第3話 レイナード視点

 レイナードは空になった神殿に、一人で訪れていた。

 つい先日まで台の上で胸で腕を組み横たわっていたアスリアの姿を、そこに重ねる。


「やっと……やっと、生きているあなたと……再会できた」


 レイナードは台を撫でる。魔方陣が幾重にも刻み込まれた台座は、彼女にかけられた自爆の呪いを解くためのものだった。

 公務や演習で城を離れる時以外、レイナードは毎日二度は必ず、眠るアスリアの元に訪れていた。侍女に命じて毎日体を清めさせ、生きている人間にするのと同じように化粧をし、朝晩服を着せ替えた。髪をくしけずらせ、手ずから摘んできた生花を髪に挿して飾った。

 

 短く刈り取ってしまった髪が長く伸びても。

 がりがりに痩せていた痛々しい体がふっくらと柔らかくなり、土気色だった肌が透き通る色白の肌になってきても。眠る唇が赤く色づいて、健康になる度に蠱惑的な魅力を見せるようになっても。彼女はずっと目を覚まさなかった。

 だから泣きそうだった。彼女が目覚めて、美しい真っ黒の瞳で自分をみつめてくれたとき。

 ようやく、やっと――彼女を幸せにできるのだと。これが始まりなのだと。


◇◇◇


 レイナードは妾腹の生まれで、元々は王族として認められていなかった。

 義理の母である当時の王妃が、レイナードの認知に強く反対したのだ。

 今のように平和では無かった時代、ゼーディス王国の貴族たちは王位継承権争いを生みかねない第二王子レイナードの冷遇を歓迎した。レイナードは僻地にて王族としての教育を受けることもなく、一介の貴族の落とし胤として育てられていた。

 かつてレイナードは誘拐されたことがある。見目麗しい金髪の子どもは高く売れるからだ。

 もしかしたら貴族の誰かが、浚うように画策したのかもしれない。

 浚われたレイナードは船に乗せられる前に街道で自力で逃げ出し、高熱を出して倒れたところを助けられた。

 見るからに苦労をしている姿でありながら、己に食べ物を分けて薬を買ってきてくれる、黒髪で、優しい、肌の白い貴族令嬢。


 レイナードにとって、彼女は憧れだった。

 熱に浮かされた夢の見せる幻だった。

 彼女は別邸に隔離されて過ごしているらしく、父や兄らしき人々に時折折檻されていた。

 レイナードをベッドの中に隠し、食事を取りすぎだとか、薬をどこにやったのかと殴られていた。それでも彼女は自分を庇い、それどころか、彼らがしばらく来ないように内職の仕事をいつもより多く進め、彼らに納品するまでもしてくれていた。

 

「迷惑をかけてごめんなさい」


 そう言った幼い自分の頭を撫でながら、彼女は優しく微笑んだ。


「迷惑ではないわ。むしろ力になれて嬉しいのよ」

「うれしいの……?」

「ええ。困っている人を助けるのが、貴族の役目よ。そのためにおうちや食べるものを、民の皆さんにいただいているのだから。私は貴族として落ちこぼれなので、自分が役に立てるのが嬉しいの。だから遠慮無く甘えてね」


 着古したドレス、ひっつめた髪。そして化粧気のない幼い顔で微笑む彼女。

 それは苦労の末に亡くなった自分の母にもどこか似ていて、やさしくて、いたいけで、レイナードはわんわんと泣いた。

 レイナードを抱きしめ、彼女は子守歌を歌ってくれた。

 レイナードは幼すぎてそれからの経緯をよく覚えていないのだけれど、彼女が使用人や通いの商人にお願いして、自分を信頼できる場所に送り届けてくれたのだった。

 苦労をしていても、どこまでも高潔で美しい。


「いつかぜったいお礼をするからね、まっててね」

「ええ。……いつか、会える日がくれば」

「アスリア様、いつか僕が、かならず助けてあげる」


 ――子どもながらに、レイナードは本心として、その言葉をアスリアに告げたのだ。


 その後紆余曲折を経て、レイナードは王国に無事に帰ることができた。

 最後に別れたときの、今にも消えてしまいそうな、どこか淋しそうなお姉さんの顔を忘れられなかった。

 彼女に助けられて、元の場所に戻るだけなのに。

 なぜかレイナードは、彼女を置いていってしまうと感じてしまった。

 ――彼女を守りたいと思った。助けたいと思った。

 それは、こどもだったレイナードが、男として女性を守りたい、手を差し伸べたいと願った最初で最後の記憶だった。 


 ――王国に帰った後のレイナードは変わった。

 王族として認められるように子どもながらにできることを必死にこなし、時には強引に社交界に飛び込み、ときには強引に実力を見せる場に出て、自分がただの無力な子どもではないことを示した。母譲りの柔和な美貌と徹底して鍛えた立ち振る舞い、それに父譲りの恵まれた体格で、レイナードはあっという間に貴族たちの支持を得て、王妃が認知を認めざるをえない流れに持ち込んだ。利用できる手駒を増やし、学園で人脈を作り、王太子である兄を徹底的に支える王弟としてのポジションを確立したレイナードは、同時にあの日自分を助けてくれた彼女について調査した。

 アスリア・リンドベルク公爵令嬢。

 彼女は病弱で静養中との話だったが、実際のところは父や兄をもしのぐ魔術の才能を嫉妬され、くらく淋しい別邸に閉じ込められている不遇の令嬢だった。

 隣国ハイゼン王国は女性が魔術師になるのを禁じられている。魔術は家の財産であり、男系でその英知を引き継いでいくべきもの。嫁に出る女性が学ぶことは認められなかった。

 それを知ってレイナードは理解した。彼女が別邸で何を内職していたのか。

 魔道具を作って、父と兄の仕事を支えていたのだ。

 リンドベルク公爵家は隣国ハイゼン王国の宮廷魔術師の家柄で、ハイゼン王国の武力の要として数えられるほどの功績があった。

 彼らの功績も権威も、アスリアを消耗させて得られているハリボテの名声だ。

 知ったときレイナードは、唇から血がにじむほど怒りを覚えた。

 

 そしてハイゼン王国はあろうことか、ゼーディス王国の国王の体調悪化と若すぎる王太子の状況を見て、ゼーディス王国の領地に堂々と武力侵攻を始めたのだ。

 ハイゼン王国の強気の姿勢の裏には、必ずリンドベルク公爵家の武力がある。

 

 ――愛する国を守るため。

 ――憧れの女性を救い出すため。


 レイナードができることは一つだった。

 そして無事にレイナードはアスリアを手に入れた。

 ハイゼン王国も黙らせた。

 そしてついに、彼女と結婚できるのだ。


「ずっと傍にいてくださいね、僕の愛おしい高嶺の花。僕の目標、僕のアスリア」


 レイナードはうっとりと、アスリアの眠っていた台座に額を寄せた。

 ――どれも全て、愛しい彼女に恩返しをするための行動だった。

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