カリオペイアの霧雨

秋雨みぞれ

ほんの少しの話



 雨が降ったら、私は本を読みます。



 ……と言っても私は、読書好きな訳ではありません。

 私ではなく

 雨が降ってしまうと、なぜか兄は可愛い妹わたしをほっぽりだして、細かい文字がアリみたいに書いてある本を取り出します。



「天下の太宰治をアリ呼ばわりするな、妹。

 外は雨だ、遊ぼうにも遊べないだろ?」



 ……と、さっきまで室内でトランプをしていた男がのたまいます。


 唯一の遊び相手に捨てられたので、ひとりで暇つぶしするしかありません。

 家のゲームは散らかった兄の部屋の中。私は小学5年生なので、もちろん宿題はありますが……やる気のエンジンは止まったままです。

 どうしたものか、と悩む私の目に、本棚が映りました。



「にいちゃん、勝手に本取ったよ」



 兄に事後報告してから、私は本を開きます。

 少し大きめの――単行本、とでも言うのでしょうか――厚くて重いから、膝の上に乗せて。



 その時、音が聴こえたんです。



「……え、」



 少し、鳥肌が立ちました。

 ピアノの音のような、人の声のような……すぐに消えてしまいましたが。

 私は共感覚の持ち主だった――というわけではありません。


 それでも聴こえた、

 確かに。





 私は首を振って、文字をなぞりはじめました。

 桜の花びらはくるくる踊って、指先をすり抜けます。

 誰かを背負っているので、触れている背中が熱いです。

 一歩踏み出すたび、少しひんやりした空気が私を包んで……


 私の息づかいが

 衣擦れが

 地面を打つ雨音が

 そよ風の音が

 誰かの声が……メロディーみたいに合わさって、





 あれ。

 私、いま、どこに居るんだっけ?








「ミユ~、ごはん出来たってさ」




「――っ!」


 名前を呼ばれて、私の目に

 ……いいえ、ただ顔を上げただけなのかもしれません。



 さっきまでの景色は、どんな色をしていたのか。匂いは。形は。手触りは。重みは味は……何もかも、あやふやなのです。

 それでも――さっきのメロディー、



 眠っていたわけではないようです。私はきっちり、読書前と同じ姿勢でいました。

 つまり、あのメロディーの出所は……



「…………この、小説」








 数日後。

 ある小学校の図書室に、ちょっとした変化がありました。

 来訪者がひとり増えたのです。

 彼女が将来、生粋の本の虫になる……わけでもなく。

 かといって物書きや、編集者になるわけでもありません。





 しかしそれこそが。

 そのちょっとした変化こそ。

 ……聴こえないメロディーただひとつの物語がもたらす、とっても小さな変化なのです。




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カリオペイアの霧雨 秋雨みぞれ @Akisame-mizore

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