読者の立場や環境、生まれた年代によって、感じることや解釈が変わる味わい深いお話です。
甲斐甲斐しく尽くしてくれる妻が突然いなくなり、家の中のあれやこれやをいっさい御存知ない典型的な昭和のオヤジ・昭夫は、食べることも着ることもままならず、不機嫌になって「誰のおかげでメシを食っていると思ってる! 退職したって、なんの不自由もなく暮らせているのは自分の稼ぎであることに変わりないんだぞ!」(本文より) と文句を垂れる始末。
いったい、妻は何処に行ったのか? いつ帰るのか?
連絡を取ろうにも、妻には携帯電話すら持たせていません。ずっと家にいる専業主婦には必要ないとして。
妻に捨てられて当然とも云える、こんなモラハラ夫の悲惨な末路を、ざまぁと嗤うか、可哀想と同情するか――。
否、烏丸千弦氏の小説『あなたへ』は、そんな単純なものではなかったのです。
読了の余韻に浸っていると、ふいに昭和のヒット曲『マドンナたちのララバイ』(作詞:山川啓介、作曲:木森敏之、歌:岩崎宏美) が脳内に流れて来て……
そうか、と気づきました。昭夫も昭夫の妻・信乃も、あの昭和の戦士だったのだ、と。
企業戦士として昭夫が銃後の憂いなく仕事に専念できたのは、この歌にあるマドンナのような妻・信乃の支えがあればこそでした。
日本が世界に輝きを放って躍進していたあの時代を、陰に陽に共に駆け抜けた、謂わば盟友のふたりに。
この物語を読み終えた読者の皆様は、どんな言葉をかけるのでしょうか。