第4話 穏やかな日々

 私が眠っていたあいだに、母国ハイゼン王国との多少の小競り合いはあったらしい。

 詳しく聞こうと思っても、周りは「今はあまり難しい事は考えない方がいいですよ」とあいまいにぼかす。

 私を匿ったことがばれて、レイナード殿下にご迷惑をおかけしないか。

 それが心配だったけれど、みなは特に気にしていないようだった。


 突然降って湧いたような『公爵令嬢』の存在が許されるのも、そういう社会情勢あってのことだった。敵国出身の私に、『王弟殿下の妃付き』として与えられた侍女やメイドといった人々はとても優しかった。


 朝目を覚ますと、バルコニーからは美しく広がる空と、どこまでも続く平野が見渡せる。


「綺麗……」


 庭を見下ろせる城の一望に、私は毎朝新鮮な感動を覚えていた。

 母国ハイゼン王国は谷間にある小さな領地で、その上私は森と山に囲まれた別邸に閉じ込められていた。あるものと言えばゼーディス王国から国境を超えて続く細い街道だけで、私という魔力しか取り柄のない末娘が外に見つからないようにするにはぴったりの場所だった。


 朝から気持ちよく目覚め、美味しい食事をして、魔導医師に毎日の健康チェックをされ、結婚に向けた準備を無理のない範囲で進める。

 こんなに甘やかされていいのだろうかと、不安になるような穏やかな日々だった。


 朝食を終えて、今日はウエディングドレスの仮縫いを試着することになっていた。

 鏡の前で着替えさせられ、化粧を施される。

 私が纏ったのは、絹に繊細なガラスビーズがふんだんに縫い付けられ、胸や肩を覆うように繊細な刺繍が施されたAラインのドレス。

 長い瑠璃色の髪はまとめ上げられ、こてを使って後れ毛を巻き、白百合の銀細工を冠のように飾られる。

 露出した肩や背には淡く光るパウダーがはたかれ、肌が内側から輝いているようだ。

 真っ白く飾り付けられた中で、黒々とした瞳が目立つような気がする。


「私には……不相応ではないのかしら」


 侍女たちに尋ねると、彼女たちは首を大きく振る。


「殿下のお妃様と思えば、もっと派手でもいいくらいですよ」


 二人は「ねー」と顔を見合わせほほえみ合う。私はどんな返事もできなかった。

 私は不相応なほどに飾られた自分を見つめながら、思い至る。

 そうだ、隣国の罪人である私にはあまりにも不相応すぎる。

 既にドレスが準備されているという時点で、もしかしたら彼は他の女性との結婚が決まっていたのかもしれない。

 

 ――そうか。

 罪人である私を王家で監視するために、彼は誰かとの婚約を取りやめ、私と結婚する事にしたのでは?

 

 首をもたげた疑念は正しいもののように思えた。

 王族の結婚とは思えないほど、既に決まっていたかのように急ピッチで事が進んでいるのだ。もうドレスは準備されていて、選べないと伝えたら彼が全て準備した。

 こんなに簡単に準備できるとは思えない。

 けれど、既に決まっていた結婚を取りやめて、花嫁だけすげ替えるようにしているのなら説明がつく。そもそも私は正妻ではないはずだ。妾の結婚にここまで準備をするとは思えない。

 彼や周りの人は結婚だと大げさに言っているけれど、式も身内だけに紹介する食事会のようなものだろう。


「アスリア様、お顔色が悪いですが……」


 鏡越しに侍女が心配をしてくる。

 私は急いで首を横に振る。


「大丈夫よ。少し考え事をしていただけ」


 言いながらも不安と罪悪感に苛まれた気分でいると、部屋にレイナード殿下がやってきた。

 私を見て、彼は空色の目をぱっと見開いて笑顔になる。

 どこか、大きな犬を思わせる笑顔だった。


「素敵だね! よく似合うよ、よかった」


 反射的にどんな顔をすればいいのかわからない。

 褒められているのはわかる。けれど、褒め言葉にどう返せばいいのか。

 困った顔を見せてしまったからか、彼は少し申し訳なさそうに肩をすくめた。


「ごめんなさい。せっかくの花嫁衣装を僕が勝手に選んでしまっていて。あなたに似合うデザインを用意したいと、ずっと前から一方的に作ってしまっていたんですが、気に入りませんでした?」

「そ、そんな……!」


 私は慌てて首を横に振る。


「もったいないドレスです。それに」

「それに?」

「……私相手にそんなお言葉遣い、お辞めください」

「どうして? 奥さんになる人だからって、丁寧に話してはいけない決まりなんてありませんよ」

「でも……」


 私は困惑しながら説明する。


「恐れながら申し上げます」

「はい、なんでしょう」

「あなた様は王弟殿下であらせられ、私はあくまで……公爵家の娘です。それに年齢だって、あなたの方が上でいらっしゃいますし」


 レイナード殿下の年齢はまだ聞いていないけれど、二十代半ばのように見える。

 私はまだ十八歳だから、明らかにレイナード殿下の方が数歳は年上だ。

 そもそも身分差だってある。だいいち、私は罪人だ。


「実はずっと、あなたが眠っている間、僕はあなたに話しかけていたんです。そこでずっと敬語だったので……敬語で話しかけるのが慣れてしまっているんですよね」


 私は驚いた。

 目覚めたとき私は一人だったし、目覚めて最初に出会ったのは侍女の人だった。

 けれど普段から、レイナード殿下があそこに来てくださっていたのだ。


「敬語が本当はいいんですが……あなたに気を遣わせてしまうのは申し訳ないですし、少しずつ僕も敬語を使わない練習をしてみます」

「そうしていただけると嬉しいです」

「そのかわり」


 レイナード殿下はいたずらっぽく、私の顔を覗き込んで言う。


「アスリア様も僕に敬語を使わないでくれるなら、の話です」

「え……っ!」

「どうですか? アスリア様が僕をレイナードって呼んで、微笑んでくれるなら僕も敬語をやめます」

「そんな……恐れ、多いです」

「どうして? 僕がそうしてほしいのに。それに僕だってそう大していい出自でもいないんですよ?」


 そして彼は私に婚外子であったこと、認知されるまでしばらく時間がかかったことを明かす。

 私は意外で、思わず上から下までしげしげと見てしまう。

 どう見ても生まれながらの王子様、といった風貌にしかみえないからだ。


「だから僕としては、生まれながらにご令嬢だったあなたのほうにこそ、敬意を払わなくっちゃって思うのです」

「そう……ですか……」


 敬語を使うなと言われるのなら、かえって敬語に固執するほうが失礼なのかもしれない。

 私は口の中で練習してみる。けれど、どうしても難しかった。

 そもそも男性に対して敬語以外で接した事なんて、一度も経験がないのだから。


「申し訳ありません」


 私は頭を下げた。


「もう少し、慣れてからで……練習してからでよろしいでしょうか」

「はい、もちろんそれでいいですよ。それまでは僕も、あなたに敬語を使うことを許してください」

「許すも何も……」

「だめ、ですか?」


 甘えるように、そして甘やかすように。

 彼は私に小首をかしげてみせる。そうされると弱くて、私は従うほか無かった。


◇◇◇


 ドレスの準備にブライダルエステに、私は自分の身の回りの世話だけに注力することを求められた。王族の結婚式というものは知らないけれど、もっと忙しいものではないのだろうか。


「アスリア様。少し風に当たりませんか。僕の休憩に付き合ってください」


 ある日、レイナード殿下に誘われ、私は城の庭を散策した。

 庭には大輪の黄色い花が咲き誇っていた。


「ひまわりと言います。土壌を浄化してくれる作用があり、ゼーディス王国の国花です」


 先を行くレイナード殿下が教えてくれた。

 私はひまわりを仰ぎ見る。

 ひまわりの背は高く、私はひまわりの影にすっぽりと埋まってしまう。

 殿下の背丈はひまわりと同程度か、それ以上の高さすらあった。

 日差しを浴びてきらめく金髪が、ひまわりより鮮やかだなと思いながら見つめる。


「結婚式の準備について、心配なんですが……」


 歩きながら不安点について尋ねると、レイナード殿下は「大丈夫です」と笑った。


「貴婦人に関する仕事なら、僕の義姉が采配してしています」


 姉ということは王太子妃だ。

 あの日、晴れがましい祝いの場の邪魔をしてしまった相手だ。

 美しい花嫁姿で驚いた顔をした、王太子妃殿下の表情を昨日のことのように思い出す。

 胸が痛くなる。


「レイナード殿下のお義姉様に申し訳ございません。私のような者が妻になるばかりに」

「姉も丸投げを歓迎しているのですよ。権力は集中させたいので」

「……私、もうこれくらい歩けます。回復いたしました。どうか皆様にお詫びをしたいのですが……」


 私は目覚めた日からずっと、ご迷惑をかけた皆様に謝罪をしたいと話していた。

 私の正体があの日の乱入者と知っているのはごく一部と言う。

 彼らにだけでも謝罪したいと何度か申し出ていたけれど、まずは体を治すことが第一といわれて、押しとどめられていた。


「……謝罪、ですか……」

「お願いします。このままではいたたまれません」


 彼は立ち止まり、暗い顔をして歩みを止める。私は不安になった。

 あくまで罪深い私を、彼らに会わせたくないのだろうか。

 もう一度私が彼らに危害を加えようとすると思われているのだろうか。


 私は髪を掴んで、彼に差し出した。


「大丈夫です。お会いする前にこの髪も切ります。髪がなければ、私も強い魔術は使えません」

「やめてください!」


 彼は反射的、といった様子で私の肩を掴んだ。

 驚いて目を見開く私に、彼はハッとした様子で手を離す。気まずそうに目をそらした。


「失礼致しました。……あなたに、乱暴な真似を」

「いえ……」

「髪を切るなんて、言わないでください」


 彼は切実そうに訴えた。


「あなたはもう全身に刻まれた爆破の魔術を解かれています。髪なんて切らなくても、僕はあなたが誰にも危害を加えないことを知っています。……違うんです。僕が、あなたを他の人に会わせたくない理由は……」


 彼は言葉を飲み込み、そして視線を落とす。

 たっぷり時間をかけたのち、彼はもう一度私を見た。

 顔に影が落ちている。思いのほか強い眼光が、暗く、私を射貫いた。


「あなたが話しかける相手は、まだ僕だけでいいんですよ」

「……殿下……?」

「侍女たちや医師は仕方ありませんが……あなたを閉じ込めたままにしておきたいんです。本当は、外の情報なんて何もいれたくない。やっとあなたが穏やかな顔をしてくれるようになりました。あなたが、しっかりと食事を取って、正しく丁重に扱われて、元気に回復してきているんです。だから、本当なら、結婚式だって後回しにして、ただ書面だけでもあなたを僕の妻にしたい。……あなたが本当に心から回復して初めて、色々外に目を向けるのでも……いいとは思うんです、でも、……そんなの耐えられない。……僕は、ずっと…………」

「で、殿下」

「まだ……知らなくていんです。まだ、あなたは……」


 しんと、周りの音が遠くなった気がする。

 急に饒舌になった彼は、どうしてしまったのだろうか。

 何か大きな隠し事をしているように感じられた。


「……よくわかりませんが」


 私は言葉を選んで続けた。


「私はあなたに逆らいません。会うなと言われるのであれば、もちろん従います。ですが」


 ぴくっと、彼の眉が動く。

 どこか不安げな顔に見えた。

 どこかで見たことのあるような、頼りない、怖がりの子どもの顔だった。


「私を思って、私のために……色々と、外を見せないようにしてくださっているのですね」

「……あなたのためと言いながらも……僕の勝手ですが」


 彼はぎゅっと、拳を握りしめる。

 普段私の前で見せる、明るくて頼れる男性の顔とは、また違う顔だった。


「僕は……」

 

 私は拳に手を添えた。彼は目を大きく見開く。

 私は、落ち着かせるように拳を包み込んで言った。


「大丈夫です。あなたにお任せします。私はあなたに従います。自分で何かを決めた経験がない身として、あなたに判断を委ねているのは私の甘えでもあります。……ですが……何か思い詰めていらっしゃるのでしたら、私も力になります。どうか、一人で抱え込まないでください」

「っ……アスリア様……」


 何もない私が言う言葉では無いと、今更気付く。

 手を握っているのが気恥ずかしくなり、私は手を解いた。


「申し訳ございません。出過ぎた言葉でした」

 

 頬が熱い。これだからだめなんだ、と自分を内心で叱咤する。

 自己主張に慣れていないから、いざ主張をしようとすると距離感を取り違えてしまう。

 恥ずかしい。頬が真っ赤になるのを感じる。


 目の前のレイナード殿下も、口元を覆って視線を上に向けていた。

 耳が赤い。彼もまた、決まり悪そうな様子だった。


「いえ、ありがとうございます。……嬉しかった、です」

「すみません……」

「いえ、僕こそ……感情的になって……」

「いえ……」

「い行きましょうか」

「ええ……」


 二人でちょっと笑い合う。そして彼はエスコートのために腕を差し出してくれた。

 私はぎこちなく手を添え、二人で黙って城に戻った。

 彼のエスコートで歩く沈黙の時間は、居心地の良い時間だった。

 少しずつ、大切にされるのになれ始めている自分がいるのに気付く。


 自分が変わっていくのが、怖い。

 人とほほえみ合う自分の変化に、まだ戸惑っている。

 いつまでこの幸せが続くのかは分からないけれど――でも、今だけでも、この時間を楽しみたいと思う。


 ひまわり畑を出ると、ひまわりの大きな影が途切れ、殿下の姿が白日の下にさらされる。

 ふと思う。明るいところで彼の服を見るのは初めてだった。


 偶然目を向けた瞬間、彼のジャケットの胸元から何かタイピンが覗いた。黒っぽいものだ。

 何かを封入したブローチのようなタイピン。


――え?


「いかがなさいましたか?」

「あ……いえ、歩幅に合わせていただいて、歩きやすいな、と」

「そうですか」


 彼は柔らかく微笑む。私は笑みを返しながら、胸の奥のモヤモヤを止められなかった。


――彼の胸にあったタイピンには、編み込んだ三つ編みが収められていた。

――ゼーディス王国に来てから、黒髪の人は侍女にも一人も見ていない。黒髪はハイゼン王国の色なのだ。


――あれは、私の髪なのだろうか?

――ならば、あの日私の髪を切ったのは、もしかしてレイナード殿下なのだろうか?


――いや、違う。

――あの時私をとめたのは、少年だったはずだ。


ではレイナード殿下は一体、どうして私の髪も持っているのか……?


勘違いかもしれない。

あのとき切られた髪ではないのかもしれない。聞けばいいのだ。

けれど私は聞けなかった。

彼が、何を考えているのか――急に、恐ろしくなってきたのだ。

全てあまりに上手くいきすぎているという感覚は、やはり、間違っていないのかもしれない。

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