第5.5話 brotherhood
「まあ、追われるでしょうね」
ジョンが首を振りながら、笑いとも溜息ともつかない息を吐く。
「で、領主様がお怒りだとかなんとか。喧嘩ふっかけてきたのはあっちなのにねえ」
「ポーリー、アノヒトタチ、キライ!」
領主の館の旗の紋章を堂々と射落としたのである。少なくとも国境までは追い回される可能性も否定できない。三人揃って、馬車を追いかけてくる馬上の騎士達を見て、
「御者をまかせたよ、ジョン。適当にやり返すのも礼儀ってやつだろ。弓矢はここぞって時にないと困るからね。こいつを使おう」
イザベラが、御者台の脇に置かれていた布袋を手に取った。中には大小さまざまな石が詰まっている。
「手頃な大きさのを集めておいたのさ。次の街では投石器でも買っておこうか」
そして、御者台の上に石を片手に仁王立ちになると、大きく振りかぶり、追いかけてくる騎士達の甲冑姿めがけて腕を投げ下ろした。馬車の走る音、それを追ういくつかの蹄の音、そして、カーンと甲冑に石が直撃する小気味よい音が森に響き渡る。
ポーリーが揺れる馬車の中で器用に小さなナイフを動かし、昨晩のうちにたっぷりと食べ終えた鹿の骨を削りながら言った。
「ポーリー、ヤ、ツクレル。ムラノ、オンナノ、シゴト!」
「あんたはやっぱり最高だよ!」
「適当に追っ払ったら、良い感じの枝を集めにいきましょうか」
「よしきた。じゃあ二投目行くよ!!」
上段に振りかぶって、イザベラが二投目を投げようとしたその時、
「トゥールボット卿!!」
一際大きな馬に乗り、一際大きな、見覚えのある騎士が駆けてきた。
「なんだい、プレゼントはお気に召さなかったかい? それとももっと大きいタマがお好みかい?」
「我が兄が貴殿らの名誉を穢したこと、俺が詫びても仕方あるまいが詫びておく!!」
「おや、あんた、あの時の……」
ガド・エーケンハイム、と呼ばれた馬上槍試合の巨漢である。巨漢が兜を馬上で脱いで、深々と頭を下げた。
「詫びたらすっきりした。小さな子供とは言え、淑女には礼を尽くさねばならぬというのにあの始末。俺は今まで槍試合で負けたことがなかったが、敗北もまた悪くはなかった! だが我が兄ユーリッヒは違う。この森の森林官だ。地の利もある。この先、気をつけてゆかれよ」
「あんたはどうするんだい」
「射貫かれた名誉を取り戻すべく、遍歴騎士にでもなろうかと!」
兜を脱いだ男が、馬の手綱を引く。
「じゃあまたどこかで会うかもしれませんね」
「楽しみにしておいてやるよ!」
「ポーリー、『マジョ』ジャナイ。デモ、オオキイヒトモ、『ワルイヒト』ジャナカッタ」
馬車の三人に向けて、巨漢が言う。
「我が兄と領主様はそうはいかないがな………」
その表情に少しの翳りが見える。
「ご忠告ありがとうよ。あんたもどうやら相当苦労してたと見えるけど、これからは自由だ。生き方も、進む道も」
「進む道、か」
黒い肌の少女が、ガドに言った。
「オオキイヒト、ゲンキナイ?」
「俺はこの歳になるまで兄の言いなりだった。自由な生き方など、まだよくわからないが、貴殿らを見ていると、貴殿らのように在りたくなるな」
ジョンが微笑む。
「あなたが、どうか、良き友を得ますように」
故郷の兄達は、突如『毒殺予定の花嫁』と共に家を飛び出した自分をどう思っているのだろうか。ふとそんなことがジョンの頭を過ぎる。
「良き友、か」
「良き部下には恵まれているのでしょう?」
後ろからやってきた小さな一隊が、ガドの後ろにきちんと並ぶ。
「我ら一同、エーケンハイム卿に付き従うまでです!」
「槍試合では見事に負けた挙句、先のことも決まっていない旅だというのに……」
ポーリーが朗らかに言う。
「オオキイヒト、ナカマガイッパイ! ダカラスグ、ゲンキデルヨ。ソシタラ、マタ、アオウネ」
「………感謝しよう小さな淑女よ」
ポーリーが手にしていたハンカチをこの巨漢に投げる。
「ダカラ、ソレアゲル! シュクジョ、ノ、タシナミ!」
宙にひらりと舞う白いハンカチが、小鳥のようにガドの手のひらに収まった。それをしみじみと眺めてから、そっと袖に巻きつけて巨漢が不慣れな微笑みを口に浮かべる。
「長らく槍を手に戦っていたが、こういったハンカチなど、誰からも貰ったことはなかったな」
「それこそが自由と、それよりももっと貴い道への道標ですよ。どうかそれを、決して忘れないように」
ガドが頭をあげた。
「貴殿の名を問おう」
「ジョン・アランドール。詩人です」
「ハンカチ、大事にするんだよ! 次に会った時はこの私の好敵手だ、遍歴騎士のガド・エーケンハイム!」
イザベラの言葉に、ハンカチを巻いた巨漢が晴れやかに笑う。
「いい門出だ! 重ね重ね礼を言おう。これで、憂なく旅に出れるというものだ。ではさらばだ!!」
二又に別れた森の道を、それぞれ馬車は右へ、騎士を乗せた馬とその一党は左へと別れていく。ジョンが言った。
「………善き者には息苦しい地だったのかもしれませんね」
イザベラが口の端を吊り上げる。
「そうだねえ。つまり、ここから先は手加減無用ってことだ」
「僕がこの辺りをよく知ってる男だったら、一番近い森の出口に先回りして封鎖しますね」
「なるほど。勝手知ったる森の中から出したくはないってわけか」
「どうしますか」
「とっとと強行突破だね!」
「まあそれもあちらは織り込み済みでしょうし、上手いこと考えておかねばなりませんね………」
◆
街道沿いに『連中の乗った』馬車が乗り捨ててあった、という報告が入り、ユーリッヒ・エーケンハイムは眉をしかめる。眉をしかめると、先日傷めたばかりの頭の傷が痛む。思い出す度に腸が煮えくりかえるような、先日の馬上槍試合の会場で味わったあの屈辱を、大きく深呼吸して無理矢理吐き出し、そのまま弟ガドの部屋に向かうが、部屋の中はいつの間にやらがらんどうになっていた。
「本当にこのアルヴァマー領から出て行ったのか。それにしても………」
図体は大きいが性根は大人しい弟は、兄である自分が小さな罪なき少女を『魔女』と謗ったことを恥じていたという。
「………聞き分けのない奴だ。それにしても」
この自分の森ではご禁制である鹿まで狩っていったという。
館の紋章を弓で射落とし、馬上槍試合から勝利だけをもぎとって遁走した女、出自もわからぬ小さな黒い少女、そしてその隣にいた青年があの会場で自分に向けた侮蔑のまなざし。
どれもこれもが気に食わない。やってきた従者にユーリッヒは言った。
「どういう手段で森から出るつもりかは知らないが、奴らのことだ。子連れで素早い動きはできまい。荷馬車改めをする。徹底的にだ。森の街道の出口にある村をおさえろ。公爵には私から伝えておく。そのあとで私も出よう。森のことなら私が一番詳しいからな。私が乗る速い馬も準備しておくように」
「かしこまりました」
広い館に足音だけを響かせて、従者が去って行く。手早くベルトを巻いて腰に1本だけ短剣を佩き、乗馬鞭を手に取って、ユーリッヒは静かに館を後にした。
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