第8話 私もあなたを守りたい

 夜。

 レイナード殿下がやってきたのは、夕食を終えた後だった。

 月の綺麗な夜だった。

 彼はいつもの軍服ではなく、すっきりとした私服のシャツを纏っていた。

 二人で応接間のソファに向かい合って座る。

 魔術灯明が柔らかく部屋全体を照らす。

 テーブルにお茶が用意されたところで、レイナード殿下が口を開いた。


「昼間は驚かせてしまいましたね」

「いえ。襲撃者の件はどうなりましたか……?」

「逆恨みの者の犯行です。今回はハイゼン王国とは無関係の、僕が以前断罪した悪徳商人の手のもので……僕の婚約者が城にいると聞きつけて、業者に紛れて入ってきたようです」


 そして、私の心配を見越したように付け加える。


「あなたが悪いのではありませんし、あなたの出自はバレていません。しっかりと尋問しましたが、あなたの出自を知っている者はいませんでした」

「……そうです、か……」


 尋問、と言う恐ろしい言葉を、彼は当たり前のように言う。

 彼は本当に『悪魔』と呼ばれているほどに、苛烈な魔術騎士なのだ。


「契約結婚でよかった、と思うでしょう?」

「いえ……あの、私、……私の気持ちを、まだ一度もあなたに伝えていないと思いまして」


 私の言葉に、彼は口を引き結ぶ。じっと私の言葉を待つ姿勢になった。

 私は深呼吸をして、背筋を伸ばして伝えた。


「私、契約結婚では無く……あなたの妻として、あなたの傍にいたいと考えています」


 意外なことを言われたと言わんばかりに、彼は目を丸くする。

 私は今日、ずっと一人で考えて導き出した結論を、少しずつ口にした。


「私は考えていたのです。あなたに救われたこの命を……お世話になったこのゼーディス王国への恩返しをどうやって果たしていくべきか。お役に立たなければ、私は罪悪感で潰れてしまいます」

「そんなこと、」


 彼は腰を浮かす。


「あなたはそういうことは考えなくていいんです。役に立つとか立たないとか。あなたは苦労をしてきた。もう、誰の道具にもならなくていいんです。自由になってほしくて、僕はあなたと結婚するのですから」


 私は彼の目を見た。


「自由な意思で、思うのです。……私は、誰かの役に立ちたい。それは貴族として生まれた存在理由です。そして私の、心からの願いなんです」


 私は幼い頃から別邸に住んでいたので、領民たちとの距離が近かった。

 領民たちが必死に雨の日も風の日も働いてくれるおかげで、貴族は生きられるのだと強く感じた。それと同時に私は父と兄に搾取され続けてきた。父と兄は私から奪うだけ奪って、最後には死ねと命じた。辛かった。……あれは辛かったのだ。


「甘やかされて、大事にされるだけで、何も返さないのは父と兄と同じです。私は……父と兄とは、別の道を進みたい」

「あなたは違います。現に、あなたはビリーだった頃の僕を守ってくれた」

「あの頃のように、私もまた、夫となる人の力になりたいのです」


 私は目を見て告げた。彼が目を見開いた。


「助けてくださって、守ってくださって、ありがとうございます。……私も与えられるだけではなく、あなたにこれからも何かを与えられる人でありたい。お互いに、助け合いたい。……夫婦として生きるなら……家族となるのなら、私は、そういう温かい思いやりを交わし合う関係を築きたいのです」

「アスリア様……」

「……私ごときが、役に立ちたいと思うのは……わがままかも、しれませんが」

「そんなことありません。……そうか、そうですよね」


 レイナード殿下は、一人納得するように頷く。


「僕は、あなたを守りたいと思い続けてきた。あなたを閉じ込めて、僕があなたに降りかかる問題、全てを解決すればいいと思っていた。……けれど、あなたがそれを望まないのならば……それは、あなたを支配しているのと同じ事ですね」

「全てを解決しようとしてくださるのは嬉しいです。もちろん。でも……」

「いえ、わかりますよ」


 彼は首を横に振る。


だって、守られるだけではいたくなかった。アスリア様という、助けてくれた女神様の役に立ちたかった。それと同じだ。あなたも同じ気持ちを、僕に抱いてくれていると……そういうことですね?」

「はい、そうです」


 私は頷いた。彼はうん、と頷く。


「明日から、少しずつあなたの世界を広げましょう、アスリア様。城の中を案内しましょう、義姉と会う機会も増やしましょう。義姉ならば、あなたが貴婦人たちの社交界に入っていくのに必要な知識を与えてくれるはずです。ああ、でも……」

「でも?」

「城の中に襲撃者が入ったばかりなので、やはり時期尚早です。僕が常に一緒にいることは、残念ながらできないので。……むしろ僕がいるほうが、あなたが危険にさらされる」


 彼はこまったな、と口元に手を当てる。


「あの、そのことなのですが」


 私は片手を上げて、おずおずと思っていた事を口に出す。


「……私が、護身術を学ぶのは……いかがでしょう」

「護身術ですか?」

「私は魔力だけは今も強いです。使い方を知らないので、今はまだ無力ですが……この国は女性が魔術を学んでも良いのですよね?」

「そうか」


 彼は目を見開き、ぽんと手を叩いた。


「あなたを守らなければ、とばかり考えていたからすっかり忘れていました。そうですね、あなたが……魔術を学べば、城全体をあなたの魔術で包むことすら可能になる!」

「それだけの強さは、さすがに……」

「いえ。あなたはとても強い。魔術騎士になって改めて感じましたが、あなたが父と兄に差し出していた魔道具の破壊力はすさまじいものがありました。ハイゼン王国とリンドベルク公爵家が不相応な野心を抱いてしまうほどに。ご存じないでしょうが、ハイゼン王国制圧に最も手こずったのは、あなたの作った魔道具の防御力なのですよ」

「そ、そうなのですね……」

「あなたが眠っている間も、僕はぞくぞくしていたんです。僕の女神様はなんて強いんだろう、僕の女神様は、なんて強い魔道具を作るのだろう……と……そうか、その手があったか……」


 彼は何かスイッチが入ったように、ぶつぶつと言いながら今後の計画を立てている。

 その熱心な様子に最初はあっけにとられていたが、次第に、私は愛おしくなってきた。


「ふふ……」

「アスリア様?」

「ビリーのときもそうでしたね。何かに夢中になると、キラキラした目になって。……その横顔が可愛かったことを、思い出してしまいました」

「可愛いと思ってくれますか? 今は僕の方が年上になってしまいましたが」


 ビリーの時を思い出させるような笑顔で、レイナード殿下は小首をかしげてみせる。


「可愛いと言えば……その、私でいいのですか?」

「どうしたんです、突然」

「本当の年齢なら、私は今28歳なのですよね? レイナード殿下はまだ24歳なのに……その、行き遅れの年齢なのに、嫌ではないのですか?」

「嫌もなにも、あなたは見た目は18歳のままですし、仮に見た目が28歳だとしても、僕はあなたを愛していますよ。6歳からずっと思い続けたお姉さんとやっとこうして婚約者になって、おしゃべりできるようになったんです。しかも僕が年上としてね。……すっごく嬉しいんですよ」

「……6歳……」

「18年間の純情、覚悟してくださいね」


 彼は私を見て微笑み、そしてゆっくりとおねだりした。


「お願いしたいことがあります」

「はい」

「……頬に触れて、いいですか?」

「喜んで」


 私が微笑んで少し前のめりになると、彼は手を伸ばして頬を撫でる。

 こわごわと触れ、そして髪をゆっくりと、耳にかけるように撫でた。


「……僕、眠っているあなたに、必要以上に触れなかったんですよ。ずっと、触れたかった」

「レイナード殿下……」

「あなたは生きている。あなたも、人間なんだからご自身の意志が……ありますよね」

 

 彼は独り言のように、言葉を続ける。


「眠っているあなたを前に、一方的に物事を決めるのに慣れすぎてしまっていました。……そうですね、あなたは生きてるのですから……一緒にこうして、これからは話せばいいんだ」


 私たちは見つめ合い、そして微笑んだ。

 ――夫婦になる前に、私たちはちゃんと、気持ちを伝え合うことができたのだ。

 


 そして、互いの心に嘘偽りのないまま、私たちは結婚式を迎えた。

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