第2話 港町

 馬車が止まり、外からイザベラの声がする。

「起きな、港町だよ!」

 微かに潮の匂いが漂い、人々の喧噪もまた耳に届く。いつの間にか馬車の中で眠ってしまっていたらしい。ジョンがゆっくりと起き上がって、ゆっくりと肺に空気を入れながら、目を瞬かせる。

「この私を御者に使うなんてお代は高くつくよ! といいたいところだけど、身体の弱いボンクラを夜っぴて御者台に乗せておくわけにもいかないからね」

 肩をすくめてイザベラが言う。

「私らの長旅には幌付の馬車がいるね。………向こうの大陸でも借りられると良いんだけどさ」

「そこは何とかしましょう。本当は御者も雇えればいいのですが」

「まあ、行く当てだってろくに決まってない家出旅だ。この歳になって家出なんて自分でも笑いが止まらないけど、東へ向かうのは悪くないからね。まずはこの港町で諸々準備して、東へ行く船を捕まえないと」

「そうしましょう」

「身体は大丈夫かい」

「ええ、良い結婚初夜でしたね。さすがは僕の花嫁です。こんなにも気持ちよく寝させて頂けるなんて」

 思わずイザベラが笑いだす。豪快に呵々と笑うその様が心地よい。思わずつられてジョンも微笑んだ。



「栄えている、というよりは………」

「治安がよくない、とでもいうべきでしょうか。まあ、あなたの家にも僕の家にも正式には属していない飛び地。つまりは治外法権、無法地帯なわけです」

 町の入口の馬車屋で、豪華な馬車を売り払った金を二人で分割する。そして、昼間から表の路地で飲んだくれる水夫や、朝帰りとおぼしき水商売の女たちの間を、二人は並んで、ただし歩幅の広いイザベラの後ろをジョンが追いかけるように、歩いていく。

「………そんな町を私の『結婚祝い』にしようとは、うちのあのクソ親父、あと3発は殴っておくべきだったよ」

「ありがたくない所領とはいえ、婚約を破棄していない以上は僕の所領、ということにもなるんでしょうね。町長に話をつけておくことくらいは、したほうがいいのでしょうか」

「私が町長だったら、いきなり現れた貴族の四男坊に四の五の言われたくはないね。治安のよくない町ならなおさらだ」

「成る程。ですが………」

 町の大広場に出ると、これから市が開かれるのだろうか、獲れたての魚や近くの町から運んできたのであろう野菜、金物を担いだ鍛冶屋や、焼きたてのパンの入った大きなバスケットを両手と頭の上に乗せたパン屋が入り乱れている。

「そういえば朝食がまだでしたね。パンを買ってきましょう」

 パン屋の匂いに釣られるように、ジョンがイザベラにひと声かけてから早足でパン屋を追いかける。

「おや、あんた見ない顔だけど、旅の人かい」

「はい、そうです」

 パンの籠を降ろしたおかみさんが、

「旅の人にしちゃああんた随分細いねえ。1個おまけしてやるからしっかりお食べ」

 布袋にパンを詰めてくれた。

「ありがとうございます。………あそこの人だかりは?」

 ふとジョンが、市場の隅にできている集団を見つめて問う。

「………あの奴隷商人、また来たのかい」

「奴隷商人?」

 おかみさんが声を潜めて囁く。

「あいつらにゃ市を立てる許可がないからね、ああやって、市よりも前の時間に勝手にやってくるんだよ。邪魔だし、変な男共は寄ってくるし、良い事なんてありゃしない」

 そこにイザベラがやってくる。

「おや、美味しそうなパンじゃあないか。奥さんも美人ときてる。治安の悪いクソみたいな田舎の港町かと思えば、そうでもなさそうだね?」

 恐らくは同世代であろうパン屋のおかみさんに、華麗にウィンクしながら言うと、おかみさんが更にたくさんのパンをさくさくと詰めこみながら照れくさそうに笑う。

「この旅のぼっちゃんの母さんにしちゃあ随分若いし、私と同い年にしちゃあ随分とスタイルがいいねえ」

 ニィッとイザベラが笑う。

「で、奴隷商人? 『叩けば埃が出るやつは叩き斬ってもいい』が私の長年のモットーなわけだけど、この市場に迷惑がかかったりするかい?」

 おかみさんがイザベラの腰の剣に目をとめて少し考え込んだのちに言う。

「魚はさばけても人間をかっさばける男はいないっていうのが現実さね。許可はないはずなのに、あんなに堂々と市を出してるんだ。市長に賄賂でも出してるんだろうよ。でもまあ、『もしもどこかのだれかがふん縛ってくれたら』教会に突き出すなり、適当な遠洋行きの船底に転がすなり………」

「よしきた。手土産に『片して』いくよ」

「そういうことなら、このパンはタダでいいよ」

「働く女にゃ仁義がいるだろ。半額で」

「私に似てイイ女だねえ。惚れ惚れするよ!」



 どっさりとパンの入った袋を一旦パン屋のおかみさんに預け、ジョンを連れて、堂々とイザベラは市場の隅の集団のところまでやってくる。そのあまりにも堂々とした彼女の偉容に推されたのか、ざっと波が引くように道が出来る。

「なんだ、そこの女。用がないなら………」

「今日の出物はなんだい」

「へえ、奴隷を買いに来る女がいるとは驚きだ。男が3、女が2だ。今日の出物は南国から仕入れた小娘だ。黒い肌の女は締まりがいいって評判でな。まだちょっと小せえが、好事家には高く売れるんだ」

 周囲の男達が下卑た笑いを浮かべ、ジョンがパンの袋の後ろで顔をしかめて呟く。

「………唾棄すべき輩ですね」

 イザベラが目を細めて問う。

「女が2だって言ったね。あとの一人は?」

「粉挽き娘だっけな。大した取り柄もねえよ」

「ふん。じゃあ全員貰っていくから今すぐ出しな」

「全員? 馬鹿言うんじゃねえ。金はあるんだろうな」

「馬鹿言ってんのはどっちだよ。人様の領地で奴隷貿易なんて天下の御法度を堂々としでかしやがって。たとえ天が見逃そうが、このイザベラ・トゥールボットが許しはしないよ。さっさと出すもん出して、命があるうちに出て行きな!」

 剣をすらりと抜く姿に一瞬気圧されながらも、

「こちとら女を泣かすことはあっても、泣かされたことはねえんだ。野郎ども!!」

 商人のボディーガードらしき、屈強な男達がぬっと姿を現した。その更に後ろに、さらわれてきたのであろうまだ幼さの残る男女達が、雑に手足を縛り上げられている。

「ジョン、あっちを頼んだよ。できるかい」

「そうですね。もう少し連中を引きつけてさえいただければ。僕は殴られたら一発であの世行きですので」

 そっと二人は小声で声を交わす。

「まったく、頼りになるのかならないのかわかりゃしない!」

「では、一発くらいなら頑張って耐えますので、早めに助けに来て頂ければ!」

 ボディーガード達がイザベラを取り囲む。それよりも先にするりとその場を抜け出ると、ジョンは縛り上げられている男女達の方へ駆けだした。



「君たち、大丈夫かい」

「は、はい。あ、あの、あなたがたは………」

「安心して。本当なら明日から僕らがここの領主だった予定なんだ。訳あって東へ行くんだけど」

「えっ……ええっ!?」

 太いロープをカバンの中に入れていた小さいナイフで無理矢理切って、ジョンは三人の男児達を自由にする。

「君たち、行くあてはあるかい」

「僕らは、な、なんとか………」

「そこの女の子、君は」

「わしは遠い遠い村じゃ。すぐには帰れん……」

 粉挽きの娘が答え、南国から来た肌の黒い娘も、たどたどしい共通語で、言う。

「………コキョウモ、カゾクモ、アイツラニ、ヤカレタ。カエルバショ、ナイ」

「なんてことだ」

「おにいさん、後ろ!!」

 解放された少年が叫ぶ。反射的に横に転がると、耳をつんざくような鞭の音が響く。

「お前もあの女の仲間か。人の商品に手出ししちゃあいけねえなあ」

 ジョンが息をついて、立ち上がって笑う。

「ジョン・アランドールと申します。別に覚え頂かなくても結構ですが、我が妻がああして名乗っておきながら、僕が名乗らないのも情けない話だと思いまして」

「………妻?」

「ああ、せっかくの可愛い新妻との新婚旅行だというのにこの有様。きっちり弁償して頂かねば。というわけで、こちら頂いていきますね」

 解放された少年少女達が広場から路地へと走り出す。まだ切り落とせていない南国の小さな少女の縄を掴んで、ジョンもまた走り出した。

「待ちやがれ!!!」

 男が鞭を振りかざそうとしたその瞬間、雷のような怒号が響き渡る。

「私の『旦那』に手ェ出そうなんて………百万年早いんだよ!!」

 ゴッ、という鈍い音と、声にならない声を上げてそのまま前のめりに倒れた男。からんころん、と石畳に落ちた剣の鞘。イザベラが投げつけた剣の鞘が男の後頭部にクリーンヒットしたらしい。

「ぶった斬り損ねたけど、良かったねえ? 命があって」

 泡を吹いて石畳の上に倒れ伏した男を見下ろしてから、元来た市場を見ると、ボディーガード達もまた一人残らず石畳の上で使い古されたマットレスのように伸びている。

「剣の錆にするにも汚い感じだったから、ちゃっちゃと殴り倒しておいたよ」

「助かりました。では、全員を縛り上げて教会へいきますか。町の司教には市長の任命や罷免権があります。より良い市長をトゥールボットとアランドール両家の名において選び、ああいった輩を領土から追い出す手筈を、整えておきましょう」

「行きがけの駄賃にしちゃちょいと面倒だけど、あんたが言うんだから任せるよ」

「ありがとうございます。それと、あの子達を助けておきましょう」

 イザベラが肩をすくめて言う。

「あんたも大概なお人好しだね。ま、いいけどさ」



 少年少女達に袋の中からパンを選んでやると、粉挽きの娘がそれを口にして呟く。

「いい小麦を使ってる」

 やってきたパン屋のおかみさんが笑う。

「あんた、いい舌を持ってるねえ。そういや隣町の粉挽き小屋のじいさん、凝り性でいい仕事をしてくれるんだけど、腰を痛めがちなんだよ。当座はそこでしのいだらどうだい」

「本当ですか」

「ちょっと頑固だけど、跡継ぎの息子に早く死なれて難儀してたはず。行っておやりな」

「は、はい!」

 イザベラが少年達に問う。

「あんた達、どうせ三食まともに食わせて貰ってないんだろ? きちんと体力をつけな。ここは港町だ。体力さえあればやっていけるし、家にも帰れる。これからの人生、自由に選べるんだ。で、問題はあんただ」

「………」

 黒い肌の少女が、この背の高い女丈夫を前に、言う。

「カエルバショ、ナイ………デモ、ワタシ、アナタタチ、ニ、タスケラレタ」

「ま、たまたまだよ。一日ここに来るのが遅かったら、あんた達全員、とっくに売り払われてただろうしね」

「タスケラレタ、ラ、オンガエシ。チチト、ハハニ、ナラッタ」

「いいんだよ気にしなくて。適当にぶん殴って教会に放り込んだだけなんだから」

 少女がぎゅっと拳を握り締めて、ジョンとイザベラ両名の瞳を見つめて言った。

「チチト、ハハ、モウイナイ、カエルムラ、ヤケタ。ワタシ、アナタタチ、ニ、オンガエシ、スル!」

 イザベラが頭をかき、ジョンがそんな娘に問う。

「お名前は」

「ポーリーヴァエラ」

「ではポーリー、でいいのでしょうか」

 ふう、と一息ついて、パンと一緒に貰った水で朝用の薬を飲み込んでいるジョンを見て、

「………そうだねえ。この男はちょっとばかし身体が弱いから、いざってときに手助けしてやれる奴が一人いると助かるかもしれない。好事家に買われたり娼館に売られたりするには、どうやらあんたは希望を持ちすぎているようだしね。義理堅い娘は好きだよ。いつか、いい女になる」

「ゴシュジン、カラダ、ヨワイ。オクサマ、スゴク、ツヨイ。ドッチモ、ヤサシイ………」

 ぽろっと涙を溢す娘の頭をポンポンと撫でて、イザベラは笑う。

「奥様、はやめておくれよ」

「オヤカタサマ?」

「そんなに私はいかめしいかい?」

「オヤブン!」

「いい響きだ、気に入ったよ!」

 ジョンも微笑んだ。そして、

「それでは僕も『子分』ですね」

「あんたは私の第一の子分ってわけかい。可愛い旦那様?」

 いつものように呵々と笑い、ジョンから剣の鞘を受け取ったイザベラに、

「なかなか悪くない響きですが、異国からさらわれた美しく可憐な娘をこれまた美しき偉大なる女丈夫が救いあげる詩を書き綴ったらどのくらい儲かるか、今計算しているところですよ」

 ジョンは柔やかに微笑んでみせた。

「この悪徳詩人め!」

「お褒めに預かり恐悦至極!……さあ、ポーリー。僕のことはジョンでもご主人様でも何だって構わないよ。僕は詩人だから、肩書や呼び名なんてどうだっていい。美味しいパンをいっぱい食べたら、次は君の人生の第二章だ。色んな所要を済ませ次第、君のための新しい服と靴を買って、海の向こうへ出かけよう」

 イザベラに頭を撫でられ、ジョンに手を取られた小さな南国の少女ポーリーが、ぽろぽろと涙を流しながら、深々と頷いた。

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