第5話 魔女

 石畳に敷かれた藁が飛び散り、馬の上から折れて砕け散った槍と甲冑姿の騎士がまろび落ちていく。

「勝者、イザベラ・トゥールボット!!」

 誰もが予期せぬ展開、すなわち謎の女丈夫が甲冑姿の騎士達を撃破していく姿に、歓声が上がる。

「オヤブン、ツヨイ!!」

 最前席で自慢げに顔をほころばせるポーリーと、にこやかに手を振るジョン達にウインクを投げて、イザベラは馬の手綱を片手で握り直す。

(そろそろ、本命のお出ましかねえ)

 出場者は自分を入れて七名らしいが、この場にいるのは六名だった。そこに、角笛が鳴り響く。

「前回チャンピオン、ガド・エーケンハイム!!」

 イザベラが目を丸くする。

「ずいぶんでかいのが出てきたね………」

 大きな馬が丸で子馬に見えるほどの、筋骨隆々とした巨軀の男が、中庭に入場してくる。大きな甲冑も特製のものらしく、その岩のように大柄な身体をきっちりとカバーしている。

(あの重さだと馬から落とせない。どうしたもんかね)

 大仰な鉄製の盾にはアルヴァマー公爵領の紋章が描かれている。お抱えの騎士なのだろう。よく見ると、先日森で出会って、兜を割ってやったあの若者が馬を引いている。

(あれは盾を狙ってもこっちの槍が折れるやつだ。となると………)

 瞬時イザベラは沈思する。そして、顔を上げ直すと、再び中庭を一巡りし、位置についた。

「はじめ!!」

 審判の声と同時に、西と東に一直線に配された馬の蹄が石畳を蹴って藁が飛び散る。波のような歓声が中庭中を埋め尽くす。

「盾が駄目なら、頭か胴だって相場は決まってるんだけどねえ」

 相手も同時に槍を構えるが、イザベラの方が所作が速い。馬の脚もまた、軽装備のイザベラの乗っている方が速かった。

「………今しがた、あの男に聞いたんだろう? 『私は兜を狙ってくる』ってね!!」

 普通に胴を打ったところでびくともしないであろう巨軀の男が突っ込んでくるより先に、イザベラは馬の上で手綱から片方の手を離し、槍を両手に持ち変える。

 そして、相手が槍を繰り出してくるよりも瞬時早く、真っ直ぐに、鋭く、相手のみぞおち一点を目がけて馬上槍を突き出した。



 ばきん、と槍にヒビの入る音、馬のいななく声、そして、甲冑姿の巨体がゆっくりと、スローモーションのように仰け反って馬から落ちていく。

 イザベラが大きく息を吐き、いつの間にか満員になっていた中庭の客席の方を見る。頬を紅潮させたジョンとポーリーに向かい、腕のハンカチをするりととって、空にかざして振ってやる。ところが、


「魔女だ!!」


 その鋭い叫びに、興奮冷めやらぬはずの中庭が水を打ったように静まり返る。仰向けになって気絶している大男ガドに駆け寄ったエーリッヒが指さしていたのは、最前列にいたポーリーだった。


「お集まりの諸兄よお聞きください!! この女は、あの黒い魔女の力を使って、我が弟から勝利を奪い取った!!」


 観客席の視線が一斉に最前列にいたポーリーへと注がれる。真っ青になって固まるポーリーを、ジョンが庇い立てるように立ちながら、静かに問いかける。

「………それはこの小さき我が友、麗しきレディへの言われなき侮辱と見なすが、宜しいか」

 その静かな語調に、ぞっとするような冷徹な怒りが込められている。思わず気圧されたのか、エーリッヒが半歩下がって叫ぶ。

「れ、レディだと!? どうせ南の島から買った奴隷娘か何かだろうに………」

 次の瞬間、ヒビの入った馬上槍がエーリッヒの脳天目がけて勢いよく振り下ろされた。

「女の人生を金で買うほど、こちとら落ちぶれていないんでね」

 情けなく白目を剥いた男を、イザベラはまだ気絶したままの大男の横に蹴り飛ばす。そして、半分から先が木っ端微塵になった槍を放り捨てた。

「砕け散ったのが槍の方だったのを感謝するんだね。良い試合だった。この馬鹿が台無しにさえしなけりゃの話だけれど」

 そして怒りの鉾先を無理やり胸中にしまいこむように、ひとつ大きく息を吐いてから、指笛を慣らす。すると、二頭立ての旅の馬車が、中庭に向かって突如駆けてきた。槍試合の柵が倒され、審判が悲鳴を上げて逃げ出していく。

「……こっちも、仕込んでおいて正解だったよ」

 駆けてきた馬車の御者台に跳び乗り、括りつけてあった、弓と矢を引っ掴み、御者台で仁王立ちになる。そして大声で吼えた。


「この男は私達の名誉を穢した!! だから、これでおあいこにしてやるよ!!!!」


 上空へ向けて弦を引き絞り、中庭を見下ろす塔の上に掲げられたアルヴァマー家の紋章の描かれた旗へ向けて、ひょう、と力強く矢を放つ。


 風を切って一直線に飛んだ矢が、紋章の描かれた旗を射落とした。


「飛び降りな二人とも! ずらかるよ!! こんなところからはおさらばだ」

「いいでしょう我が妻よ!! あなたこそは最高の勇者です」

 皆の視線が塔の方へと、そして撃ち落とされた鳥のように青い空をひらりひらりと舞っている紋章入りの旗の方を向いている。

 青ざめたままのポーリーを抱きかかえ、ジョンが観客席から馬車の御者台へと、転げおちるように飛び降りた。

 イザベラが、やっとのことで我に返ったポーリーを、反射的にぎゅっと抱きしめて言う。

「うちの可愛い勝利の女神と魔女の区別も付かない大馬鹿共相手に、良い試合をしすぎたようだね」

 何度も何度も息を整えて姿勢を直し、ジョンもまた吐き捨てるように呟く。

「………全くです。黒ツグミとカラスの区別もつかないとは」

 イザベラが手綱を握りなおす。

「次はどこへ行こうかねえ」

「美味しい鹿料理が食べたい気分ですね。良い試合だった。勝者には宴が必要でしょう」

 思わずそんなジョンを見つめるイザベラの顔に、いつもの不敵な笑顔が戻ってきた。

「よしきた任せな。ポーリー、鍋とナイフの準備だ。美味しい鹿を狩りに行くよ!」

 言葉も出すことが出来なかったポーリーの顔に、血色が戻ってくる。

「オヤブン、ゴメンナサイ……ポーリー、ノ、セイデ」

 それを皆まで言わせず遮って、イザベラはこの小さな娘の背中をさすってやる。

「………いいかいポーリー、女の旅ってのはまあまあ苦労が多いもんだ。でも、買わなくていい喧嘩はなくても、買わなくていい苦労はあるんだよ。私は今日試合に勝って、皆で鹿料理を食って帰る。それだけだった。いいね?」

「………ウン」

「よし、出発だ!!」

 馬上槍試合の仕切りのフェンスを蹴倒した馬車が三人を乗せて全力で走り出す。そして、悲鳴、怒号、そして歓声の入り混じった中庭を駆け抜けていった。

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