第7話 公演
『麗しのアストレア! 俺は明日の舞踏会で美しい君の前にひざまずこう。そしてその宝石のような唇から永遠の祝福を押し戴くのだ……』
村の広場で行われている舞台が進む。大道具係が足音と声をしのばせて、舞台袖の天幕までやってきた。
「………奴ら、親分さん達がここのどこかにいるのを感づきましたぜ。畜生、馬車の中ありったけひっくり返していきやがって」
イザベラが演劇用のかつらを揺らし、息を吐く。
「あのクソ貴族、あと五発くらい殴っておくべきだったかねえ」
「サッキ、イヤナヤツ、ポーリーノ、ヨコ、トオッタ」
「私もだよ」
「ジョン、あんたは?」
咳止めの薬を飲み終えたジョンが、劇団員から借りてきた台本と、街道の地図を片手に答える。
「おそらくは問題ないかと。念のため、僕らの馬と荷物を用意しておきましょう」
「了解。しかし癪だねえ。何も出来ずにトンズラだなんてさ」
巨大な溜息をひとつついてから、
「まあいいさ。ここの気の良い皆には世話になってるしね」
イザベラは首をすくめて笑う。
「そうですね。僕も一発くらいは殴っておきたかったものですが、ここは穏便に済ませてさっさとやり過ごしたいものです。次の町は遠くないですし、何事もなければいいのですが……」
◆
『さあ今宵の美しい月よ、紳士淑女が綺羅星の如く歌い踊るこの舞踏会を、明るく照らしておくれ!』
月の描かれた背景が掲げられ、緞帳代わりの赤い大幕が上がる。そして着飾った男女が手に手を取って入場する。窓を模した枠の後ろに腰をかけて静かに扇を広げたドレス姿のジョンと、惜しみなく観客席に投げキッスを送る伊達男姿のイザベラが僅かに視線を交わす。
最前列に、ユーリッヒが部下達を引き連れて腰掛けていた。
(………このまま終演まで、何事もなければいいと思っていたけれど、どうしてこのタイミングで最前列に………?)
嫌な予感しかしないが、ジョンはそんな表情を扇の後ろに隠す。
(あれは………絶対に何か良からぬことを企んでいる顔だね。どうしたもんかな)
イザベラもまた、指示通り観客席に投げキッスをたっぷり投げてから舞台の奥に引っ込みつつ考える。小さな道化師姿のポーリーもまた、心配そうに駆けてくる。そんな彼女に、イザベラは囁いた。
「………いいかいポーリー、劇団のお針子達に伝えて欲しいことがあるんだ。それと、荷物の中から取ってきてほしいものがある。急いで、静かにだよ。出来るね?」
◆
『ええ、ええ、ふたりきりでもっと語り会いましょう、私の愛しい人!』
『その言葉を待っていたんだアストレア、僕は今ここで、君に………』
まさに舞台が佳境を迎えたその途端、突如立ち上がったユーリッヒが、乗馬鞭で舞台の床を叩く。ばしり、と音が響き、木の板にヒビが入る。そして、大音声で呼ばわった。
「イザベラ・トゥールボット卿に領内での反逆罪の嫌疑あり!! この劇団に潜んでいるのはわかっている。出てこなければここにいる女どもを一人残らずアルヴァマー公爵の館まで連行する!!」
突然の宣言に、村の広間の観客達が唖然として静まり返る。そして劇団員達がざわつきはじめた。周りにいたユーリッヒの部下達が土足で舞台に上がりはじめ、舞台上の女優達が真っ青になって震え出す。
「女性達を、全員ですと」
飛び出してきたアーシェット団長が目を見張る。
「公爵からの命令である。女どもは今すぐ背の高い順に並べ。連れていかれたくないのなら、この場で検分してやる」
「そんなご無体な!」
『女性の役者』の中では一番背が高いジョンが、無言でカツカツと歩み出る。不安そうな団長の肩をぽん、と叩いてやってから、女性役者達に柔らかく微笑んだ。
「大丈夫。皆、下がっていてくださいね」
ユーリッヒが眉をしかめる。
「………貴様、男ではないか」
「ええ。美人と評判の男ですよ。何か問題でも? それにしても、何の罪もない舞台まで台無しにするのがこの領の公爵殿とやらのご意向ですか。呆れましたね」
「誰に向かってものを言っている」
短剣を突きつけられても微動だにしないジョンに、ユーリッヒが言う。
「命乞いくらいしてみせたらどうだ。ここはお前達の舞台だろう」
「………あなたのような下劣な輩に屈していては、僕にも、友にも、皆にも、そして何より妻の名誉に傷がつきます」
「妻だと!? まさか」
「馬上槍試合にて我が妻イザベラ・トゥールボットが与えられるべきだった名誉、公衆の面前で小さな友ポーリーの名誉を穢した分、更には、この劇団の美しい舞台、それもクライマックスを台無しにした分を全部、返していただきます」
大きく咳払いをひとつしてから長い髪を指先で掻き分け、特徴ある眼差しで正面に立つ男をにらみ据え、
「貴様、あの時の………!!」
皆まで言わせず、ジョンは閉じた扇でユーリッヒの頬を力一杯打ちつけた。
村の広場に甲高い音が響き渡る。
「これでいい。この僕とていつも黙って見ているだけが能じゃない。一発だけで済ませてやったのだから感謝することだ。河原の石と金剛石の区別もつかぬ森林官! その短剣で脅せば誰もが膝を屈するとでもお思いか。ならば今ここで、やってみるがいい!!」
ジョンが扇を突き付けて吼える。顔を真っ赤にしたユーリッヒが短剣を振りかぶった次の瞬間、風を切って飛んできた矢がユーリッヒの肘の近くに突き刺さる。短剣が舞台の上に落ちると同時に馬のいななく声が響き、舞台のバルコニーを模した枠が勢いよく吹き飛んだ。
「それでこそ我が夫、ジョン・アランドール!!」
豪勢なかつらと衣装をまとい、弓矢を手にしたイザベラが、ポーリーを後ろに乗せ、舞台へと跳びあがった馬上で呵々と笑う。
「助けに来たよ、『お姫様』?」
鹿の骨の矢尻のついた矢で射られた片腕を抱え悶絶するユーリッヒを、虫を見るような目で一瞥し、弓を背中のベルトへ差し戻し、そのままジョンを片手で馬上へと攫うように抱きかかえる。
「あんた達には世話になったね。元気でやるんだよ!」
一連の流れるような動作に加え、男装姿のイザベラにウインクを投げられた舞台の上の女優達が、真っ青な顔を一気に紅潮させて、揃って黄色い歓声を上げた。
「さて、しっかりつかまってなポーリー、跳ぶよ!!」
ジョンを片腕で抱き抱えたイザベラが馬上で鞭をしならせる。馬が、一段高くなっている舞台から大きく跳躍した。
「アーシェット団長! この服、借りていくよ!!」
「いいってことです! あなたがたのおかげでまた新作が増える。ご武運を!!」
団長が愉快そうに笑い、舞台の上で帽子を脱いで華麗に一礼する。静まりかえっていた観客席が一気に沸き立ち、
「あの不愉快な奴らをつまみ出せ!」
「劇の邪魔だ!」
どこからか声が上がる。客席から舞台に上がる村人達や、大道具係や小道具係なども加えた劇団員に囲まれたユーリッヒ達が、多勢に無勢で縄で縛り上げられるのを後目に、三人を乗せた馬が駆けだした。
同時に天幕の後ろに隠れていたお針子達がもう一頭、三人の荷物を乗せた馬を解き放つ。乗っていた馬の手綱を腕の中のジョンに渡して、
「助かったよ!! あんたらは最高の連中だ。この私達を、最高の劇にしておくれよ!!」
劇団に大きく手を振ってから、
「ポーリー、ご主人にしっかり掴まりな!」
馬から馬へと飛び移る。
「乗馬は久しぶりですね……」
手綱を握り、息と姿勢を整え、ドレスを着たままのジョンが前方を見やる。
「今のうちに森を出るよ! あんたにはちょっと無理をさせるけれど」
「次の町ではゆっくり休みたいですね」
「そうだねえ。久々にゆっくりするのも悪くない。街に入っちまえばこっちのもんさ。また馬車だって手に入るだろ」
馬の上の二人が目を見交わした。そして同時に笑いだす。
「あんたも大概、命知らずだねえ!」
「命を惜しんでいては、詩人にはなれませんからね!」
ポーリーがぎゅっとジョンにしがみつき、嬉しそうに微笑んだ。
「ゴシュジン、モ、トッテモツヨイ!! デモ、カワイイ………」
この婚約はなかったことに?剣豪老嬢と夢見る令息の諸国漫遊冒険記 あきのな @akinona
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