたの花婿を仰せつかりました。ジョン・アランドールと申します」

 握手すべきかイザベラが空中で手を迷わせていると、青年は両手で包み込むように自分の手を握りしめてくる。ぎょっとするほど冷たい掌に包まれて、なんとも言えない心地悪さで思わず背中が弓なりに反る。

「ああ、お会いしたかった。生きている間にこうして妻を娶ることが出来るなんて僕は世界一の幸せ者です!」

「は、はあ」

「港町は良いところです。共に住む別荘が用意できるまではこの家に住んで頂くことになりますが、決して不自由はさせません。何せ、僕の愛しい妻ですから!」

 先程まではイザベラの威容に半ば怯えていたはずの仇敵アランドール家の両親や使用人らしき人々が笑いを堪えるように口元を隠しだす。自分の方を見て何やらひそひそと話す者、哀れみを隠せない顔で自分とこの若い男を見比べる者、このあまりにも不釣り合いな二人をあざ笑う者。様々である。

「明日一緒に別荘を見に行く馬車は裏庭にもう用意させてあります。明日になる前に、馬車を薔薇の花で飾らないと。あなたが乗るのに相応しいように!」

 まるで市場の下手くそな吟遊詩人である。

「ああ、そろそろ薬と診療の時間です。あなたもお疲れでしょう。部屋へ案内させますね」

 そんなイザベラを見上げ、青年は言う。

「明日になればあなたは誰よりも幸せな花嫁です。今夜輝くあの月に誓ってもいい! おやすみ、おやすみ僕の可愛い花嫁さん!」

 歯の浮くような美辞麗句と共に再度自分の手を握りしめ、何かを掌の中に無理やり押し込んでくる。そして、何度も咳き込んでから、小さな声で囁いた。

「どうか僕を信じて」

 真摯な、何かを懇願する目だ。明らかに『下手くそな吟遊詩人』ではない何かを秘めた目の青年が踵を返すと、広間を出て行った。



「……なんだったんだ、あの男」

 館の一室に案内され、先程の熱烈な握手と共に手の中にねじ込まれた小さな紙をイザベラはそっと開く。そして目を剥いた。


『兄達があなたに毒を盛ろうとしています。今すぐ逃げてください。J.A』


 馬車は裏庭にもう用意させてあります。

 明日になる前に。


 あの下手くそな吟遊詩人風の立ち振る舞いはそういうことだったのか。思わず部屋の窓を開ける。

 鍛え抜かれた彼女の肉体にとって、二階などという高さは段差のうちにも入らないものだった。嫁入り仕度とはあまりにも縁遠い乗馬用の古びた革製の鞄と使い込まれた愛剣をひっつかみ、金属製のバルコニーを長い脚でするりとまたぐと、庭の木に手を伸ばす。

「まあどの道、結婚するのはごめんだしね」

 あの青年にお礼の言葉くらい伝えてやりたかったが、どうやら事態は一刻を争うらしい。ぶら下がった庭の木の枝から地面に飛び降りて、イザベラは裏庭らしき場所を探して歩く。するとそこには、

「気付いてくださってよかった。信じてくださって、感謝します。僕も逃げるつもりでして」

 ジョン・アランドールが立っていた。思わずイザベラが声をあげる。

「あんたも!?」

「こう見えても、怒ってるんです。勝手に僕の花嫁を決めておいて、勝手に毒を盛ろうとする兄達に」

「……お互い、難儀なもんだね」

「ええ。それに、僕は病弱です。あと何年生きられるかもわからない。だから生きている間に、どうしても夢を叶えたい」

 そういって、青年は脇に抱えていた手持ち鞄を開く。そこには無数の薬が詰め込まれていた。健康と壮健と頑強と屈強が服を着て歩いているようなイザベラには生まれてこの方見たこともない量だ。

「世界中の美しいものを、言葉にしてみたい。僕は、詩人になります」

 色素の薄い瞳に、炎の様な何かが灯る。

「夢に、命をかけるのかい」

「きっと、あなたと同じです」

「いいよ。どうせ行き先は一緒だ。世界を見たけりゃまず港町だろ? とっとと行くよ!」

「イザベラさん」

「適当な領地にぶち込まれて一生いい奥様として暮らすようには出来てないんだよ私も。だから一緒に行ってやるよ。行く先々で強い奴とありったけ戦って、誰にも文句を言わせないくらい強くなってやる。死ぬまで、誰からも自由に生きるためにね。それが、私の夢だ」

「あなたの魂は、誰よりも自由なのですね」

 荷物を馬車に押し込んだ青年が、そっと握手を求めてくる。相変わらず冷たい掌だが、広間での大袈裟なあの握手とは異なる熱さがそこにはあった。掌を握り返し、イザベラは言う。

「ありがとよ。もしもあんたが途中で死んだら骨は拾ってやる。それとも旅先でしゃれこうべを野ざらしにしたいタイプかい?」

「花嫁に毒を盛るような家の墓は遠慮したいですね。野ざらしより海が良い。海、憧れだったんですよ」

「この私に毒を盛ろうなんてあんたの家も豪気じゃないか。さすが長年仇敵やってただけはあるね。で、ジョンだっけ。あんた詩人なんだろ。死んだら海に骨を放り込んで、可愛い人魚に逢わせてやるよ」

「最高ですね。やはりあなたは優しい人だ」

 予想外の言葉にイザベラが目を丸くする。そんな彼女に、

「この婚約はなかったことにしますか」

 穏やかにジョンが問いかける。

「……さあね。そいつは、これからの旅次第ってやつさ」

 イザベラが片目を閉じて、呵々と笑う。

「新婚の晩に旦那を串刺しにして遁走するよりかはマシってもんだ!」

「そんなことまで考えてたんですか。拾った命、大事に使わないと」


 海を越えて、東へ。


 御者台に隣り合って座る何もかもが正反対な二人が、回転する馬車の車輪に合わせて同時に揺れた。

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