信仰
屋敷とセックスをした。普段から太い道具を使った下品なオナニーをしていたから痛みの心配はなかった。なので血の通った行為への期待が強かったがくだらなかった。噂に聞いていた型通りの雰囲気作りとか、私のスポットを知らないぎこちない接触は無駄な時間に思えた。蜜柑を味わう口腔内を使った行為については信仰上の都合から断固拒否した。屋敷はのこのこ人の家について来ておいて私の口腔内に侵入できないことを知ると不機嫌な顔をした。私はめんどうになってテイクダウンして上になって最後まで行為を済ませた。楽しくなかった。
なぜ私が楽しくないセックスをしたのかと言えば蜜柑のすばらしさを伝えるためだ。蜜柑のすばらしさを伝えてからセックスに及ぶことが筋である。まだ告白も済んでいないのに行為に及ぶのはいけないことだと知っている。だが家にあがった屋敷はいきり立っていてそれどころではなかった。油絵具の臭いや蜜柑の皮でいっぱいのゴミ袋やうず高く積まれたボツ蜜柑の絵に触れもしない。だから私は逆でもいいかと思ったのだ。終えてからなら耳を傾けざる得ない。
私は懇切丁寧に蜜柑について話した。屋敷は感嘆を交えながらリアクションをする。
「こんな数を描いたんですか!」「もう6年も!」「誰かに教わったわけじゃない?すごい!」
クソだった。数、期間、独学、どうでもいいことにばかり褒めた。本質は1つとして口から出なかった。
私はSNSで顔の良い女が拙いアートをアップしてリアクションを得る様子を見るのが好きだった。私はツラは良い。それに若い女が家にひきこもりこんな社会的不全を抱えた暮らしをしているのに誰からも心配されないくらいには外面も取り繕うことができる。その気になればいつでも私はSNSの彼女達のようになれるのだと安心していた。そうした手順で蜜柑一派を作ることも1つの保険だと考えていた。
だけどこれはクソだ。屋敷はセックスを褒めているに過ぎない。私の心の弱いところを撫でて次の機会に口腔内を楽しみたいだけに過ぎない。彼は蜜柑について、蜜柑の皮を絞った時に出る汁の霞の一粒ほども理解していない。
屋敷はもう、いやきっと以前からセックスを通してしか私を見ていない。
また私が悲しかったことはもう屋敷には蜜柑のすばらしさを伝えることが極めて難しいと悟ってしまったことだった。屋敷の脳内で癒着した私とセックスを引き剥がしてから蜜柑について話し合うことはもうできない。どんなに私が上達しても叶わないと感じ取ってしまった。
インド料理屋で聞いた真面目な不安なんて1つも解決してないのにセックスが出来たから気持ち悪い上機嫌を顔に張り付けた屋敷はもう用済みだったから帰すことにした。なんとか玄関口まで押し出すと屋敷はキスを求めてきた。キモい。口を尖らせても私の不機嫌が変らないことに気付いて怪訝そうにそそくさ帰って行った。家に帰ってから私に嫌われ続けていることと将来の不安の両方に押しつぶされて病めばいい。
私は1人になってからPCの電源を入れて久しぶりに蜜柑の絵のデジタルデータを編集した。今度はデジタルだけの理想系を作ってみよう。並行して真っ白なキャンパスに油絵具だけで蜜柑の絵を描いてみよう。今度は人の家の塀ではないもっとよくない場所に展示してみよう。スーパーマーケットの青果売り場なんてどうだろう。
アスファルトに無残に落ちたあのすばらしい絵が良い扱いを受けたことを私はすっかり理解した。私の容姿や性別や努力に関わらず下された評価を私は大切にしなければならない。
経済やSNSや私のセックスを信仰していない、まだ何も信仰していない人たちこそが蜜柑一派になり得るのだ。
私はまた蜜柑の絵を描き始めた。
蜜柑一派 ぽんぽん丸 @mukuponpon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます