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 さて、何らの音もせぬ今日であれば二重窓の向こうには寒椿が灯るのみだ。昼のうちに吹き溜まりの雪から発電した花は深く溶けゆく黒の中にあり光る。暗く、白く、凍れる千歳の冬にあり厳寒と内約を交わすわけだ。寄る辺無き夜の標になろう、と。動かぬままあれば人はたちまちと破れる。凍てつく夜気を肺に取り込み、それでも歩を進める者だけが何処かへと辿り着く。

 この一年、僕らは離れていても一緒だったはずだ。よくテレビ通話をした。定期的に行き来をした。里帰りには同じ飛行機に乗った。けれどその前のこれまで、僕らはあまりに近くありすぎたのだ。生活スタイルはますます変わる。時間のすれ違いは免れ得ぬ。ずっと千歳の子供のままではいられない。ある時、しいちゃんが「こないだの電話、後ろで女の子の声してた」と口を尖らせる。僕も苛立ち紛れにぶつけてしまう。「きょうちゃんに告ったて聞いたのに、なんで僕のこと昔から好きだなんて言ったのか」と。今回の帰省に彼女は同道しなかった。僕は部屋に引きこもり昔の部誌を引っ張り出し眺めていたわけだ。思い起こされる多くにしいちゃんがいた。いつかの集合写真が本の隙間から落ち、その中で一人明るい髪の彼女だけ、部誌を広げて掲げていた。なんで気づかなかった。改行せぬまま会話文を記すその特徴は僕のものでないか。開かれあるそのページは僕の作品なのでないか。

 車道から雪が消え、北ではそれが春の合図だ。寒椿の花弁が雪の上に散る様が綺麗だと思った。祖母が「せいせいしないといつまでも苦しいままだからね」と言った。握る手の力に反し眼光は鋭かった。

 当初はしいちゃんと共にするはずだったから広島空港へ降り立つ。こちらには冬などかけらも無い。たったの数時間で色を変える世界に僕達はある。しいちゃんがSNSを更新していた。「#放浪 #尾道 #千光寺 #チャイダー #桜 #マジ綺麗 #海が見える #海が見えたよ」プラカップを手に写る彼女の髪色はまた変わっている。会わないわけにはいかなかった。

 尾道駅から仰ぎ見れば山は桜の雪に白く覆われ、そのうち千光寺が陽光を受けキラキラと目を差した。僕は一歩一歩と登山道を踏み締めた。行けども桜の波に囚われ放されない。しかしそんな隙間から海が覗き見えた気がした。しゃがみ顔を捩る僕の頬に挿頭草がひとひら触れる。足元のセメントに猫の足跡が残り、それは僕をどこまで誘うか、しいちゃんも目にしたろうか、上へと続いていく。南からの風に暖気と潮の香を感じ取る。頬のベタつくこの感触を彼女も気にするか。

 しいちゃんのことは見つけられなかった。お寺さんに手だけ合わせた。山全体が観光地だそうだからそう易々と会えるものでもない。彼女なら文学館にでもいようか。商店街で映えスポットを探して彷徨っているだろうか。「#僕達は宿命的に放浪者たる #でんぐり返しでもしてようか #尾道 #来たよ尾道 #突き通す青色」

 眼下いっぱいに淡く灰桜があり、その中を尾道水道のブルーラインが横断する。その様を写真に切り取った。風を受け海は気ままに色を変える。まるでしいちゃんのようだと思った。これから僕はどう歩もう。空に雲は少なくやり直すには良い日和だと思った。どこまでも途切れ無く続く空は静寂なれど多様な色をはらみ、遠く地表の白と溶け合い新たな標となった。

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形のない色 佐藤佑樹 @wahtass

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