また次の土曜日に

尾八原ジュージ

また次の土曜日に

 須永くんとわたしは、住む世界が違う。


 須永くんは毎週土曜日、公園の広場にエレアコとアンプを抱えてやってくる。楽譜の載ってない譜面台に「須永すなが」って書かれた画用紙をくっつけて、自分でも「須永です」って自己紹介してから、オリジナルソングを歌い始める。

 わたしは毎週、須永くんのライブを楽しみにしている。

 須永くんはまだ若い。わたしとそんなに変わらない年齢だと思う。わりと整った、でもそれだけで人気者になることはたぶんないだろうなって感じの地味な顔立ちをしている。よく青い服を着ているから、青が好きなのかな、と思っている。

 ギターは普通。作詞作曲はけっこう才能ある――と思う。特に「坂道」っていう歌は、かなりいい。須永くん本人もたぶん、それが自分の代表作だと思っている。

 でも、とびきり特別なのは、歌声だ。

 彼の歌声を聞いていると、わたしの心はここではないどこかに飛んでいって、遠い国の空を眺めているような、知らない言語が飛び交う市場を歩いているような、朝焼けが昇ってくる海を眺めているような、いろんな気分になる。

 だから、須永くんは特別だ。

 須永くんのことは、ほかには何にも知らない。本名は? 何歳? 出身地は? 今はどこに住んでる? ここで歌っていないときは何をしてる? 家族構成は? 恋人はいる? 異性が好き? 同性が好き? そこそこいるあなたのファンの、特にあなたと付き合いたいと思っていそうな女の子たちの中に、実際にそういう仲になった子はいる? 気になるけれど、どうせ教えてもらえないのだし、知らないままでもいい。

 それに、わたしが須永くんに本当に望んでいることは、そんなことじゃない。

 須永くんはいつもライブの最後に「坂道」を歌う。一番最後のサビに入ると、わたしはひっそりと口の中で、須藤くんの歌にあわせて口ずさむ。わたしにしかわからないはずのユニゾンが、いつか須永くんに届いたらいいのに、とひそかに願うようになったのは、いつからだろう。もう思い出せない。


 ライブを終えて、ギターを片付けている須永くんに、観客の一人が話しかける。この公園の近くの路上でクレープを売ってる、名物キッチンカーのおじさんだ。

「いい曲だね。CDとか売らないの?」

 なんて、おじさんと須永くんは少し話をする。会話している須永くんはレアだ。わたしは黙って二人を眺めている。

「ところでお兄さん、ここ気味悪くない?」

 突然、おじさんがそう尋ねる。

「何がですか?」

「この広場。去年の今頃、そこの木にロープかけて首吊った女の子がいてさ」

 おじさんはそう言って、人差し指の先っぽをこちらに向ける。今まさにわたしが浮かんでいるあたりを、その指はかなり正確に指し示す。

「あー、聞いてはいたんですけど」

 須永くんが頭をぽりぽり掻きながら答える。「自分はそういうの全然感じないから、気にしなくていいかなって」

「そう? まぁ、そんなもんかもねぇ」

 そうか。須永くんは、そういうの全然感じないのか。

 その言葉は、わたしの心に、いつになく重たく沈み込む。

 ああ死ななきゃよかったな、なんてことを考える。

 わたしは、わたしが首を吊った木の下に浮かんだまま、少し大きな声で「坂道」のメインメロディを口ずさんでみる。この歌が須永くんに聴こえたらいいな、と思う。でも彼はこちらを見ない。何も言わない。だって「そういうの全然感じない」人だから。きっとこの歌も聴こえていない。

 そのことがさびしい。

 でも、それでいいのかもしれない。首吊った女の霊が自分の歌にあわせて口ずさんでるなんて、そんなこと彼が知ったらもう、ここでは歌ってくれなくなるかもしれない。

 やがておじさんは歩き去り、須藤くんも荷物をまとめて立ち上がる。青いシャツを着た後ろ姿がどんどん遠くなって、遊歩道の向こうに見えなくなる。

 わたしはまた、次の土曜日を待ち始める。

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また次の土曜日に 尾八原ジュージ @zi-yon

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