第9話
フード付きマントを着た得体の知れない人物がたった一人で図体のでかい男達を倒していく光景はステファニアを驚かせるには充分だった。『今のうちに逃げ出す』という選択が思い浮かばないくらいに。
一方、ロザンナは逃げ出すタイミングを計っていた。突然現れた人物は今のところこちらに襲い掛かってくるつもりはないようだが、だからといって味方であるとは限らない。あの身のこなし、一般人ではないのは確かだ。
「……ステファニア様」
「どうしたの?」
ロザンナに小声で話しかけられたステファニアは同じように小声で返した。ロザンナは戦況を視認しながら、結ばれた手首をステファニアの方へと差し出した。彼らからは死角になるように
「私の腰のベルトに仕込みナイフが入っています。それで切ってもらってもいいですか?」
「え、ええ。わかったわ」
普段果物ナイフくらいしか扱わないステファニアは緊張した面持ちで仕込みナイフを手に取り、ロザンナの手首を縛っているロープを切った。しかし、そのタイミングであちらの戦いも終わったらしい。
フードを被った人物がこちらに向かって歩いてくる。ロザンナはすかさずステファニアを己の後ろに隠した。警戒心剥き出しなロザンナを前にしても、フードを被った人物の歩みは止まらない。緊張感が漂う中、思いがけない声が聞こえた。
「ステファニア様、怪我はありませんか?!」
「え?」
聞き間違いでなければ、怪しい人物から聞こえてきた気がする。ステファニアはロザンナの背中からひょっこり顔を出した。
いつの間にか近くまできている怪しい人物。戦っている時には気づかなかったが、かなり小柄だということに気づく。へたしたらステファニアよりも。
それに、先程の聞き覚えのある声。
「もしかしてあなた……」
「はい! 僕ですエディです!」
そう言ってフードを外して顔を見せる。フードの下から美少女……ではなく美少年が現れた。これにはステファニアだけでなく、ロザンナも驚いた。
聖騎士である以上、ある程度の強さは持っているのだろうと思っていたが、まさかこんなに腕が立つとは思っていなかった。年齢を加味すれば天才と言っても差し支えないだろう。――――しかし、どうして……。
見知った人物だと確認したステファニアは警戒心を解き、エディに近寄ろうとした。が、ロザンナが待ったをかける。どうしてと見上げればロザンナはエディへの警戒心をまだ解いていなかった。
「助けてくれたことには感謝します。ですが……どうしてあなたがここに?」
「それはっ」
エディの顔がくしゃりと歪む。次の瞬間エディはその場に両ひざを突き頭を下げた。
「申し訳ありませんでした! ステファニア様が狙われたのは僕のせいです。僕がダリラ様からの申し出を断ったから……ダリラ様がステファニア様を逆恨みしてっそれでっ」
「え? ダリラが? なぜ私を……。って、ちょっとまってロザンナ! 剣を抜かないで! エディ、エディが私を助けにきてくれたっていうのは間違いないのよね?」
「はい。それはもちろんですっ」
「そう。なら、詳しい話は後にしましょう。今はルカの加勢に行くのが先だわ」
「でしたら、それはエディに任せて私達は」
「いいえ。私も行きます。もしも、もしもの時は私の力が必要になるでしょうから」
「それは……わかりました。では、行きましょう。エディもついてきてください」
「はい!」
任せてください!と両手で握りこぶしを作ったエディ。迫力はない。むしろ、可愛いとしか思えない。先程の戦闘を見たとしても。
「エディ、無理はしないでね。でも、ありがとう」
「は、はい」
ステファニアが微笑みかければエディは微かに頬を紅く染め頷いた。
ひとまず、気絶させた男達はロープでぐるぐる巻きにして木に縛り付けておく。そして、先程と同じようにロザンナがステファニアを担いで走り出した。エディが先頭を走って安全を確認する。その後をロザンナが続く。役割分担が決まっているかのような動き。こうしてロザンナとエディが一緒に動くのは初めてなはずなのに二人の息はぴったりだった。
ステファニアは担がれている間、ひたすらルカの無事を祈った。
どれくらい経ったのか、ようやくロザンナの足が止まる。
「はぁ。……これは、いったい」
ロザンナのつぶやきが耳に入り、ステファニアは降ろしてほしいとロザンナの背中を叩いた。降ろしてもらい、振り向く。そして、息を吞んだ。
ごろつきたちはすでに捕まえられていた。数十人余りの騎士達によって。ルカが助けを呼んでいたのだろうか。それにしても多いような……と思ったところでリタ王女が目に入った。
なぜここに? と考える間もなく、その側でアルベルトらしき人物が膝を突いて横たわっている人物に必死に声をかけているのが見えた。ドキリと心臓が嫌な音を立てる。顔は良く見えないが、心当たりは一人しかいない。
「っアルベルト様」
情けないことに声が震えてしまった。
「ステファニア、か」
振り向いたアルベルトにいつもの覇気はなかった。けれど、堅かった表情がステファニアを見て幾分か柔らかくなる。ステファニアが近づけば、アルベルトは横にずれた。おかげで、横たわっている人物の顔が見える。
やはり、ルカだった。全身傷だらけだ。かろうじて息はあるが、ほぼ虫の息。意識も朦朧としているようで呼びかけにも反応がない。唇を噛み、ぐっと拳を握った。
「俺が、もっとはやく駆けつけていれば」
「っ」
それは違う。私が今日無理に教会に行こうとしなければ、あの時ルカと会わなければ、後悔ばかりが押し寄せて来る。けれど、今はそれを口にしている暇はない。
幸いなことに、私は聖女だ。しかも、現役の中でもトップクラスの力を持っている。瀕死状態の人物を回復させることもできる。ただ、今日は聖女の力を何度も使ってしまった。それに、素人目に見てもルカは血を流しすぎている。失われた血の量によっては……いや、考えるな。
ステファニアは深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。今はルカを助ける事に集中する。そう自分に言い聞かせ、ルカの心臓の上に手を置き目を閉じた。
――――ルカは絶対に死なせないっ!
いったい、どれだけの時間がかかったのだろう。わからない。けれど、確かなのは切実なステファニアの願いが神に届いたということ。
手応えを感じて目を開ければ、傷一つないルカが目の前にいた。心臓の上にそっと耳を当てる。動いている。意識はないようだけれど、呼吸も整っている。ただ寝ているような状態だ。
「よかった」
ホッとしたからか全身から力が抜けた。気づけば勝手に目から涙が零れ落ちていた。拭きはしない。ヴェールのおかげで泣いたことはばれないだろう。
すごく、疲れた。身体が重い。立てる自信がない。
「ロザンナ。後は、お願い」
「かしこまりました」
倒れる前にロザンナが抱きとめた。驚いたのはアルベルトだ。
「ステファニア?! だ、大丈夫なのか?!」
「はい。ステファニア様は眠っただけですので安心してください」
「そ、そうか。ならいいが。ステファニア……感謝する」
聞こえないとわかっていても感謝を告げずにはいられなかった。
ロザンナはステファニアを抱きかかえた。今度は姫抱きだ。教会まではリタ王女が乗ってきた馬車に同乗させてもらえることになった。ロザンナがステファニアを抱えたまま乗り込む。その光景はなかなか様になった。――――絵にしたら売れそうね。などと不謹慎なことを考えていたのはリタ王女だ。
だが、そんな二人に対してよくない感情を向ける者もいた。そのことに気づいたのはリタ王女だけ。「なんだか……不穏ね」その言葉を聞きとった者は誰もいなかった。
◇
目が覚めて最初に見えたのは、見慣れた天井。次いで見えたのは、ベッド横の椅子で本を読んでいる女神、いや聖女だった。
「ステファニア?」
「どうかしましたか?」
持っていた本にしおりを挟み、ステファニアは首を傾げる。なんてことはない仕草。それなのになぜか鼻がつんとした。
僕はなんて女々しいのだろうか。ステファニアの夢を見るなんて。もう、そんな資格は自分にはないというのに。いや……そもそもこれが夢かどうかも怪しい。もしかしたら、もう自分は死んでいて、ここは天国なのかもしれない。なんだか、そちらの方が正解のような気がしてきた。そうであれば、やはり
「寝ぼけているのですか? それともどこか頭でも打ったのですか?」
言葉に棘はあるが、何となく照れているのが声色でわかる。
「もしかして口に出ていた?」
「はい」
「そ、そっか。でも、今言ったのは本心だよ。頭は……打ったかもしれないけど。どちらかというと打って治ったの方が正しいと思う」
「……なぜ、そうお思いに?」
「だって、今までの僕は明らかにおかしかっただろう? ステファニアは僕にはもったいないくらい素晴らしい人なのに、僕は婚約者という立場に胡坐をかいて、自分のことばかり優先して婚約者としての努力を怠った。ステファニアは忙しい中でも真摯に僕に接してくれていたのに。取り返しのつかない事態になってようやく本当に大事なモノに気づくなんて。なんて僕は」
「ちょ、ちょっとお待ちになって!」
「んぐっ」
両手で口を塞がれ、呼吸もままならない。そのおかげで、これが現実だと気付いた。良かった。これ以上変なことを言わなくて。でも……そろそろ放してほしいかもしれない。ステファニアの手で死ぬのはやぶさかではないが、僕が死んだらステファニアが気にするだろうから。ステファニアの手を叩いて苦しいと示せば、慌ててどけてくれた。
「ご、ごめんなさい」
「いや。あの、僕の方こそすみません。寝ぼけていて、その、」
「いえ」
申し訳なさそうにしているのが伝わってくる。多分、以前の自分だったら気づかなかっただろう。そもそも気づこうともしなかった。婚約者だった頃のステファニアは僕と会う時はヴェールを外してくれていたから、今よりももっと喜怒哀楽がわかっただろうに。今の方がわかるなんて……なんて皮肉だろうか。
「そうだ。ステファニア様、ありがとうございました。ステファニア様があの時駆けつけてくれなかったら僕は助からなかっただろうと兄さんから聞きました」
「いいえ。むしろ、お礼を言わなければならないのは私です。ルカ卿がきてくれなかったら今頃私は……」
「僕に礼は必要ありません。結局何もできませんでしたし、このありさまですから」
「そんなことはありません。私はあの時っ……いえ、あの、……そういえば私、ルカ卿が剣をあんなに扱えるとは知りませんでした」
強引に話を逸らす。
「ああ。知らないのも当然です。隠していましたから」
「そう、なんですか」
なぜ?とは聞かなかった。理由はなんとなくわかったから。
アルベルトが失踪した直後のシッキターノ侯爵家はステファニアでも気づくくらいにピリピリしていた。ステファニアと会う以外の時間は全て次期当主教育に当てられ、どこに行くにもついてくる騎士達。あの時は、単純にいきなり次期当主候補になったからだと思っていたが、あれはおそらく唯一の後継者であるルカを逃がさないようにするためでもあったのだろう。
「とはいえ、大した腕ではありませんけど」
「それは……謙遜のしすぎでは?」
「え?」
「私があの時、あの場から逃げ出せたのはルカ卿のおかげです。ルカ卿がどう思っていようとそれが事実です」
「それは、そうかもしれませんが、でも」
「でも、ではありません。私は助かった。と言っているのですから助かったのです。わかりましたね?」
「は、はい」
「それと、ルカ卿にはしばらくの間入院してもらうことになりました」
「え、ですが」
「一見、健康体のように見えるかもしれませんが、今ルカ卿は貧血状態なんです。無理に動いたら倒れます。しばらくの間は健康的な食事と生活をして真の健康体になってから退院してもらいます」
「いや、でも、これ以上は仕事が」
「その件についてはシッキターノ侯爵家の当主と話がついています。詳しくは後でアルベルト様からお話があると思います」
「そう、ですか、それならもう僕から何も言うことはありません、ね」
逃げ道はないとわかりあからさまにしょんぼりするルカ、そんなルカを見てステファニアは思わず笑い声を漏らした。その声に驚いたルカは目を丸くし、そして嬉しそうに笑みを浮かべた。
◇
「これは……ステファニアは連れてこなくて正解でしたね」
「そう、ですね。ここまでとは」
プリモ大司教とロザンナ、エディ。そして強引についてきたアルベルトとリタ王女は教会の地下牢にいた。聖女ダリラに事情聴取をする為に。
捕らえた男爵令息は最初こそ「自分にこんなことをしてただですむと思うなよ!」と息巻いていたが、確実に罪に問われることがわかるとあっさりとダリラの名前を出した。自分はそそのかされただけで計画を立てたのはダリラだと。ステファニアを強引にモノにして、聖女の血を一族の中に取り込むことで、いずれは男爵位以上の爵位も狙えるようになるだろう。という浅はかな言葉に男爵令息はのった。
けれど、ダリラの真の狙いはステファニアとエディを一刻も早く引き離すことにあった。ステファニアが駆け落ちしたとエディが知れば傷つくだろう。その隙に付け込むつもりだったらしい。だが、エディは最近ダリラが何か良からぬことを企んでいることに気づいて見張っていた。だからすぐに動くことができたのだ。
ダリラへの事情聴取は当初プリモ大司教が行う予定だった。けれど、プリモ大司教の言葉にもロザンナの言葉にもダリラは答えようとしなかった。どうやら彼女の目にはエディしか映っていないらしい。
「エディ。ねえ、エディ。これも全てエディの為にしたことなのよ。ねえ、エディ。聞いてちょうだい。エディ!!!!!」
檻の隙間からエディに向かって手を伸ばすダリラだが、エディは応えようとはしない。無表情でダリラを見つめるだけ。
「なんでなの? エディを見つけたのは私なのよ? それなのに、あなたはいつもいつもいつもステファニアステファニアステファニアステファニア! 筆頭聖女がなんだっていうのよ! なんで私じゃ駄目なのよ! 私が拾ってあげたんだから私の専属になるべきでしょう!」
ガシャンガシャンと檻を揺らしてエディに訴えかけるダリラ。その姿はもはや聖女には見えない。まるで悪霊か悪魔にでも憑りつかれているようだ。
エディはようやく口を開く。無表情のまま。声色もいつもより低い。
「そもそも、前提が違います。僕は専属聖騎士になりたいわけじゃない。だからこそ、神に忠誠を誓ったんです。ステファニア様を尊敬はしていますが、専属聖騎士にして欲しいと言ったことは一度もありません。ただ、……もし、僕が今後誰かの専属になるとしたらそれは……僕が自分から仕えたいと思える主を見つけた時です」
傲慢ともとれるセリフだが、その気持ちがロザンナにはよくわかった。
けれど、ダリラにはわからなかったらしい。鼻で笑い飛ばした。
「まだまだ子供ねえ。そんな夢物語を語っちゃって。確かにエディは見た目もいいし、剣の腕も立つけど……聖騎士になって勘違いしちゃったのね。どうあがいたって生まれは変わらないのに。私に選ばれたことがどれだけありがたいことか全くわかっていなかったのね。だから、あんな
「プリモ大司教」
途中で遮ったのはロザンナだ。
「これ以上、話を聞く必要がありますか?」
「なさそうですね」
「僕もないと思います」
「では戻りましょう」
さっさと踵を返し、地下牢を出て行くロザンナ。プリモ大司教はダリラに憐みの目を向けたが、今もダリラの目にはエディしか入っていない。プリモ大司教は溜息を吐いて「先に出ていますからね」と言って歩き出した。出て行く前にリタ王女に呼び止められ、プリモ大司教は頷いてから出て行った。
残ったのはエディと、アルベルト、リタ王女。
エディはしゃがみこみ、ダリラに何かを話しかけている。最後の言葉だろうか。アルベルトは少し離れた所で二人の話が終わるのを待つつもりだった。慌てて駆け寄る。
突然、ダリラがエディの首を絞め始めたのだ。ダリラの手を鞘付きの剣で殴る。手が離れた。噎せるエディをリタ王女に任せ、アルベルトはダリラを睨みつけた。
「いったい何のつもりだ!」
けれど、ダリラはまるで獣のようなうめき声を上げるだけで答えようとしない。代わりに答えたのはエディだ。
「すみません。僕っどうしてもステファニア様を襲おうとしたことが許せなくて」
「そういうことか。気持ちはわかるが……俺の経験上こういう輩には何を言ったって無駄だぞ。関わらないのが一番だ」
「そう、ですね。実感しました。すみません。行きましょう。……さようならダリラ様」
そう言って、リタ王女とアルベルトに挟まれエディは地下牢を後にした。獣のようなうめき声は地下牢を出れば聞こえなくなった。アルベルトはちらりと後ろを振り返る。
聖女ダリラと言えば、そこそこ名の知れた聖女だった。けれど、残念だが、あの聖女はもうダメだ。牢屋で任期を終える事になるか。無償労働を強制させられることになるだろう。どちらにしろ、それを決めるのは教会と裁判所だ。
それにしてもと、アルベルトはエディを見た。聖女を狂わせる美少年、か。今後も同じようなことが起きないといいが……。
ふとリタに目が行った。
リタもエディのことを横目で見ていた。ただ、その目は心配しているようでも、同情しているようでもなかった。あれは、何かを探ろうとしている目だ。
アルベルトは視線を戻し、改めてエディを視た。
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