第4話 試合

 遠くから角笛の音が響き渡る。

「貴様ら、誰の許しを得てここで猟をしている!」

 三人がウサギの肉のスープから顔を上げると、街道の向こうから物々しい一隊がやってくるのが見える。

「ここはヴァルトハイム王家アルヴァマー公爵領であるぞ!」

「ヴァルトハイムのお貴族様どもは人様の昼食にケチをつけるのが仕事かい?」

 首を振り振り、イザベラがスープの器を手にやる気のない返事をする。

「その訛りは海の向こうの連中だな」

「それがどうかしましたか。ここは街道ですので誰が何を食べても構わないはずですが」

 ジョンがゆっくりスープを飲み終えて、丁寧に口を拭ってから、ポーリーを自分の背中側にそっと押しやりつつ問いかける。

「鹿の猟は公爵家の特権である」

「大陸はこれだから面倒なんだよ。残念ながら私たちが食ってるのはウサギ。そこに片した皮があるから確かめてみるこったね。丁寧に埋めないと狼が出るからとっとと確認してとっととご退散願おうか」

 一隊の隊列の奥から、これまた腰に剣を佩いた物々しい甲冑姿の男が現れる。

「公の領内にて鹿の密猟が増えておってな。皆、気が立っているのだ。許されよ」

「密猟、ってことはここの森は占有地かい」

「その通り。故に通行税を別途払って戴こうか」

「何だって?」

「さすれば不敬な物言いも不問に処されることであろう」

「通行税、ね。払えないこたぁないけど、嫌だって言ったらどうする気だい」

「我が城までご同行願うことになろう」

「おや、ご招待して貰えるのかい」

「招待?」

 二人は同時に立ち上がる。

「イザベラ・トゥールボット。訳あって流浪の身になった武芸者さ。今更名乗る身分もない女だが、あんたの城には強い奴はいるかい?」

「ジョン・アランドール。同じく流浪の身になった詩人です。古より続く森の国ヴァルトハイムの公爵家ならば美しいご婦人や姫君、礼節正しき騎士達もいらっしゃるはずですが、お目通り叶えば詩人としての役目も果たせるでしょう」

 男が目を丸くする。

「庶民から通行税をぶんどるお城でそれが期待できそうかい、ジョン?」

「まあ、行けばそれなりに面白いこともあると思いますよ。何事も経験です」

「そうだねえ。鹿泥棒に間違えられるのも面白くないし、ここでこいつら全員蹴散らしてさっさとズラかるのも悪くはないけど、もっと強い奴とやりあうんだったら城がいい」

 妙な二人組を前に、甲冑の男が困惑を隠しきれず、思わず額に手を当てて考え込んでから言う。

「………まあ、通行税よりも興味深い奴らがいた、とでも報告すれば、我らが咎められることもなかろう。明日は槍試合もある。変な武芸者、それも年増の女だ。気晴らしの見世物にはちょうどいい」

 イザベラがニイッと、いつもより凶悪に口元を吊り上げる。

「ほう。で、あんたは出るのかい、ボンクラ騎士殿?」

 次の瞬間、甲冑の男の被っていた兜が、甲高い音を立てて吹き飛んだ。からん、と音を立てて落ちたそれは、見事に真っ二つに割れている。

「女だと思ってなめてかかるんじゃないよ。母ちゃんのあったかいお布団に永遠に送り返してやろうか、青二才」

 兜の下の顔は、思いのほか若い男の顔だった。目にも止まらぬ速さで一瞬だけ剣を抜いたイザベラが、剣を再びしまって笑う。

「槍試合なんて久々だね。一番強い奴を出しな」

 若い甲冑の男が、顔を真っ赤にしながら、それでも冷静さをかろうじて保ちつつ言った。

「………いいだろう。負けたときにはそれなりの屈辱を味わっていただくが、それでも?」

「今更ご親切にされる筋合いはないよ。とっとと案内おし」

 心配そうな顔のポーリーをそっと撫でて、ジョンは言った。

「大丈夫。それにしても、槍試合をこの目で見れるだなんて、紙とインクを買い足しておいてよかった。僕らの住まう大陸では今や槍試合もほぼ廃れてきていますが……」

「私が若い頃にはまだまだ栄えてたからね。ああ、久しぶりに腕が鳴るよ!」



「変な三人組?」

「一人は女武芸者、一人は詩人、もう一人は……よく見えませんでしたが、南の島出身の子供のようで。奴隷にしては、良い服を着ておりましたが……」

 城の一番広い間で、二つに割られた兜を小脇に抱えたまま、甲冑姿の若い男が背筋をまっすぐに伸ばして報告する。

「森林巡査官ユーリッヒ卿よ。そやつらが、余の槍試合の良い余興、と見たのかね」

「はい。こちらを」

 真っ二つに斬られた兜を差し出して、ユーリッヒは頭を垂れる。

「私も油断しておりましたが………」

「見事だな。おぬしの頭に傷がついている様子もない」

 割れた兜をじっと見て、大きな椅子に静かに腰掛けていたアルヴァマー公爵が、くつくつと笑う。

「その女の望み通り、一番強いのを出してやろう。紋章官、連中の名前は?」

 奥で分厚い本を手にしていた男が答える。

「トゥールボット家とアランドール家、どちらもエールランド王国の諸侯にございます。長年相争っているようですが………」

「ふむ……もしも勝ったらそれ相応の褒美をくれてやるが、負けたらその家とやらに身包み剥がして送り返してやるとしよう」



「屋根がある場所でゆっくり寝れるのはいいことだよ」

「そうですね。本当にありがたい」

 三人が放り込まれたのは、広い館のこれまた広々とした馬小屋だった。

「ポーリー、オウマサン、スキ!」

 飼葉をかき集めて、その上に毛布を敷き、横たわってジョンが呟く。

「馬の数が多いですね」

「最近までどっかとやり合ってたんじゃないかな。大陸は領土の拡大がしやすそうでいいねえ」

「我が家はあなたの家との争いで手一杯でしたけどね。まあ、今となればあなたみたいな人が敵方にいたなんて考えたくもありませんが」

「まああんたの兄さん達の軍勢と戦場でやり合ってたのはこの私だからね。冷静に考えりゃ、毒の一杯くらい盛りたくもなるさ」

 ふと、ジョンが問いかける。

「兄達は強かったですか」

「まあこの私を相手取って全員生きてる程度には賢いし、しぶとい奴らだったね。采配も悪くない。おかげでいざこざが長引きまくったわけだけどさ。私にもっとオツムが良く出来た副官のひとりでもいたら、話は変わっていたかもしれないね」

「トゥールボット家の恐ろしい女騎士の話は、我が家でも有名でしたから」

 イザベラが少し首を傾けて聞く。

「あんたは、怖くなかったのかい」

「四男だというのに戦場に出られない身体でしたから。それに、子供の頃からずっと聞かされていた、兄達をきりきり舞いさせている女騎士の話は、下手な騎士道物語よりもずっと面白かったのですよ」

 ジョンがくすっと笑って、秘密を囁くように返事を返す。

「そんな人と一緒に旅をすることになるとは、思ってもみませんでしたが」

「そうだねえ。不思議なもんだ」

 二人で同時に、馬小屋を跳ねるように駆け回るポーリーの後ろ姿を眺めて、息を吐く。

「明日はどんな強い奴を寄越してくれるんだろうね」

「楽しみに待ちましょうか」



 城の塔に紋章入りの旗が掲げられている。馬上槍試合が行われる合図である。解放された城の広い中庭の石畳に、藁が敷き詰められている。

「成程、落馬対策ですね」

「まあ、落ちなきゃいいだけの話さ。まったく、甲冑一式を実家から持ってこりゃよかったよ。今頃あのクソ親父の後妻に丸ごと捨てられてる可能性もなきにしもあらずなんだけどさ」

「なくても大丈夫ですか」

「借りようかと思ったけど、変な小細工されても困るしね。よくある話さ。さて、ジョンにポーリー、あんた達に面白いものを見せてやるよ。トーナメント戦だ。片っ端から片付けて、一番強い奴とやりあって、良い感じに小金を稼いだらさっさとトンズラしようじゃあないか!」

「ポーリーと一緒に、一番前の席で鑑賞してますよ」

 ジョンが微笑みながら、胸ポケットからハンカチを取り出した。

「それではこれを貴婦人の袖の代わりに。ご武運を!」

 イザベラが目を丸くする。そして、いつものように呵々と笑い、それを丁寧に、そしてしっかりと腕に巻きながら言った。

「百年先まで残る詩を書いておくれよ!」

 長い金色の髪を一つに括ると、ひらり、と馬にまたがって中庭へと駆けていく。走りながら馬上槍を受け取り、思わずイザベラは空を仰ぐ。かつて、こんなにも愉しいことがあっただろうか。誰かに勝利を預けられるというのは、この様に心が燃えるものだっただろうか。

 久しく、長らくそれを、忘れたまま生きてきた気さえする。

 槍の具合を確かめ、居並ぶ騎士達に加わる。装備もほとんどないに等しい壮年の女が乗った馬が入場した途端のどよめきもまた、いつもより心地よい。

(まったく、まるで負ける気がしないね)

 然しながら、自分は紛う事なき『戦場の女』である。目を細め、息をひとつ小さく吐いてから、イザベラは馬上槍を再度握りしめた。

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