第6話 僕の恩人

 隠し謁見の間から退席し、自分にあてがわれた部屋に戻ると。

 ソファに座って待っていたレイナード殿下が、帰りを待つ犬のように立ち上がった。


「お帰りなさい。陛下あにと話していたんですね」


 いつものように気さくでありながら、今日の表情はどこかぎこちない。

 私はまっすぐ彼を見上げた。

 美しい金髪に、吸い込まれそうな空色の瞳。すっと高く伸びた背丈に、大きな手。

 私の視線に、彼はたじろいだ気配を見せた。


「……アスリア様……? どうしたんですか」

「殿下。あなたがだったのですね」

「っ……!」


 殿下の肩が震える。

 私は確信を持って口にした。


「……あの日私が助けた、ビリーですね。そして結婚式の日――私の髪を切り、私の愚行を止めてくれた少年騎士も、あなたですね」

「そうか……ばれて、しまいましたか」


 彼は苦しげに口にする。

 そして秘密をとがめられた子どものように、くしゃっと眉根を寄せて笑った。


「そうですか。……兄が、話したのですね」

「大きくなりましたね。ビリー」


 視界が歪む。レイナード殿下が慌てた声を出す。

 私は気付けば涙をこぼしていた。

 顔を覆わず、ただ零れる涙をそのままに、私は目をしっかり開いて、眩しい青年となったビリー――レイナード殿下を見上げた。


「泣かないで、アスリア様」


 レイナード殿下は私の涙を拭い、あの日と同じ口調で私に言う。


「僕は大きくなったんです。……アスリア様をあの冷たい家から救って――アスリア様を花嫁に迎えるために」


 私は顔を覆った。

 立派に育ってくれた嬉しさと、驚きで震えて、声が出ない。

 殿下は私を横抱きにした。そして軽々と運び、ソファに座らせてくれた。

 隣に座り、肩を抱き、号泣する私の背を落ち着くまでずっと撫でてくれた。


「ずっと、気掛かりだったの……あなたを、さいごまで、見届けられ、なかった、から」

「大丈夫です。アスリア様のおかげで、僕は母国に帰る事ができました。だからこうしてあなたを守ることができたんです」

 

 ――10年。

 私が氷漬けになって10年という長い時間が経っていたとすれば、全ての辻褄が合った。

 レイナード殿下を見たときから感じていた既視感。

 それは私が少女時代、たった一度だけ父と兄に逆らってこっそり匿った、人攫いから逃げてきた少年、ビリーと似ていたからだ。

 思い出せば、髪を切って私を止めてくれた少年も、金髪だった。

 

 涙が落ち着いた頃から、レイナード殿下はビリーだった頃からこれまでの顛末を話してくれた。


 妾腹だった殿下がかつて「ビリー」としてゼーディス王国の片隅で生きていたこと。

 陰謀によって浚われて、ハイゼン王国の街道で命からがら逃げ出して、私が閉じ込められていた別邸に転がり込んできたこと。

 私が匿ったことが涙が出るほど嬉しかったこと。

 私と一緒に暮らした別邸での暮らしが、レイナード殿下にとって母と過ごしたとき以来の、幸福な時間だったこと。

 私が父と兄に逆らってでもレイナード殿下を庇ったので、心を痛めていたこと。

 

――その続きの話は、私のまったく知らない「ビリー」が「レイナード殿下」になるまでの顛末だった。


「僕は絵本で読み聞かされた王子様のように、あなたを冷たい実家から救いたかった。王弟として認められながら、魔術の才能を磨き、僕はあなたに見合う立派な夫になれるように頑張りました。宮廷魔術騎士になれば、魔力の強い隣国のご令嬢と結婚したいと言えると思ったんです」

「そんな……身分は、随分違うでしょうに」

「言いましたよね。僕はそんなにいい育ちじゃないですし、隣国との和平の政略結婚の道具にされるくらいがちょうど角が立たないポジションなんですよ。王族の男兄弟って、本人同士が仲が良くても、いがみ合わせたい人たちはいくらでもいるので」


 そして宮廷魔術騎士学校の学生だった、14歳の日。

 晴れがましい場でレイナード殿下は、信じられないものを見た。

 侍女の中に、懐かしい私の姿を見つけたのだ。


「列席者の中にリンドベルク公爵家の名があったので、元々あなたと会うことは期待していたんです。しかし着飾った貴族の中にあなたはいなかった。だから侍女たちの中から見つけることにしたんです。リンドベルク公爵家なら、令嬢であるあなたを酷い扱いでこき使っている可能性も、十分に考えられたので」


 彼の眉根が寄る。

 あの日の事を思い出したのだろう。


「ほどなくしてあなたを見つけました。痩せて真っ青な顔色のあなたにまずは驚きました。体調が悪いのだろう、強引に言ってでも医務室に連れて行けるようにしなければと思いました。――事件が起きたのは、その直後でした」


 私は申し訳なさのあまり顔を下に向ける。合わせる顔がない。

 けれどレイナード殿下は、優しく私の髪を撫でてくれた。


「あなたが強い魔力を持っていることは、ビリーだった頃に気付いていましたから。だからあなたがメイドキャップを脱いだところですぐに察したんです。リンドベルク公爵家の意地の悪い顔をした人々が、あなたが躍り出たところでにやにやしながら逃げていましたしね。……あいつらを仕留めるまえにまず、僕はあなたを止めた」

「そして……髪を切ってくださったのですね」

「今もあの嫌な感触は残っています。本当に申し訳ありませんでした」


 レイナード殿下はタイピンを取り出す。

 例のタイピンだ。

 細長いケースの中に、芸術的な編み込みが成された黒髪が収められている。

 まるで、あの日時を止めたかのように。


 黙り込んでしまったレイナード殿下に、私の方から質問した。


「私に刻まれていた禁術はリンドベルク公爵家の門外不出のものでした。それをよく解術なさいましたね」

「……門外不出なら、リンドベルク公爵家に聞けば良いだけでしたよ」


 レイナード殿下は少し重たい口調で言う。


「そういえば、リンドベルク公爵家は……」

「爆破事件の首謀者として処刑しました」


 さらりと、彼は口にした。

 驚いて顔を見る。彼は過去に逃げも隠れもしない真剣な顔つきで、私に言った。


「あなたに刻まれていた禁術が何よりの証拠でした。隣国ハイゼン王国には女性魔術師は存在しない。強い魔力を持つ女性は魔術師の道具だ。道具としてあなたは生きた爆薬にさせられ、従わされていた。僕があの家でビリーとして匿われていた時代に見たことが、あなたが確かに道具扱いされていたという証言として採用されました」

「……なんてこと……」


 私は口を覆う。

 家族がもう既にこの世にいない。そのことは薄々と気付いていた。

 結婚式の話をしているにもかかわらず、実家について触れられることがなかったから。


 父と兄の姿を思い出す。

 家族としての優しい感情は湧かない。ただ彼らがもういないというのが不思議だった。

 永久に外れないと思っていた枷が、眠っている間に錆び付いて外れてしまっていた、だからどういう顔をすればいいのか分からない――という感じだった。


「怖いですよね僕が」


 レイナード殿下が自嘲気味に笑う。


「年上だったあなたの事を思い続け、止めるためとはいえ大切な長い髪を切り、ずっと一方的にあなたを思い続けて生きて……家族を奪い、そして次は結婚してあなたを拘束しようとしている。恐ろしいですよね、僕の事が」

「……そんな、こと……」


 怖くない。そうすぐに言いたかった。

 けれどいろんなことがありすぎて、とっさに言葉が出なかった。

 軽く「大丈夫、怖くないわ」と言うのも違う。ありがとうとも違う。


 


 そう思っていると、ぐるぐるとあれでもないこれでもないと言葉が頭を巡って、何も言えなくなったのだ。


「すみません、色々話しすぎましたね。……焦りすぎました」


 レイナード殿下は前髪をくしゃっとかきあげて立ち上がる。

 止める間もなく、彼は部屋を立ち去っていく。


「あ……」


 何か言わなければ。思っても、言葉が出ない。

 彼は最後に私を振り返り、優しく微笑んだ。


「僕がはじめに契約結婚と言ったのは、そういうことです。僕はあなたの夫に見合わない男なんです。本当は年下で、この手であなたの家族を処刑して、そしてあなたを束縛しようとしている。あなたにとっては可哀想な子どもに対する優しさだったあの日々だったのに、僕はあなたを絵本の王子様のように助け出して、自分だけのものにしたいと思っている。……あなたは、僕の女神様のような人なのに」


 その顔が泣きそうに見えた。

 扉が閉じた瞬間、ばたん、という音と共にようやく私は言わなければならない言葉に思い至る。


 扉まで駆けて、私は扉を開いて追いかけた。

 けれど彼の姿はもう、廊下には無かった。


 扉を守っていた騎士が驚いた顔で私を見る。


「いかがなさいましたか。殿下を追いかけられていたのですか?」

「……大丈夫。……ありがとう」


 私は部屋に戻り扉をしめると、ずるずると扉に背をつけてへたり込んだ。

 誰相手でもなく、呟く。


「他の人にはすぐに言えるのに……ありがとうって……」


 私はぎゅっと拳を握る。

 悔しくて、私は膝を抱えて顔を伏せた。


「……ありがとうを、言えなかったわ……」


 最後のレイナード殿下は泣きそうな笑顔だった。

 その表情は、最後に送り出してわかれたときの、ビリーの姿そのままだった。


『アスリア様、……いつか僕が、かならず助けてあげる』


 彼は私をとらえていると言うけれど、違うのだ。逆なのだ。

 未来ある若者である彼を、私がたった一度の親切でずっと絡め取ってしまっているのだ。

 まるで呪いのように。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る