その一帯は、どうやら近隣の住人達のゴミ捨て場となっているらしかった。

 転がったポリバケツからは生ゴミが溢れ、ボロボロになったソファーや机が、ビルの壁沿いに積み上げられている。


 そして、更に。

 そこには醜悪な容姿をした悪魔達の姿があった。

 

 ……いや。

 勿体ぶった言い回しはよそう。


 茶色く、てらてら光る体。

 長く、細い触覚。

 そこに居たのは、三匹のゴキブリだった。


 それも、ただのゴキブリではない。

 二本の足で直立する、人間サイズの大きさのゴキブリ達だ。

 その内の一匹は、クマのぬいぐるみを四本の腕でがっしりと捕まえていた。


「ひ——ひい——た、助けて——」


 手足をジタバタさせながら、クマが助けを求める。

 しかし。


「——ぎ、ぎゃああああああああああっ!?」


 ゴギブリはクマの頭部に齧り付き、その体を力任せに引き裂いた。

 詰まっていた内臓が、ボトボトと地面に転がる。


 残った二匹がそれに群がる中——クマを引き裂いたゴギブリは、その脳味噌を喰らいながら、僕らの方を無機質な瞳で見つめていた。

 ゴクリ、と脳を布ごと飲み込み、ゴキブリが呟く。


「ニンゲン……ニク……ヒサシブリ……」


 ぞくり——僕の背筋に悪寒が走った。

 やばい。

 そう思った時には、既にゴギブリは動いていた。


 羽を小刻みに振るわせ、地面から僅かに浮かび上がると、そのままこちらへ低空飛行で突進してくる。


「——っらあ!」


 すかさず蒼梧が間に割って入り、ゴキブリの顔面を拳で思いっきり殴りつけた。

 ギュエッ、と悲鳴をあげたゴキブリが、地面へとひっくり返ってピクピクと痙攣する。

 凹んだ顔面から、血の代わりに茶色い体液がピュッピュと吹き出す。

 残りの二匹が、食事をやめてこちらに顔を向けた。


「ったく……バットを持ってくるんだったな……」


 やれやれと溜息をつきながら、蒼梧が拳を鳴らす。


「そ、蒼梧——逃げた方が、いいかも——」

「ん?大丈夫だろ、あと二匹くらい。まあ、こんなにデカいと確かに気持ち悪いけど——俺は普段から、ゴキブリは素手で——」

「そういうことじゃなくて!」


 知りたくない情報を大声で遮り、僕は通路の先を指差した。

 ゴミ捨て場の先の通路は、更にL字に折れ曲がっている。


「奥から、何か来る!」

「何かって?」


 そんな蒼梧の疑問に答えるかの様に、


「ニンゲン……」「イキテル……ニンゲン……」「イキノイイ……ニク……」「ニンゲン……ウマイ……」「ハラ……ヘッタ……」「タベタイ……」「クワセロ……」「クワセロ……」「クワセロ……」「クワセロ……」


 十、二十——あるいは、もっといるかもしれない。

 大勢のゴキブリ達が、ぞろぞろとその姿を現したのだった。






 ——そんなこんなで。

 僕達は入りくんだ迷路のような裏路地で、ゴキブリ達からひたすら逃げ回っていた。


「くそっ——何が〝治安がいい〟だよ!」


 今は亡きぬいぐるみのクマに毒づきながら、僕は必死になって蒼梧の背を追った。

 背後からは、大量の羽音が絶えず聞こえている。


「——うわっ!?」


 足元に転がっていた何かに躓き、僕は地面に勢いよく倒れこんだ。

 激しい痛みの中、呻きながら後方を振り返る。

 ゴキブリ達が低空飛行で、我先にとこちらに迫ってくるのが見えた。


「修っ!」


 蒼梧の悲痛の叫びが路地に響き渡る。

 ——と、その時であった。

 僕とゴキブリ達との間に、その少女が降ってきたのは。






 おそらくは通路を挟んだ建物の、どちらかの屋上から飛び降りたのだろう。

 左右とも四、五階はあろうかという高さだったが、少女はストン——と事も無げに地面へ着地した。


 彼女は喩えるなら、図書室に置いてある学習漫画の中で、縄文時代や弥生時代の人々が着ている様な服装をしていた。

 毛皮のマントを羽織り、腰紐には刀剣——おそらくは日本刀らしきものを差している。

 年齢は、僕らと同じくらいだろうか。

 髪は黒く、長さは肩のあたりまである。


 異形の少女は迫りくる蟲の群れに向かって、手に持った、小さな黒い玉を投げつけた。

 先頭を飛ぶゴキブリの目の前に落ちたそれは、ボンッ、と音を立てて小さく破裂し、瞬く間に通路を煙で充してしまった。

 まるで、時代劇で忍者の使う煙玉だ。


「ギェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッッッ!!!!!」


 煙幕の向こうで、ゴキブリ達の苦しげな叫び声があがった。

 呆気に取られている僕らを振り返り、少女が尋ねる。


「二人とも、無事か?」


 その姿に、僕は思わず息を飲んだ。

 見た目こそ人間そっくりだったが、それでも決定的に僕らと違う箇所が二点存在する。

 肌と、角だ。


 少女の全身は緑色の鱗で覆われており、頭部には小さな角が二本生えていた。


「この煙は虫によく効く。私達に害はないが、吸って気分のいいもんでもない。とっとと行くぞ」


 そう言うと、少女は一人、煙とは反対方向へと走っていってしまう。

 僕と蒼梧は、慌てて少女を追いかけた。


「おい——あんた、一体何者だ?」


 前を走る少女に、蒼梧が問いかける。

 少女は決して足を止めることなく、


「私は、ナギ。半竜族のナギだ」


 そう答えてから、僕らの方を振り返って続けた。


「ナカムラソウゴに、モリヤオサム——お前達が来るのを、ずっと待っていた」

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僕らの境界奇譚 阿炎快空 @aja915

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