第2話 氷解

 目を覚ますと、見たこともないステンドグラスの下に寝かされていた。


「ここは……」

 

 身を起こそうとするけれど、体が重たい。

 引っ張られるような感じがして頭に手をやると、頭には大きな白百合の花がいくつも飾られている。髪は編み込まれ、腰より長く広がっている。


 見たこともない真っ白なドレスを纏っていた。

 体の線を上品に覆い隠す柔らかな木綿のもので、あちこちに白い糸で魔術の刺繍が施されている。


「魔術……」


 だんだん意識がはっきりとしてくる。

 寝かされている船のような台座は、よく見たら棺ではないだろうか。

 花はみずみずしく匂い立っている。手首を嗅いでみる。石鹸の清潔な匂いが淡く漂っている。

 傷一つ無い両手の爪は整えられ、ドレスをめくってつま先を見れば裸足の足も同様だった。


「何が起きているの……? 私は、一体どれくらい眠って……」


 頭を押さえながら、考える。

 確か、私は命じられるままに爆死しようとした。

 けれどもたもたしているうちに、髪を切られて魔力が行き場を失って。

 そこで氷漬けにされたのだ。


「……そうよ。あの時、私は……」


 長く伸びた髪はかつらでもなければ付け毛でもない。正真正銘の地毛だった。


「まって……瑠璃色の髪……? 私の髪は黒髪だったのに……」


 容姿が違うのに混乱する。

 私は立ち上がろうとした。

 まずは鏡が見たい。誰かに話を聞きたい。

 どうなったのか。

 ここは、どこなのか。


 神殿のようでもあり、教会のようでもある。

 魔術がかけられた空間なのは、なんとなく感じ取られた。

 実家リンドベルク公爵家でないこともわかる。


 その時、かつんかつんと廊下に響く足音が聞こえる。

 見ると、白髪頭を綺麗に結い上げた侍女服姿の女性が、こちらを見て目を丸くしていた。

 私が声をかける前にすぐかけていく。


「レ、レイナード殿下、レイナード殿下……っ!」


 誰かの名を呼びながら去って行く。私は呆然と置いて行かれた。


「レイナード……どこかで、聞いたような……」


 今の女性の侍女服は隣国ゼーディス王国の侍女服だった。

 ということは、ここはゼーディス王国の神殿か何かだろうか?


 待っていると先ほど女性が去った廊下から、女性と若い男性がこちらに歩いてきた。

 額を出した金髪をした柔和な顔立ちの青年だった。空色の瞳は眼光凜々しく、早足でやってくるその手足はすらりと長い。近づいてくるにつれて、その白を基調にした礼装に包まれた体は鍛えられてよく引き締まった、隙の無い姿に見えた。

 彼は、私を見た瞬間目を輝かせた。


「アスリア様!」


 よく通る声で私の名を叫び、勢いよく駆け出し、私の台座の前にひざまずいた。

 圧倒される私を軽々と抱き上げ、ひしと強く抱きしめる。


「アスリア様、ああ、アスリア様……! よかった、ご無事で……!」


 声には涙すら混じっているように感じた。突然異性に抱擁され、私は頭が真っ白になる。

 口をはくはくとさせていると、侍女の女性が男性に声をかけた。


「殿下、殿下。アスリア様が驚いていらっしゃいます」

「あっ……そ、そうか」


 彼は私を急いで下ろす。

 そして頬を赤くしたまま、私の前に膝をついた。

 私の顔を見上げるように顔を上げ、彼は申し訳なさそうに眉を下げて微笑んだ。


「ごめんなさい。僕はずっとあなたを見ていましたから、一方的に親しみを込めすぎた態度を取ってしまいました……アスリア様にとっては、馴れ馴れしすぎましたね」

「いえ、とんでもないです」


 私は髪を整えて座り直す。彼は胸に手を当て、私に名乗った。


「僕はレイナード・ゼーディス。ゼーディス国王、ユアンの弟です」

「……王弟殿下であらせられるのですか?」


 私は困惑した。

 実家で詰め込まれた教育では、国王陛下は五十代だと聞いている。

 爆死しようとした結婚式で晴れ姿を見せていた王太子殿下は確か三十歳ほどだったはず。


「あの……」

「突然言われてもピンとこないですよね」


 彼は苦笑いする。


「今はとにかく、ゼーディス王家であなたを庇護させていただいているという事実だけ、ご理解ください」


 ――ゼーディス王家。

 その言葉に私はすっと肝が冷える思いがして、台座から降りようとする。

 見上げて貰うわけにはいかない。私は言い逃れのできない大罪を犯したのだから。


「あの、私は……申し訳ありません、なんて、ことを」


 体が上手く動かずぐらりと揺れる。彼は慌てた顔になった。


「落ち着いてください。慌てて動くと危ないです」

「申し訳ございません、私は……私は……!」


 体が震える。腕がガクンと揺れて、私は王弟殿下にしがみ付くかたちになった。

 彼はしっかりと私を支え、床に座り込む。


「お離しください殿下、私はとてつもない罪を犯そうとしてしまいました」

「大丈夫です。もうあなたは誰の命令を聞く必要もないのです。落ち着いてください」

「あの、私は……っ!」

「落ち着いて」


 彼は低く囁く。ぎゅっときつく私を腕の中に閉じ込めると、とんとん、と一定のリズムで背中を叩く。


「大丈夫。落ち着いて。……何も怖いことはありません。全ては終わりました。あなたの敵は、もうこの世界にはいません」

「……あ、あの……」

「深呼吸しましょう。いいですか? 僕の深呼吸に合わせて。はい。息を吸って……吐いて……」


 彼の呼吸に合わせて息を吸ったり吐いたりしていると、混乱した気持ちが収まってきた。腕の中で子どものように、身を委ね、息を整える。

 彼は私の頭を撫でる。いつの間に用意したのか、侍女の女性がお茶を入れてくれていた。

 花の甘い匂いが漂う。


「薬湯です。体を温めて、全てを穏やかに整える作用があります。……ゆっくり、少しずつ飲んでください」

「はい……」


 お茶を全部飲み終わったところで、彼は私に「まずは黙って聞いてください」と言った。


「ご心配だと思うので、まず先にお伝えしましょう。結婚式は一滴の血も流されることなく、無事に終わりました。あなたの事は誰も覚えていません。あなたがしようとした事も、僕の身内以外は誰も知りません。この王宮で誰に挨拶をしても、あなたがあの日の侍女とは誰も思いません。髪も僕の魔術で瑠璃色に染めさせていただきました。……黒髪も綺麗だったのに、申し訳ありません」

「……誰も犠牲者は出なかったのですね……」


 私は泣きたい気持ちになった。

 幸せいっぱいだった王太子夫妻も、可愛らしいあの子どもも、優しい人たちも傷つかなかった。そしてはっとする。すぐに実家と母国の思惑を伝えなければ危険だ。

 私が口を開こうとすると、彼は唇に指を立てて黙らせた。


「ハイゼン王国の策謀の事でしょう? 存じています。こちらも、あなたが眠っているうちに解決いたしました」

「解決……ですか?」

「ええ。解決しました」


 彼はにこりと微笑む。

 私が混乱するからだろう、細かい話は今はするつもりはない、という様子だった。


「あなたには長い眠りについていただいておりましたが、体に刻まれていた術を解術するために必要な時間でした。あなたの魂まで損なうほどの激しく刻みつけられた術だったので、あなたを傷つけずに開放するのに時間がかかりましたが……もう二度と爆発はしませんよ」


 私をいたわるように撫でながら、彼ははっきりと断言する。

 落ち着いてくると、先ほどまでの自分の錯乱が恥ずかしくなる。いたたまれなくなりながら目を落とし、私は自分が纏っているドレスを思い出した。

 この扱いは何だろう。罪人に対する扱いとしてはおかしくないだろうか。


「私は……これから、どう処分されるのですか?」

「処分などされません。勝手ながら我がゼーディス王国の公爵令嬢としての籍をご用意いたしました」

「えっ」

「あなたは罪を犯していない。それどころかあなたは被害者です。……僕も魔術師なので、あなたがあの時何をしようとしたのか、全部分かっているつもりです」


 私はそのとき、奇妙な気分になった。

 目の前にいる王弟殿下が、どこかで会っているような気がしたのだ。

 ――私がかつて、人攫いから助けた小さな男の子とも重なった。


 もしかして、と思いかけて、すぐに首を横に振る。

 年齢が合わない。私があの日助けた男の子は、ほんの幼いこどもだった。


「それで……なのですが」


 彼はためらいがちに口を開く。


「現実問題、王家としてはあなたを王家の管理下に置く必要があります。あなたがハイゼン王国の令嬢であることを知るのは国王含めた一部の者だけですが、あなたの身柄を守るためにも、目覚めたのなら早急に身を固めていただく必要がある」

「……そうですね」


 私は理解した。

 彼は言葉を濁しているが、要は実質的な人質だったり、罪人であったりという立場になったのだ。私は許されない罪を犯したけれど、隣国出身の貴族の娘である私の扱いはデリケートだ。罪人として断罪すれば国際問題になりかねないし、経歴を洗って別人として生きさせるとしても、どこから情報が漏れるかわからない。身分を返させ、かつ、穏便に監視できる環境に置くという意味だろう。――おそらく、高位貴族の妾や下女、もしくは修道院に入ることになるだろうか。


「ごめんなさい、僕も目覚めたばかりのあなたに言いたくないのですが、……話は早く進めないと、僕が落ち着かないので」

「いえ。当然のことです」


 私は深々と頭を下げる。


「ご命令ください。この身も命も、お世話になりました王弟殿下の命の下に」


 王弟殿下は一瞬沈黙した。

 その後、私の手は暖かさに包まれる。王弟殿下はいたわるように私の手を撫でていた。

 彼は私の目を見て、彼ははっきりと告げた。


「僕と結婚してくれませんか」


 真剣な眼差しだった。

 虚を突かれて返答に困る。

 彼は更に言い募った。


「契約夫婦でかまいません。僕に、あなたを守らせてください」


 頭が真っ白だった。意図が分からない。しかし答えは決まっていた。

 今このような重大な決断を迫ってくるというのは、すぐに決めなければならないことなのだろう。


「ご命令を」

「えっ」

「ご命令ください。言われたとおりに従います」


 目を見開く彼に、私は続ける。


「恥ずかしながら、私はずっと親のいいなりでした。自分の意思で物事を決めたことがありません。王弟殿下は、私があの場で人を殺めずに済んだ恩人です。恩人のご命令とあらば、何でも従います」


 深く頭を下げる。

 結婚というのも当然正妃としての扱いではないのだろうが、何でもいい。

 正妃を求めるなど、おこがましいにもほどがある。


 私はあの日、人々を殺さずに済んだ――それだけで、よかったのだ。

 彼はしばらくじっと視線を落としていたが、決意をしたように顔をあげた。


「わかりました。……今は、そのお返事を有り難くいただきます。あなたの人生を引き受ける代わりに、必ず幸せにします」


 力強く彼は頷いてくれた。


「僕と結婚してください。これは――命令です」

「かしこまりました。王弟殿下の思うままに」


 彼は唇を強く引き結び、感情のこもった眼差しで私を見つめていた。

 私の顔を見つめ、こみ上げる感情を抑え込んでいるという顔をしていた。

 私なんかの人生を引き受けてくれるというのが、まだ現実感がなかった。


「せめて強い魔力の子を産んで、あなたに貢献します。そのため早く回復して体力をつけます」


 魔力が強い女として、役に立つにはそれしかない。

 そう思って発言すると、彼は顔を真っ赤にさせていた。

 違うのだろうか?と首をかしげる。


「妻として……当然の勤めですよね?」

「そ、そんなこと……いきなり言わないでください、みんなびっくりしますよ」

「申し訳ありません。あなたの子を欲しがるなど、厚かましかったですね」

「そういう問題ではありません」


 彼は咳払いした。


「結婚はあなたに自由に、自分の人生を生きて貰うための後ろ盾として行うものです。もちろん王弟の妃なので、枷が全くないとは言いませんが……世界じゅうの他のどんな男より、僕はあなたを幸せにします。……だから、その……なんといえばいいのかな……」


 彼は言葉を選んだすえ、目を見てまっすぐにいった。


「だから、どうか自分を道具のように言わないでください」

「わかりました」


 私が頷くと、彼はほっとした顔になる。

 その顔に――ふいに、あのビリーの顔が重なった。


『アスリア様。……いつか僕が、かならず助けてあげる』


 彼は、今頃何をしているのだろうか。無事に大きくなったのだろうか。

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