第7話 自ら悪魔になったあなた
あれからレイナード殿下は明らかに、私に会いに来る頻度を減らした。
私の態度で傷つけたからだろう。
悲しい気持ちになりながら、日々の花嫁支度を調えていく。
私は彼が毎日会いに来てくれることに、とても救われていたのだと知った。
ひまわりのような笑顔。
私をめがけてまっすぐやってくる、背の高い、動作の大きな所作。
どうしてすぐに気付かなかったのだろう、私があの日、助けたビリーそのままだったのに。
気鬱になりながら過ごしていたある日。
私の元に王妃様からのお茶会の誘いが届いた。
その手紙にはこう書かれていた。
『お茶会の間、一切謝罪はしないこと。過去は忘れて、未来の義姉と義妹として話しましょう』
花園の四阿で開かれたお茶会では、さっそく王妃様にこう切り出された。
「レイナードと喧嘩したでしょう、あなた」
「喧嘩、なんて……」
「ふふ、冗談よ。喧嘩できるほど遠慮の無い関係になってほしいけれど、まだまだよね」
王妃様は紅茶を傾けながら言う。
「非公式な場でしか言えないことを言いたくてあなたを呼んだの。……お礼を言いたいの」
「お礼……ですか?」
「ええ。あなたがいなければ、きっとあの子は破滅していたわ」
王妃様は幼い頃から国王陛下の許嫁だった。
だからレイナード殿下の事は幼い頃から知っていたのだ。
「元々の立場が妾腹で、その上愛情をほとんど与えられずに過ごしていた子だった。暗い顔ばかりをしていた子だったのに、なぜか誘拐から戻ってきてからは強い意志を持った子になったの。聞けば『いつかお嫁さんにしたい人がいる』と言うじゃない」
「あんな小さな頃から……ですか」
私は困惑していた。
私が彼を匿ったのは10歳の頃。つまり、彼はまだ6歳くらいの幼さだったのではないか。
王妃様は笑う。
「幼い子どもにとって、数歳年上の女の子はとても大人びて見えるものよ。……あなたの純粋な優しさは、彼にとっての目標になったのよ」
「そんな私が……あんな事件を起こす女で……。しかも、その後も国内外にご迷惑を……」
「ハイゼン王国はあなたがいてもいなくても、結局同じ運命をたどっていたわ。冷たいことを言うようだけれど、手駒として利用されていた一介の令嬢でしかないあなたが責任を負うことではない」
それよりも、と王妃様は続ける。
「あなたにとって重要なのは、一人の王弟の運命を変えた事よ。どちらかというと良い方向に――ね」
「……王妃様……」
「あの子は元々、とても情に厚い子なの。身内だと思ったら裏切らない。兄である陛下に対する忠義はもちろん、私や子供達にたいしても、本当に良くしてくれる」
彼女はふっと言葉を止める。そして真剣な眼差しで私を見た。
「あの子の味方になってあげて。あの子は……陛下の盾として、今も苦労した立場にいるから」
「盾として……ですか?」
「ハイゼン王国の残党が時折陛下を襲うの。レイナードは護衛部隊の隊長をしているの。王弟だからこそ、陛下を狙うような人間は自分に狙いを変えるだろうって。おとり作戦ね」
「……それは、危ないのではないでしょうか」
「ええ。けれどレイナードは自分がハイゼン王国にとって驚異として苛烈に振る舞ったからこそ、ハイゼン王国の破滅が早まったと知っている。解術したときにハイゼン王国が残っていれば、あなたがハイゼン王国の手駒として利用されかねないから。だから……」
ハイゼン王国が滅びたのは自滅だ。
しかしハイゼン王国に苛烈な魔術騎士かつ王弟として圧を加えたのはレイナード殿下だった。殿下は私を開放するために行動した。そしてその結果恨まれた自分を、兄を守る盾にしているのだ。
「……ご自身のこと、もっと大事にしてほしいですね」
私の言葉に王妃様は微笑む。
「そう言ってくれるあなたに、期待しているわ」
「期待とは……」
私にできることなんてないのに。そう思ったところで、賑やかな声が近づいてくる。
見れば花園の奥から、はしゃいだ子どもたちがやってくる。侍女たちも一緒だ。
「もう、待ちくたびれたのね」
抱き上げる王妃様は優しい。
「そうだわ、あなたも抱いてみなさい」
差し出された幼子を、私は腕に抱いた。
柔らかなぬくもりに、有無を言わせない絶対的なやすらぎを感じる。
「……優しい顔で微笑むのね」
「えっ」
「その笑顔でレイナードを救ってあげたのね。本当にありがとう」
あいまいに頭を下げながら、私は思う。
レイナード殿下に守られてばかりの、私ができることは――なんだろう。
◇◇◇
事件はその後、部屋に戻る時に起きた。
いつもの護衛騎士と侍女たちと回廊を歩いていたところ、通りすがりの部屋から突如人が飛び出してきたのだ。
他の護衛騎士と同じ甲冑を纏った男たちだ。
「『ゼーディスの悪魔』の婚約者、俺たちと共に来て貰う!」
侍女たちが悲鳴を上げて私を庇う。
護衛騎士たちが私の前に立ち塞がった。
剣がぶつかり合う音が響く。
私は唖然としたまま、立ち尽くすほか無かった。
魔術師ならば、ここで魔法が使える。日頃から注意深く生きている貴族令嬢なら、どんな行動をすればいいのか分かるはずだ。私は震えるばかりだった。
どこかの窓ガラスが割られ、更に私に襲いかかってくる。
「いたぞ! 瑠璃色の髪の女だ!」
私に襲いかかる。侍女が両手を広げて私を守ってくれる。
――死なせてしまう、私のせいで!
私は反射的に彼女を突き飛ばし、剣に向かって自分の身を躍らせた。
相手が狼狽するのが見える。
その時――男の胸が後ろから貫かれる。
剣の切っ先が私の目の前に飛び出す。次の瞬間、男の体は凍った。
「……傷口は氷で止血している。尋問室へ運べ」
レイナード殿下が、落ち着き払って部下に命じている。
剣を払って私を見やる。冷たい眼差しをしていた。ぞくりと震える。
「お怪我は?」
「……大丈夫、です……」
彼は私に手を差し伸べる。手を取ろうとして、私は自分の手ががたがたと震えているのに気付いた。
怯えた私に気付いたのだろう。レイナード殿下は手を引っ込め、悲しげにふっと微笑む。
「申し訳ありません。……僕はこういう男なんです。手加減などしない。暗殺者も襲撃者も、全て剣で切り伏せる」
「……」
仕事なのだから、当たり前です。
守ってくれてありがとう。
そんな言葉が出ない。体が震えて、言葉にならない声しか出ない。
彼は侍女に命じる。
「彼女を安全な場所へ送れ。……今夜は僕は行かない。代わりの護衛騎士を送る」
「かしこまりました」
侍女たちが深く頭を下げる。
彼は私に背を向け、歩き去ろうとする。
――私は、最後にビリーと別れたときを思い出す。
私はビリーを安全な場所に送るのに必死で、別れの言葉も上手く紡げなかった。
そんな私に、ビリーだった頃の彼は言ったのだ。いつか僕が、かならず助けてあげると。
そして先日だって、私は彼に何も言えなかった。
また何も言えないのだろうか?
震えるばかりで、守られるばかりで。
また、私は、黙って彼を行かせてしまうの?
「おまち、ください……!」
私は声を振り絞った。
小さな声だったのに、レイナード殿下はぴたりと足を止める。
私は震える太ももを叩き、勢いをつけて立ち上がり、彼に駆け寄った。
「アスリア様……、ご無理は……!」
「無理なんか、していません。あの……レイナード殿下、……」
私は震える声を深呼吸で整え、彼に言う。
「今夜……今夜、待っています。……あなたと、お話を……したいです」
「……アスリア様……」
「ありがとうございます。守ってくださって。……もっと、私は言わなければならないことがあるんです。……お願いします。……話を……」
声を震わせる私の手を取って引き寄せる。
彼は私の肩を抱き、耳元に囁いた。
「全ての用事を終わらせて馳せ参じます。……やっと、あなたから話したいと言っていただいたのですから」
彼の声は熱を帯びていた。
喜んでくれていると、はっきり分かる声だった。
体を離すと同時に、目を合わせる。彼の表情は熱を取り戻していた。
「また、夜に」
彼は私の髪をひとふさ手に取ると、口づけて踵を返して去って行く。
立ち去る彼を見送る私は、もう震えていなかった。
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